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4月21日&27日──橋本徹のコンピ&イヴェント情報

新しいコンピレイション『サンジェルマン、うたかたの日々。』が先週末アプレミディに入荷してきました。ひとことで言うと、カッコイイCDです。セーヌ河をはさんでオルセー美術館を見つめるジャケット写真を眺めながら聴いていると、ひどくアナログ・レコードが欲しくなってきます。僕の思いは前回のブログにも掲載したライナーに詳しく書きましたが、言ってみれば、ボリス・ヴィアンに捧ぐ一枚。影の主役はアート・アンサンブル・オブ・シカゴとジョン・コルトレーン、と言ってもいいでしょう。サラヴァの精神性を通してモード〜ラーガ〜バロック〜ブラジリアン〜スピリチュアルとフランスのジャズを読みといていきましたが、最後のヴィルジニー・スゲールを聴き終える頃には、好きな映画を観た後のような、何だか切なくも甘酸っぱい安らいだ気持ちになることができます。『モンマルトル、愛の夜。』(こちらはひとことで言うと、沁みるCDですね)には鈴木惣一朗さんや松山晋也さん、ヒロチカーノを始め嬉しい感想を数多くいただきましたが、ぜひ『サンジェルマン、うたかたの日々。』もたくさんの方の心に届くことを願っています。

楽曲アプルーヴァルの都合でリリースが延期になっていた『ブルー・モノローグ Daylight At Midnight』も、スコット・マシューズ/ニュー・ザイオン・トリオ/ボニー・プリンス・ビリー/シネマティック・オーケストラ/ジョノ・マクリーリーと晴れて使用許諾が揃い、4/27にアプレミディに入荷してきますので、楽しみにしていてください。「ブルー・モノローグ」は僕にとっては「ジャズ・シュプリーム」以来と言えるかもしれない強い気持ちの入った企画で、本当は本を一冊作りたいほどですが、独白のような音楽(フォーキーな弾き語り的スタイルだけではありません)が、独白を越えて深く普遍的に(宇宙的に)響く瞬間を、コンピCDで感じてもらえたらと思います。サブタイトルはテイラー・アイグスティのアルバム名から。Pigs On Cornによるニック・ドレイク「Northern Sky」はとても入手困難だった好カヴァーで、ラストのMaximilian Heckerによるキングス・オブ・コンヴィニエンス「Homesick」カヴァーでは暖かな光が見えるはずです。この2曲を教えてくれた友人の高橋孝治に感謝しています。
選曲の過程で、多くの“気づき”もありました。オープニングのマントラー「Undying Eyes」にトッド・ラングレン初期の2枚やビーチ・ボーイズ『Friends』と同じ空気を感じたり、「The Gymnopedist」という曲があるジョノ・マクリーリーをエリック・サティとジェイムス・ブレイクを結ぶ存在と感じたり、サム・アミドンはベッドルーム・コミュニティー版テリー・キャリアー×アーサー・ラッセルだなと思ったり、“メロウ・アウト”なイーサ・デイヴィス「Perfect」(ジョニ・ミッチェル『Blue』チルドレン、と言えると思います)のフィンガースナップにエリカ・バドゥが1997年に鳴らした“Rimshot”を思ったり、エリック・シェノウはロバート・ワイアット+ティム・バックリーのように沁みこんでくるなあ、といった具合に。クライマックスと考えていたドワイト・トリブル「Ooh Child」を待つ前に、哀しいほど美しいヴァルゲイル・シグルズソンでは、こみ上げるメロディーとストリングス、胸かきむしられるメロウな音響とボニー・プリンス・ビリーの歌声の情感に泣けてしまいます。本当にこの一年、自分を救い、慰撫してくれた音楽を集めることができました。

今いちばん楽しみにしている、ブルー・ナイルのポール・ブキャナンによるソロ・アルバム『Mid Air』に先駆けて聴いた「My True Country」も、僕には“ブルー・モノローグ”として響き、心揺さぶられました。昨夜Bar Musicで開いた渡辺亨さんとのDJパーティー「Toru II Toru」では、そんな胸に沁みる曲ばかりセレクトし、レジュメ代わりに配布しているフリー・ペーパーでも特集しましたので、その記事をこのブログにも転載しておきますから、よろしければお読みください。昨日の選曲の裏テーマは、“大人の男のセンティメンタリズム”という感じでしたが、グユンやホセー・アントニオ・メンデスなどのフィーリン(素敵な名前の音楽ですね)でラム気分の甘い風も感じた夜でした。リヴォン・ヘルム追悼の意をこめて用意していた、カサンドラ・ウィルソンによるザ・バンド「The Weight」の素晴らしいカヴァーは、うっかりかけそびれてしまいましたが、遊びに来てくれていた高校の同級生とあの曲を聴きながらバーボン・ロック、という時間を持てなかったのは惜しいことをしました。そう、ポール・ブキャナンがシェイクスピアやフォークナー、フィッツジェラルドと並んで村上春樹が好きで、「ねじまき鳥クロニクル」に感銘を受けたと語っていることも、付け加えておきましょう。

「usen for Cafe Apres-midi」が空間BGMとして流れる、渋谷の新しいランドマークHikarie/ShinQsのオープンも、来週4/26に迫ってきました。そのコンセプト「スパークメント」をテーマに、僕はイメージ・コンピの選曲も行っています。心躍るような輝かしいサロン・ジャズやソフト・ロック、安らぎのクラシックを交えたサニー・セレクションで、「気分は5月の風のように」という水越けいこの曲名が、ふと頭をよぎりました(中学生のとき以来)。
先週は『ある晴れた春の日に』と題した昼夜2枚セットのCD-Rも制作し、そこにも春だからこそ聴きたくなるような、甘酸っぱく切ないサロン・ジャズやソフト・ロックをフィーチャーしています。ここでは春にまつわる歌を紹介しましょう。ブロッサム・ディアリー「A Fine Spring Morning」〜ローラ・ニーロ「Springblown」〜レックス・フォスター「In The Spring」〜フリー・デザイン「Canada In Springtime」〜ボビー・ボイル「Spring Can Really Hang You Up The Most」〜クロスウィンド「Spring Song」〜ステファニー・ヘインズ「Hi There, Spring」〜アデル・セバスチャン「I Felt Spring」〜ジェニー・デイヴィス「Joy Spring」〜メグ・クリフトン「Up Jumped Spring」……といった感じです。春の歌ではありませんが、春のような気持ちを歌った「It Might As Well Be Spring」も、パメラ・ジョイ/リサ・マクスウェル/マリエル・コーマン/パオラ・アルネサノ/スティーヴィー・ホランドに、アストラッド・ジルベルトやカーリン・アリソンまで久々に聴き直したりして、楽しい時間をすごしました。シャーリー・クラベの「You Taught My Heart To Sing」なども春らしい心情を歌った爽快なサロン・ジャズですね。
『ある晴れた春の日に』昼編は、僕がバッハの「平均率クラヴィーア曲集」で最も好きかもしれない、スヴャトスラフ・リヒテルのピアノで始まります。僕はこの演奏を聴くと、ジャック・ドゥミの「ローラ」の、あの印象的なメリーゴーラウンドのシーンを思い出して、情趣的になれるのです。締めくくりは、スコットランドのフォーキー・シンガー・ソングライター、ラブ・ノークスの泣ける名曲「Song For A Pretty Painter」を受けての、ポール・デスモンド「So Long, Frank Lloyd Wright」。ご存じサイモン&ガーファンクルの「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」の素敵なカヴァーですが、ちょうど選曲したのがライトの命日だったこともあり、また“ポール・サイモンの共感”に共感を示す意味もこめて選びました。
夜編の方では、僕が最近よく聴いているアーティストが活躍しています。フェンダー・ローズが揺れるAORとしても魅力的な、現代ブリティッシュ・フォーキーの知られざる名作『Little Glass Box』のフレイザー・アンダーソン。オーストリアのジョイス×ヴァシュティ・バニヤンという趣きで、ニック・ドレイクに捧げた「Song For Nick」やトニーニョ・オルタ「Aquelas Coisas Todas」を彷彿させる「Caminho Das Arvores」に惹かれる、女流ガット・ギタリストのダナ・テュピナンバ。感傷を誘うような淡い夕闇に溶けていくブラジリアン×AORを奏で、それぞれマイケル・フランクスとセルソ・フォンセカを思わせるエリオット・ラニーとマリオ・ファルカォン。さらにダニ・グルジェルの母デボラ・グルジェルや、フォルクロリック・ジャズのミンギ・インガラモのような、ブラジル〜アルゼンチンのメランコリックなスキャット+ピアノ。オープニングはウィリアム・フィッツシモンズによるスミス「Please Please Please Let Me Get What I Want」(この曲のカヴァーもスロウ・ムーヴィング・ミリーやケイト・ウォルシュ、オーム・グルからドリーム・アカデミーまで聴き返していました)、エンディングはカーター・カルヴァートによるシンディ・ローパー「Time After Time」カヴァーからのプリンス「Sometimes It Snows In April」、という構成には、僕のハイティーンの頃への無意識のノスタルジーが映し出されているかもしれません。春眠暁を覚えずの最近は、夢の中でよく、スペイン語によるビーチ・ボーイズ「God Only Knows」が鳴っていたりします。ペドロ・アスナール&ダヴィ・レボンの「Solo Dios Sabe」ですね。ペドロのようなアルゼンチン・レジェンドは、スピネッタのように亡くなる前に、うまく紹介する機会があればと思うのですが。

4月は僕にとって誕生月でもあり、4/3は今年は春の嵐でしたが(外の雨を眺めながら『音楽のある風景〜春から夏へ』に入れたリズ・フレッチャー「Stormy Weather」を口ずさんでいました)、ブラームスが死んでリチャード・マニュエルが生まれた日でもあることを知り、深夜までフィッツジェラルドの「夜はやさし」と「冬の夢」を読んでから、グレン・グールドと「I Shall Be Released」を聴いて眠りにつきました。僕はますます、青年期の輝かしさゆえに中年期をうまくやりすごせない“failure”フィッツジェラルドに、強く惹かれるようになっています。パレードは過ぎ去り、何かがひとつの確実な死を迎える、村上春樹は「若さの鮮やかな発熱と老成の切なさ」と書いていましたね。
それから、思わぬ誕生日プレゼントとなったのが、僕には大学生のとき観たロリポップ・ソニック以来だった小沢健二ライヴでした。「東京の街が奏でる」というタイトルが好きですね。自分が知っている(歌える)曲が多いことに改めて驚かされましたが、いくつかのモノローグとメトロノームの音(堀江敏幸の「振り子で言葉を探るように」という書評集と、エリセの「エル・スール」のことを考えました)も印象に残っています。風薫る春の夜、「過ぎ去りし日々〜90's Dream」に思いを馳せた、ささやかな幸せのひとときでした。しばらくの間は、「浮かれ浮かれてる場所で夜がすぎる間、過去も未来も忘れてたいよ」「月が輝く夜空が待ってる夕べさ、突然ほんのちょっと誰かに会いたくなるのさ」「肝心かなめの夜はまだ」といった調子で歌っていて、「橋本さん、どうしたの?」と言われていました。その週末は満開&満月を祝う花見&月見酒も満喫して、周囲の人たちへの感謝の思いが募るバースデイ・ウィークでした。
誕生日のシーズンには毎年、4/2に生まれ4/1に死んだマーヴィン・ゲイのことも考えます。あの事件が起きたのは、僕が高校生のときでした。今年はこのところ粒揃いのリワーク12インチでトリビュート・ミックスを作ってみました。「What's Going On」はMr. Beatnick/The Reflex/Cores For Spin、「I Want You」はMr. K/5 King'sを使って、もちろんムーディーマンやファーサイドも用意して。

ソウルフルな音楽を無性に聴きたくなることは誰にもあると思いますが、そんなときに最高な一枚もリリースされました。ジョージア・アン・マルドロウの『Seeds』、久しぶりに「来た!」という感じです。ストーンズ・スロウからデビューした彼女の最高傑作、黒く、美しく、気分が上がります(そう、力強いのにどこか優雅なのですね)。マッドリブのプロデュースも冴えていて、先行カットのクリア・ヴァイナルの7インチではハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ「Where's The Concern For The People」の大胆なサンプリングが衝撃的でしたが、アルバム通して聴いていると、とびぬけた輝きに、J・ディラ『Donuts』以降の彼の最高傑作でもある、と思えてきます(とにかく音が生き生きとしているのです)。一時期は、黒い音楽を欲しているときは、リイシューされたロイ・ブルックスの『Black Survival』とこれを交互に聴いていました。ディー・ディー・ブリッジウォーターも参加した、そのスピリチュアル・ジャズ伝説のレア盤と比べても、全く遜色ない素晴らしさです。
「usen for Cafe Apres-midi」ではひと足早くプレイしている、ニック・ローゼンの『Violet』も推薦しましょう。今回はビルド・アン・アークよりターン・オン・ザ・サンライトという感じのフォーキーな曲も目立ち、ビル・ウィザース「Hope She'll Be Happier With Him」をカヴァーしていますが、僕は特にエレピのメロウな「Eastside/Westside」を気に入っています。ブラジル音楽では、チブレスについで、キーニョの『O Tempo Soa』を。ハイセンスなシンガー・ソングライターで、初めて「Macia Bahia」を聴いたとき、フリー・ソウルDJをやっていた頃なら、すぐにかけただろうな、と思いました。ノラ・ジョーンズ/エリザベス・シェパード/メロディー・ガルドー/カーメン・ランディーと、ジャズ・ヴォーカル系の新譜も充実していますが、最後にもう一度、ポール・ブキャナン『Mid Air』への期待を記して、ペンを置こうと思います。“ブルー・モノローグ”として、歳を重ねたネオ・アコースティックとして、そして2012年ならではのアンビエント・ソウル〜チルアウト・ソウルとして、アルバムのリリースが待ち遠しくてなりません。そんなことを考えていたら、フォーキーなCCMシンガー・ソングライター、マーティン・ジョセフの名曲「I Will Be Waiting」が聴きたくなってきました。

4/27追記1:『サンジェルマン、うたかたの日々。』を聴きこむうちに、ひとつ付け加えたいことが生まれました。選曲者である僕自身も、どちらかと言うと脇役的に考えていた、ビーア「Eu vi」とエリック・ギィユトン「Ca va, ca vient」の連なりが存在感を増してきたのです。それぞれアンリ・サルヴァドールとピエール・バルーの素敵すぎるカヴァーですが、歌詞に作者の人生観が滲みでていて、その刻まれた年輪を思うとき、僕は彼らのロマンティシズムを感じて心打たれてしまうのかもしれません。「Eu vi」は去年、ブラジルのゼー・ミゲル・ヴィズニッキもカヴァーしていましたね。あの歌心あふれるギター&ピアノの2枚組『Indivisivel』もお薦めしておきたいと思います。

4/27追記2:いよいよゴールデン・ウィークですね。僕は今年も旅行には出かけられませんが、ライヴ三昧の日々を送ることができそうです。まずはジョー・バルビエリ、ブッゲ・ヴェッセルトフトfeat.エリック・トラファズ/イルハン・エルシャヒン/ジョー・クラウゼル、グルーパー。そういえばグルーパーは、2枚の新作も幻想的なフォーク・アンビエントの彼女らしいレコードでしたが、ミラーリングの『Foreign Body』が深夜の愛聴盤です(ディス・モータル・コイルのティム・バックリー「Song To The Siren」カヴァーを思い出しますね)。最近は4年前に好きだった「Stuck」や「Traveling Through A Sea」といった曲も聴き直したりしています。中島ノブユキのソロ・ピアノ・アルバム『Cancellare』のリリース記念パーティーで会ったharuka nakamuraと青葉市子(彼女は鎌倉のNujabesのスタジオにも遊びに来ました)が、グルーパーと一緒に音楽を作るかもしれない、と言っていたので、楽しみに待ちたいですね。

4/27追記3:ゴールデン・ウィークが明けたら、もうカルロス・アギーレ来日です。今回共演するギターのキケ・シネシに関しては、僕はやはり「Danza Sin Fin」「Saras Verdad?」が好きなのですが、昨日はプエンテ・セレステのクラリネット奏者マルセロ・モギレフスキーとのデュオ作から「El Abrazo」を聴いていました(Uyama Hirotoのファンに聴かせたくなるような、優しくスピリチュアルな感じがあるのです)。心静かな音楽祭「sense of “Quiet”」には、ブラジルからヘナート・モタ&パトリシア・ロバート、日本から青葉市子も参加します。僕は「フィガロ」のコラムで、寺田寅彦とカポーティ(「ティファニーで朝食を」)をモティーフにした文章で紹介させていただきました。

4/27追記4:ブライアン・ウィルソンが復帰したビーチ・ボーイズの新作、タイトルは『That's Why God Made The Radio』なのですね。レコードやCDばかり聴いている僕ですが、ラジオから聴く音楽の素晴らしさは特別、という経験は若き日に憶えがあります。まさに、僕らがラジオを聴く理由、ラジオは神様のプレゼント。ロバート・グラスパー・エクスペリメント『Black Radio』〜エスペランサ・スポルディング『Radio Music Society』に続き、ラジオに夢を託したくなるのは、時代の要請なのでしょうね。

4/27追記5:『ブルー・モノローグ Daylight At Midnight』全曲解説がHMVウェブサイトに掲載されました。付録に“アナザー・ブルー・モノローグ”もついて、音楽好きの方なら読み応え十分だと思います。クロス・レヴューを一緒に書いてくれた、「Quiet Corner」主宰でもある山本勇樹に感謝します。

『ブルー・モノローグ Daylight At Midnight』資料キャプション

すべてのジムノペディストに捧ぐ。

心の調律師のような音楽。
「フリー・ソウル」「カフェ・アプレミディ」「音楽のある風景」「メロウ・ビーツ」「ジャズ・シュプリーム」など多くの人気コンピを手がけてきた橋本徹(SUBURBIA)監修レーベル「アプレミディ・レコーズ」より、深い内省を秘めたブルーな音楽が胸を打つ「ブルー・モノローグ」シリーズが登場!

ニック・ドレイクとロバート・ワイアット、ビル・エヴァンスとキース・ジャレット、ジェイムス・ブレイクとホセ・ゴンザレスとアントニー&ザ・ジョンソンズ、マイルス・デイヴィス『Kind Of Blue』とジョニ・ミッチェル『Blue』……そんな遺伝子を継いだ21世紀の名作たち。
目頭が熱くなるフォーク・ブルースから、魂を揺さぶられるピアノ・ダブまで、切なくも安らかな陰影を刻み、狂おしいほどに夢幻の美しさを追想する“自己との対話”。届けられない祈りと忘れえぬ面影、心の殻を柔らかく溶かす“Daylight At Midnight”が暗闇の先に希望の光を照らす、ポスト3.11のサウンドトラック=救済の歌。

『ブルー・モノローグ Daylight At Midnight』ライナー

ジョアン・ジルベルト、ベン・ワット、ニック・ドレイク……独白のような音楽が昔から好きだった。いつか見た夢のように、いつも心のどこかに残っている。
ギターを抱えた、フォーキーで繊細な弾き語りを聴かせてくれる歌手たちだけでない。例えば、2010年の末に出会ったテイラー・アイグスティの『Daylight At Midnight』というアルバム。若く才能あるジャズ・ピアニストが、ニック・ドレイクやエリオット・スミス、ルーファス・ウェインライトなどをカヴァーしていた。かつてビル・エヴァンスが「自己との対話」(『Conversations With Myself』)と名づけた内省的な空気の震えが感じられた。深夜、静かに耳を傾けていると、そこには時代を包むブルーな憂愁が漂っているように思えた。音楽にとって「ブルー」は特別な色だ。

僕はブルーな独白のような音楽に惹かれる。哀切と寂寞、孤独の影。現実と夢想のせめぎあいが生む、言い知れぬ憂い。悪魔は悪の化身ではなく、周囲に理解されない孤独な魂の持ち主だとするロマン派の「メランコリー」、そしてデューラーの「メランコリア」からゴヤに至るまでの系譜が、深い思索のような音楽に重なってくる。
苦い諦念や失望、葛藤と無常感があらかじめ設定された空気のように存在する21世紀の音楽だから、音を奏でることに、避けがたく、何がしかの「災厄」が影を落としているが、決して救いのなさ、やりきれなさだけではない。暗闇の先には、まるで夢のわずかな残像のように甘い、かすかな光も見える。時間をかけて音楽がじっくりと心の奥深くに沁みわたってくると、その光はゆっくりと確実に見えてくる。音楽を聴くことは「体感」だと実感させられる。優れた文学の多くが、言葉の音楽性が豊かであるように、ブルーな独白のような音楽は、言語性の豊かなイマージュをはらんでいる。

ドワイト・トリブルが歌う「Ooh Child」の歌詞を最後に引用しよう。
Ooh child, things are gonna get easier 少しずつ良くなるさ
Ooh child, things'll get brighter いつかもっと明るくなるよ
(If you tired of the crying, come on 泣くことに疲れたら、こっちにおいで)

2012年3月 橋本徹(SUBURBIA)

ブルー・ナイル&ポール・ブキャナンをめぐる「Toru II Toru」的推薦盤10枚 
Selection & Text by Toru Hashimoto (SUBURBIA) 
(1)Prefab Sprout『Jordan: The Comeback』 
(2)It’s Immaterial『Song』 
(3)V.A.『The Tree And The Bird And The Fish And The Bell』 
(4)Craig Armstrong『The Space Between Us』 
(5)Rickie Lee Jones『Duches Of Coolsville』 
(6)Lambchop『Is A Woman』 
(7)Mark Hollis『Mark Hollis』 
(8)Duncan Sheik『Phantom Moon』 
(9)Fraser Anderson『Little Glass Box』 
(10)V.A.『The Original Motion Picture Soundtrack From The Film Death In Venice』 
来月リリース予定のブルー・ナイルのポール・ブキャナンのソロ・アルバム『Mid Air』に先駆けて、新曲「My True Country」を聴いた。とても素晴らしい。渡辺亨さんほど熱心なブルー・ナイル・ファンというわけではないが、そのデビューからの長い歩みは、僕の音楽人生とそのまま重なる(そういう意味では寡作なことも含めシャーデーと存在感が似ている)。折りに触れ惹かれてきたブルー・ナイルの音楽から連想する推薦盤を、僕なりに紹介していこう。 
1984年、高校生のときはファースト『A Walk Across The Rooftops』(「愛する人のことを想いながら夜ふけに歩く姿を見事にとらえている」という評が印象的だった)以上に、その中の名曲「Tinseltown In The Rain」の12インチをよく聴いていた。ネオアコでもエレポップでもくくれないブルー・ナイルを、当時クラスメイトだった音楽仲間と僕は、例えばティアーズ・フォー・フィアーズのファースト『The Hurting』やデペッシュ・モードのセカンド『A Broken Flame』のように、シンセをアコースティックに響かせる叙情派、という流れで捉えていたことは、書いておくべきだと思う(あるいはロータス・イーターズの『No Sense Of Sin』やチャイナ・クライシスの『Working With Fire And Steel』、デヴィッド・シルヴィアンの耽美性やロイド・コールの文学性も影を落としていたかもしれない)。言ってみれば僕の中では、ペイル・ファウンテンズ/アズテック・カメラ/スタイル・カウンシル/エヴリシング・バット・ザ・ガールなどのトップ・フェイヴァリットに続く第2グループ(青くさいバンドが好きだったということか)。そんな昔の話を思い出していると、まず挙げたくなるのが、グラスゴーのブルー・ナイルに対し、同じ頃ニューキャッスルから現れたプリファブ・スプラウトだ。 
80年代後半、イギリスではニュー・ウェイヴ勢の中からAOR〜ブルー・アイド・ソウルの英国流解釈が相次いで生まれたが(その多くはスティーリー・ダンを音楽的な範としているように見えた)、そうした傾向の中で僕にとって特別な存在となったのがプリファブ・スプラウトとブルー・ナイルだった。ブルー・ナイルは1989年、芳醇なメロディーとセンティメンタルな歌詞、静かな情熱を感じさせるヴォーカルに美しい浮遊感と空間性をまとったセカンド『Hats』を発表したが(R.E.M.「Nightswimming」のように沁みる大人のロック、と言いたくなる)、それはソウル・II・ソウルやデ・ラ・ソウルが登場した年でもあった。僕はほとんどUKロックを聴かなくなっていたが、それでもこのアルバムと(1)は繰り返し聴いたのを憶えている。ダニー・ウィルソン&ゲイリー・クラークやバイブル&ブー・ヒュワディーンといった優れたソングライターを輩出した、ポスト・スティーリー・ダン群像の中でも、両者は孤高の輝きを放っていた。 
もうひとつ、同時代を歩んだグループでは、イッツ・イマテリアルに触れておきたい。僕がクルマによく乗っていた大学時代、ふと口ずさむことの多かった「Driving Away From Home」のキャッチーな魅力とは違うが、ブルー・ナイルとの親和性という観点から、(1)と同じ1990年作の(2)を。シンセによるオーケストレイションを得意とする、ブルー・ナイルの準メンバーと言っていいカラム・マルコムが手がけるオーガニックなエレクトリック・サウンド。電子楽器と生楽器の融合が生む透明な叙情性は、もちろんブルー・ナイルの真髄でもある。彼の手腕はプリファブ・スプラウト『Steve McQueen』のレガシー・エディションでも、トーマス・ドルビーと共に光っていた。 
そしてもう一枚、この時期から選んだのが、ディーコン・ブルーのリッキー・ロスが提唱した、グラスゴーの写真家Oscar Marzaroliの作品のためのチャリティー・アルバム(3)。グラスゴーのアーティストたちが集い、ロイド・コールのライヴや、フェアグラウンド・アトラクションのエディー・リーダーの初ソロと並んで、ブルー・ナイルのアルバム未収録曲「Regret」が収められている。 
そう、アルバム未収の好きな曲が多いのも、僕のブルー・ナイルへの印象だ。中でも「The Downtown Lights」の懐かしい3インチCDシングルの「The Wires Are Down」、「Happiness」の白ジャケCDシングルの「Wish Me Well」は特筆すべき。『Hats』の高い評価を受けて(アニー・レノックスとロッド・スチュワートは「The Downtown Lights」をカヴァーした)ロビー・ロバートソン『Storyville』やピーター・ゲイブリエル『OVO』(ダニエル・ラノワ的“大人のロック”人脈)など、共演作も様々だが、僕が惚れこんだのは、やはりスコットランド出身で映画音楽家としても知られるクレイグ・アームストロングの、マッシヴ・アタック主宰メランコリック・レーベルから出た(4)。コクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーも参加した、ピアノ&ストリングスも絶品のアルバムで、ポール・ブキャナン自身が歌うブルー・ナイル「Let’s Go Out Tonight」が素晴らしすぎる。今ならシネマティック・オーケストラ的、と言われるかもしれない。ジャケットに12枚の美しい写真が連なるところも。 
さらに、ブルー・ナイルでも指折りの名曲だと思う「Easter Parade」は、この曲を気に入ったリッキー・リー・ジョーンズとの共演版もあって、今は彼女のアンソロジー(5)で聴くことができる。僕の大好きな「On Saturday Afternoons In 1963」も入っているので、ぜひお手許に。あまり知られていないだろうポール・ブキャナンの客演では、クリス・ボッティの「Midnight Without You」とアクアラングの「Garden Of Love」を、彼の歌声だからこその逸品として挙げておく。 
90年代後半以降は、ブルー・ナイルとその周辺を以前ほど細かく追いかけることはなくなったが、1996年のサード『Peace At Last』のクリスマス・ソング「Family Life」やアコースティック・ギターのカッティングが心地よい「Tomorrow Morning」は忘れられないし、2004年の4作目『High』は『Hats』とも通じ合う味わい深い落ちつきと研ぎ澄まされた普遍性に好印象を抱く。そして先月、近年はソロ活動が目立っていたポール・ブキャナンの新曲「My True Country」が届いた。物憂げでほろ苦くもどこか甘美な夜の光を思わせる歌い口が、ちょうど“3.11”から1年を迎える内省的な心情に深く沁みわたった。彼がブルー・ナイルというバンド名に託した「遥か彼方の美しい風景」が見えたような気がした。自分にとってブルー・ナイル関連の最高傑作になるだろうという確信がよぎった。 
「My True Country」を聴いて最初に思い浮かべたのはラムチョップ(6)だった。ポール・ブキャナンの滋味に富んだ震えるような歌声を、真夜中の静寂の中でカート・ワグナーに重ねた。それと共に、同じ頃コンピレイション『ブルー・モノローグ Daylight At Midnight』にエントリーしていたスコット・マシューズ「Piano Song」〜オッドフェローズ・カジノ「The Crows And The Rocks」〜レイフ・ヴォルベック「1921」に思いをめぐらせた。そう、この曲もまた、“ブルー・モノローグ”だった。 
来たるべき『Mid Air』はどんなアルバムになるだろう、と想像する中で思い浮かんだのは、後期トーク・トークの延長線上にある、マーク・ホリスの静謐でメランコリックなソロ作(7)。アコースティック&クラシカル・アンビエンスに包まれた、ブルー・ナイルとロバート・ワイアットを結ぶような一枚だ。あるいは、10代の頃にビーチ・ボーイズやスミスと並んでブルー・ナイルから影響を受けたというダンカン・シークが、劇作家・詩人のスティーヴン・セイターと組んでノンサッチに吹き込んだアコースティック・プロジェクト(8)。『Pink Moon』をもじったタイトルからもうかがえるニック・ドレイク、そしてマーク・ホリスやデヴィッド・シルヴィアンの美学と感性が息づいている。 
もう少しブルー・アイド・ソウル〜AOR的な作風を期待するなら、フレイザー・アンダーソンの現代ブリティッシュ・フォーキー隠れ名盤(9)を好サンプルとして提示したい。ニック・ドレイクやヴァン・モリソンの好サポートでも名高いベースのダニー・トンプソン、揺れるフェンダー・ローズのマックス・ミドルトンもメロウなアクセントで心に響く歌を引き立てている。『Mid Air』への夢想は尽きることがないが、以前に渡辺亨さんによるポール・ブキャナンへのインタヴューを立ち読みしているとき、引き合いに出されていてひどく心を動かされた、グスタフ・マーラーの19歳下のアルマ・シンドラーへの愛の告白「アダージェット」を、ヴィスコンティ映画「ベニスに死す」の美しい映像を思い描きながらサントラ(10)で聴いて、とりとめのない回想を締めくくることにしよう。 

ジョー・バルビエリをめぐる「Toru II Toru」的推薦盤10枚 
Selection & Text by Toru Hashimoto (SUBURBIA) 
(1)Caetano Veloso『Omaggio a Federico e Giulietta』 
(2)Jorge Drexler『Serie De Ora: Grandes Exitos』 
(3)Celso Fonseca‐Ronaldo Bastos『Sorte』 
(4)Mario Falcao『Amador』 
(5)Rodrigo Rodrigues『Fake Standards』 
(6)Roberto Guimaraes『Saudade de Mim』 
(7)Marcio Faraco『O Tempo』 
(8)Henri Salvador『Chambre Avec Vue』 
(9)Michael Franks『Abandoned Garden』 
(10)Elliott Ranney『An Aging Sailors Dream』 
新作『Respiro』も好評、待望の来日公演も間近のジョー・バルビエリ。優美な溜め息とほろ苦い哀愁が溶け合う美しい詩とメロディーを綴り、“イタリアのカエターノ”とも言われたりする彼の音楽を愛する方に、カエターノ・ヴェローゾの長いキャリアから何か一枚、と言われたら僕は(1)を選ぶ。1997年にサンマリノで行われたライヴ、通称『フェリーニへのオマージュ』。知性とロマン、カエターノの美学とイタリアの蜜月の幸福な記録。亡きフェリーニとジュリエッタに捧げた選曲(カエターノ自身による詳細なライナーは必読)を、ジャキス・モレレンバウムのチェロを中心とするアコースティック・アンサンブルで奏でる。次点はやはり、その直後に発表された『Livro』だろうか。カエターノの音楽はいつも、音で聴く文学(“Livro”=書物)のようでもあるが、ジョー・バルビエリのアルバムも、どれも心暖まる短編集のよう。ラストのカエターノ版「サンバ・サラヴァ」と言える「Pra Ninguem」では、ブラジルの素晴らしい音楽家たちの名を讃えた後、「これより素晴らしいのは静寂だけだ、そして静寂より素晴らしいのはジョアンだけだ」と歌われるが、ジョアン・ジルベルトを深く愛するジョー・バルビエリも、にこやかにうなずいたに違いない。 
『Respiro』で胸が熱くなるデュエットを聴かせてくれたホルヘ・ドレクスレルも、“ウルグアイのカエターノ”と言われたりするが、ジョー・バルビエリ・ファンには何を推薦すべきだろう。この一曲ということなら「usen for Cafe Apres-midi」のヘヴィー・ローテイション「Las Transeuntes」かレディオヘッド「High And Dry」の名カヴァーだろうが、この機会にアルバムを12枚すべて聴き返してみると、意外にも(?)アコースティックなトータリティーで(2)が浮上。ブラジルはリオに目を移すと、セルソ・フォンセカは同様の理由から弾き語り(+室内楽風ストリングス)的な(3)に。一曲と言えばこれに間違いないだろう「Slow Motion Bossa Nova」(『音楽のある風景〜秋から冬へ』に入れたヴァージョンの美しい翳りが究極)のプロトタイプとも言えそう。“ポルトアレグレのセルソ・フォンセカ”と言いたくなるマリオ・ファルカォンの(4)は最近のお気に入り。夕闇の似合うジャジーな佇まいに誘われ、「Amador」「Danca Dos Lacos de Fita」はブラジリアン・アーバンAORの精粋。 
ムジカ・リジェイラのホドリーゴ・ホドリゲスがジャズ・スタンダードを歌い、死後に陽の目を見たソロ作(5)も、「もしカエターノが『チェット・ベイカー・シングス』を歌ったら」という惹句を裏切らない素晴らしさ。『音楽のある風景〜夏から秋へ』には「Moonlight In Vermont」、『素晴らしきメランコリーの世界〜ギター&フォーキー・アンビエンス』には「I Get Along Without You Very Well」を収めたほど。ミナスからは、古くはジョアン・ジルベルトに楽曲提供し、ボサノヴァ・コーラス・グループのサンバカーナの初期メンバーでもあったホベルト・ギマランエスの(6)を。フラヴィオ・ヴェントゥリーニ/トニーニョ・オルタ/セウ・ジョルジらを客演に迎え、ハーフ・ヴォイスとソフト・サウンディングで描く淡い夢幻、まろやかな洗練。胸を締めつけるサウダージにヨーロッパの異国情趣がほのかに香る、ブラジルからフランスに渡ったマルシオ・ファラコも粒揃いで選盤に悩むが、ジョー・バルビエリ好きには近作の(7)か。切なさと甘酸っぱさが柔らかな風に溶ける、知る人ぞ知る名作。一曲と言えば、僕は「Cidade」も推すが。 
フランスならアンリ・サルヴァドールの復活盤(8)も忘れてはいけない。甘やかで優雅なラテンの感性が息づくジェントルで美しい歌と、粋なメロウネスをたたえた瀟洒なアレンジメント。バンジャマン・ビオレーにケレン・アン、フランソワーズ・アルディーとのデュエットも含むフレンチ・ボサの人気作。彼の死によって共演こそ実現しなかったものの、ジョー・バルビエリは前作『Maison Maravilha』で「万里の長城」をカヴァーしていた。 
最後はアメリカからリストアップ。トミー・リピューマ〜ニック・デカロ〜クラウス・オガーマンといった製作陣による、ジャズとボサノヴァのフレイヴァー漂う70年代のソフト&メロウなシティー・ミュージックもジョー・バルビエリの音楽と親和性が高いが(そうした中で敢えて僕が今の気分で一曲挙げるとすれば、マーク=アーモンドによるダニー・オキーフのカヴァー「You Look Just Like A Girl Again」かな)、今回はもう少し後の時代から。その系譜の王道とも言えるマイケル・フランクスは、実は昨年の『Time Together』も夏の夕暮れに聴きたい好アルバムだったが、好きな曲が多く揃っているという観点から、アントニオ・カルロス・ジョビンの死を悼んで作った1995年の(9)。ジャズの神秘性と夜の香り、耽美で内省的な雰囲気は、あの「Antonio’s Song」より僕は好きかもしれない。もちろん70年代の『Sleeping Gypsy』(特に「Down In Brazil」はジョー・バルビエリとの相性という意味でも決定的な一曲だろう)や、ジョアン・ジルベルトがイタリアの名曲「Estate」を“静かに、息をするように”歌った『Amoroso』、ニック・デカロのその名も『Italian Graffiti』などの誉れ高い名盤を、ここに挙げても構わないのだが。 
エリオット・ラニー(と読むのかな)の(10)はぜひ覚えておいていただきたい。誰が呼んだか、“21世紀のマイケル・フランクス”。ケニー・ランキンをも思わせ(声質は特に)、「The Good Life」「I Still Remember You」「Together」といった素朴で地味ながら胸に沁みる曲を、「usen for Cafe Apres-midi」では繰り返しセレクトしている。ジョー・バルビエリのディレクターにはいつか彼の日本盤もリリースしてほしい、と切に願う。 

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