スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- - -
10月20日──橋本徹の「Toru II Toru」通信etc.
「Toru II Toru」フォーク・クラブから一夜明けました。ケニー・ランキンが亡くなった3年前に選曲した『Cafe Apres-midi Tribute To Kenny Rankin』で、昨夜かけた「Mr. Tambourine Man」を聴きながら、その余韻に浸っています。そういえばケニー・ランキンは、ボブ・ディランの『Bringing It All Back Home』に参加していますね。僕が「Toru II Toru」フリーペーパーに寄せたボブ・ディランについての文章を、アプレミディのホームページにも掲載しておきましょう。
それにしても「Toru II Toru」は、今もヴィニシウス・カントゥアリア新作からの「Moca Feia」が頭の中で鳴っているように、渡辺亨さんのセレクトも、いつも僕の好きな曲ばかり。ヴァン・モリソン「Moondance」の歌詞のように、“澄みきった10月の空の下でロマンスが生まれそうな素晴らしい夜”を、と意気込んで出かけましたが、昨日は男性率高し、だったなあ。男たちの帰り際の合い言葉は、「彼女に会ったら、よろしくと」(byディラン)でした。

追記:J-WAVEから今、僕の選曲が流れてきました。「Atelier Nova」という番組のために作っている20分間のノンストップ・ミックス、今日のテーマは「秋の午後に心地よい男性ヴォーカル」。ジョナサン・ジェレマイア「What's A Guy Got To Do」〜アレン・ストーン「Your Eyes」〜ホジェー「Over Again」〜ビル&ロン・ムーア「The Boxer」〜カエターノ・ヴェローゾ「London London」、素晴らしく気持ちのよい秋晴れに、音楽も心地よく風に吹かれているようです。まさに「Golden Autumn Day」(byヴァン・モリソン)、今夜は故ラドカ・トネフとの共演で名高いスティーヴ・ドブロゴスのコンサートに出かけようと思っています。それでは皆さん、よい週末を!

橋本徹の選ぶボブ・ディラン・ベスト20+ボブ・ディラン・カヴァー・ベスト10 
Selection & Text by Toru Hashimoto (SUBURBIA) 

(1)Like A Rolling Stone 
(2)All Along The Watchtower 
(3)Simple Twist Of Fate 
(4)I Want You 
(5)Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again 
(6)Just Like A Woman 
(7)You're A Big Girl Now 
(8)Tonight I'll Be Staying Here With You 
(9)Knockin' On Heaven's Door 
(10)A Hard Rain's A-Gonna Fall 
(11)My Back Pages 
(12)One Of Us Must Know (Sooner Or Later) 
(13)Desolation Row 
(14)The Lonesome Death Of Hattie Carroll 
(15)Mr. Tambourine Man 
(16)Blowin' In The Wind 
(17)Love Minus Zero / No Limit 
(18)Tangled Up In Blue 
(19)Sad-Eyed Lady Of The Lowlands 
(20)Not Dark Yet 

先月、献本いただいた「レコード・コレクターズ」誌の特集がボブ・ディランの曲の人気投票で、僕も今の自分なりのベスト20を考えてみた。比較的オーソドックスにまとまったので、クラブ世代以降の入門編になればと思う。 
(1)は文句なし。高校生になったばかりの頃、高田渡など日本のフォークを好きだったクラスの友だちとディランの話になり、当時よく聴いていた佐野元春のFM番組「サウンド・ストリート」で流れ一発で気に入っていた、この曲の入った『Highway 61 Revisited』を買った。若い自分の好みには、フォークよりフォーク・ロックが適っていたのだろう。やはり、あのディラン独特の歌い口と、アル・クーパーの弾く“ディラネスク・オルガン”に魅せられた。 
(2)は90年代半ば、「Free Soul Underground」で最初にプレイしたディランの曲。やがて震えが来るようなバーバラ・キースによるビターなカヴァー・ヴァージョン(そう、エレン・マクルウェインを思わせるような)がとってかわった。その頃「Free Soul Underground」では(8)もかけたことがある。歌詞も含めセヴリン・ブラウン「Stay」と表裏一体の白人ゆったりグルーヴとして。 
わけもなく無性に胸をかきむしられるのが(3)「運命のひとひねり」。まるでニール・ヤングやヴァン・モリソンを聴いているときのように。『血の轍』は『Blonde On Blonde』についでよく聴いたアルバムで、(7)もただただ琴線に触れるというか、感傷的な思いに駆られる。(18)「ブルーにこんがらがって」は、今はグルーヴィーな公式テイク以上に『ブートレッグ・シリーズI〜III集』の内省的なヴァージョンに、より心の痛みを感じて、身につまされてしまう。 
(4)(5)(6)は『Blonde On Blonde』の中でもいちばん聴いたB面(ディランを何か聴こうと思うと、ついターンテーブルにのせてしまう)。もやもやとした気分のときも、この3曲に合わせて歌ってしまえば少しすきっとする。特に(4)の“ソー・バッド”(最高、という意味)のところは、(1)の“ハウ・ダズ・イット・フィール?”と並ぶお気に入り。“アイ・ウォント・ユー”“メンフィス・ブルーズ・アゲイン”“ジャスト・ライク・ア・ウーマン”というタイトル部分のリフレインももちろん。 
サム・ペキンバーの映画『ビリー・ザ・キッド』で使われた(9)を聴くたび、歌い出しからプリンスを思い浮かべてしまうのは僕だけだろうか。そう、『Purple Rain』の頃の。(10)「激しい雨が降る」は、僕の中で村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のラスト・シーンと分かちがたく結びついている。ディランの歌声を「小さな子が窓に立って雨ふりをじっと見つめているような声」と表現した、レンタカー事務所の女の子も好きだ。 
川本三郎が自伝小説のタイトルに引用していた(11)(“Younger Than Yesterday”というフレーズが決定的だ)とフォーク・ロックの誕生を告げた(15)は、共にバーズの爽やかで軽快なヴァージョンを先に聴いて気に入ったが、今では断然ディランの方が心の深いところに響く。何度聴き返しても素晴らしい。そして(11)と同じようにしみじみと、淡々と語られる(14)に至っては、聴き返せば聴き返すほど胸に沁みてくる。 
(12)は本能的に魂が震えるサウンド、と言えばいいだろうか。歌、オルガン、ピアノにあふれるゴスペル・フィーリングが福音のように心を解き放ってくれる。『Blonde On Blonde』からはさらに一曲、(19)も(14)同様に、歌詞に耳を傾けながら、聴けば聴くほど引き込まれてしまう。ゆるやかな大河の流れに身を委ねるように。 
アコースティックでメロディアスな(13)は、ネオアコ好きだった高校時代によく聴いた『Highway 61 Revisited』の長尺のラスト曲として思い入れ深い。(17)もネオアコ心をくすぐる胸疼くラヴ・ソングで、「Toru II Toru」フリーペーパー編集・発行人waltz-a-nova氏いわく、「女の子はこの曲が好き」。ディランのドキュメンタリー・フィルム『ドント・ルック・バック』で最後に歌われるのも忘れがたい。 
言わずと知れた代表曲(16)「風に吹かれて」には最近、カエターノ・ヴェローゾが亡命中の失意の日々に吹き込んだ「London London」に通じる“優しい無常感”を感じる。“答えは風の中”と歌うディランに、“While my eyes go looking for flying saucers in the sky”と繰り返すカエターノを重ねてしまうのだ。『The Freewheelin’ Bob Dylan』はハイティーンのある時期、とても親密な存在だったアルバムで、知識もなかったその頃は、「Girl From The North Country」にあの素敵なジャケット写真をイメージしたりしていた。「Boots Of Spanish Leather」もそうだが、イギリス〜アイルランド民謡を下敷きにディランが恋人のことを歌った曲には、何となく親しみが湧くのだ。素朴に沁みるラヴ・ソング「Tomorrow Is A Long Time」などにも。 
(20)は80年代以降のディランを代表して(次点は「I And I」か「Most Of The Time」かな)。ダニエル・ラノワの音作りによる柔らかな残響が余韻を残す名曲。まだ暗くない、これからもっと暗くなる、というディラン節に言葉を失う。
 
(1)Ben Watt「You're Gonna Make Me Lonesome When You Go」 
(2)Antony And The Johnsons「Pressing On」 
(3)The Band「I Shall Be Released」 
(4)Cat Power「He Was A Friend Of Mine」 
(5)The Isley Brothers「Lay Lady Lay」 
(6)Barbara Keith「All Along The Watchtower」 
(7)Caetano Veloso「Don’t Think Twice, It’s Alright」 
(8)Charlotte Gainsbourg & Calexico「Just Like A Woman」 
(9)Cassandra Wilson「Shelter From The Storm」 
(10)Manfred Mann「The Mighty Quinn」

ボブ・ディラン・カヴァーのベスト10は、自分のカラーが色濃く反映された顔ぶれになった。(1)「おれはさびしくなるよ」は、高校2年のときにリリースされ、僕にとって生涯の一枚となったベン・ワットの『North Marine Drive』の最終曲。かつて『チェリー・レッド・フォー・カフェ・アプレミディ』を編んだときも、コンピレイションのラストに置いた。ある種のサウダージ、と言えばよいのか。この曲に共感できる人と、離れていても僕は友だちなのだと思う。 
(2)は近年のフェイヴァリット。夜の空気を震わせ、時さえ止めるようなこのアントニーの歌声に惹かれ、ディランの“キリスト教3部作”を聴き直した。深遠で敬虔なゴスペルにして、ブルー・モノローグ。 
(3)にも同じことが言える。大学時代、今は死んでしまった友人の部屋で、真夜中に酒を飲みながらよく聴いていた。リチャード・マニュエルの歌とピアノに胸を締めつけられる。それ以来、この曲をコレクションしていて、ポール・ウェラーの凛とした名唱は『Free Soul. the classic of Paul Weller』に収めたし、最近は「usen for Cafe Apres-midi」で、クリスチャン・フォークのリバースやブリティッシュ・フォークのバック・アレー・クワイアを選んでいる。 
ラジオでのオンエアを録音した(4)は、静かにすすり泣くような歌声に胸を突かれる。何かのきっかけで古い友だちや大切な思い出がよみがえってしまったのだろうか。かけがえなく尊い貴重なテイク。 
(5)は『The Isleys Live』のヴァージョンで。穏やかな語り口に慈しむような優しさが漂っていて、幽玄美さえ感じてしまう。古くは1995年にコンパイルした『Mellow Isleys』に収めた。 
一方、『Free Soul Garden』に収録したのが、DJでもヘヴィー・プレイしていた(6)。スリリング極まりないファンキー・ロック・グルーヴ。この曲はもともと高校生のときにXTCによるカヴァーで知ったのだが、その後ジミ・ヘンドリクス版に入れ込んだこともあった。 
(7)はカエターノ・ヴェローゾで最も好きなノンサッチ盤『Caetano Veloso』を思い起こさせる、アコースティック・ギターの弾き語りによる実況録音。この曲はこれぐらいゆっくりとしたテンポでまろやかに歌う方が、じんわり沁みてくると思う。カエターノのキャリアについても近いうちに「Toru II Toru」フリーペーパーで僕なりに振り返ってみたい。ブラジル音楽専門(偏向)リスナーの方とは、きっと違ったセレクションになるはずなので。これはその予告編として特別エントリー。ディランとカエターノは歌詞の文学性以外にも共通点が多く、ディランの“Play It Fuckin' Loud”がカエターノにとっては“禁止することを禁じる”だったのだと僕は考える。 
ディランの伝記映画『アイム・ノット・ゼア』に挿入された(8)は、そのサントラ盤の中でもひときわ素晴らしかった。ジェーン・バーキン譲りのウィスパー・ヴォイスながら、この曲におけるシャルロットは実母以上に気だるく幻想的、そしてほのかに魅惑的。もちろん他にもこの曲の絶品カヴァーは枚挙に暇がなく、何か忘れているものがある気がするが、女性ではニーナ・シモン/ロバータ・フラック、男性ではヴァン・モリソン/リッチー・ヘイヴンスの名を挙げておこう。 
“嵐からの隠れ場所をあげる”と歌われる(9)は『血の轍』の重要曲だが、「Lay Lady Lay」もカヴァーしているカサンドラ・ウィルソンの慈愛に富んだヴァージョンが僕好み。しっとりと滋味深いバラードに仕立てたイギリスのスティーヴ・アディーも忘れてはいけない。 
最後の(10)は、高校生の頃とてもお世話になった佐野元春の「サウンド・ストリート」に敬意を表して。確か生涯のベスト・シングルとして紹介されていた(ベスト・アルバムは『Blonde On Blonde』だったか)。マンフレッド・マンのポップで洒落たセンスが光る全英No.1ヒット、彼らは「Just Like A Woman」もヒットさせていたはず。ジョージィ・フェイムによる「I’ll Be Your Baby Tonight」のカヴァーを初めて聴いたのも、あの番組だった気がするし、何だかんだ、僕は佐野元春に足を向けて寝られないんだな。この場を借りて感謝! 

「公園通りみぎひだり」(2007年4月)より 
Text by Toru Hashimoto (SUBURBIA) 

今月はカート・ヴォネガットを追悼する文章を書きたいと思っていたが、2週間ほど前に1泊2日で「usen for Cafe Apres-midi」の選曲仲間でもある名古屋に住む友人・高橋孝治の家に出かけ、夜を徹して浴びるように音楽を聴いたときにバックで流していた、マーティン・スコセッシが監督したボブ・ディランのドキュメンタリー「ノー・ディレクション・ホーム」の呪縛から、このところ逃れられない。行きつけのバールで酒を飲んでいても、すぐに“How Does It Feel”などと口ばしってしまう。 
ボブ・ディランが被写体となったフィルムはスタイリッシュな作品が多く、D.A.ペネベイカーの「ドント・ルック・バック」もアンディー・ウォーホルの「スクリーン・テスト」も好きだったが、特にこの「ノー・ディレクション・ホーム」はかけがえのない存在だ。理由はもちろん言うまでもない。66年の英欧ツアーでステージに登場したディランに浴びせられた、「裏切り者ユダ!」という観客の野次。 
エレクトリック・ギターを持ったディランは、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルでもロックを敵(商業化)と見なすフォーク・ファンから「それでも仲間か」などとブーイングを受けていたが、このときに見せた彼の表情ほど僕の胸を掻きむしるものはない。そして“Play It Fuckin' Loud”とバンドのメンバーに声をかけ、「Like A Rolling Stone」が演奏されるクライマックス。とにかくこの場面に尽きる。伝説のシーンを実際に目にしてしまった衝撃は、自分の予想をはるかに越えていた。何度観ても心をえぐられる。How does it feel? 
記者会見でのディランのプレスとのやりとりも最高すぎる。決して辛辣だとは思わない。これが真っ当な(正直な)人間の然るべき対応だろう。苛立ちと諦念。僕もカフェ・ブームの頃に取材を受けていたときは、いつもあんな気分だったな、と思わず自分を重ね合わせてしまう。おかげでずいぶん敵も作ったことだろうが、気にする必要はない。ディランのようなアイロニーとユーモアは学ばなければいけないが。 
かつて恋仲だった女性たちのコメントも微笑ましい。僕の大好きな『The Freewheelin'』のジャケットでディランと腕を組んで通りを歩く、当時の恋人スージー・ロトロの愛情に満ちた話しぶりが印象的だ。別れた彼女にどう思われるか、それは男の美学にとって重要だと思う。ミュージシャン同士だったジョーン・バエズと行き違っていくいきさつでは、「愚かでないなら恋なんてしない」というディランのつぶやきが耳に残る。 
そして今の僕がいちばん感銘を受けるのが、彼の「僕は皆と同じでいたいとも無理して好かれたいとも思わないんだ」という言葉だ。聴き手も音楽業界も変わりつつある(変わってしまった)今、僕は好きな音楽を好きでい続けるために選択すべき闘いの方法を模索している(別に勝ち組とやらになるつもりはない)。それぐらい状況は悲惨な方向に進んでいる、と感じるからだ。クラブDJの際はいつも、“Put Your Records On”(好きなレコードをかけよう、という意味だと僕は解釈している)と歌うコリーヌ・ベイリー・レイのキュートな笑顔を思い浮かべて、明るくポジティヴなプレイを心がけている、というのは全くの嘘で、“Play It Fuckin' Loud”と心の中で叫んでいる。もはやヤング・マンズ・ブルースでさえない。ディランの発言は、そんな先の見えない舞台に立つ自分(厳しく孤独な道行きになるだろう)を勇気づけてくれる、ひりひりするような励ましとして響くのだ。 
いつかジョアン・ジルベルトもディランのように過去を振り返り、静かに語り始めるときが来るのだろうか。そんなことをひとしきり考えながら、今夜もまた「ノー・ディレクション・ホーム」のラスト・シークエンスを観ている。
- - -
| 1/1 |