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3月16日──橋本徹のコンピ&DJパーティー情報

僕の選曲した新しいコンピレイション『モンマルトル、愛の夜。』が、アプレミディに入荷してきました(全国リリースは3/21)。音楽も、生き方も、敬愛してやまないピエール・バルーが主宰するサラヴァ・レーベルの作品集です。詳しいCDの内容については、僕の書いたライナーを、4/25リリースの兄弟編『サンジェルマン、うたかたの日々。』分と併せて、このページの最後に掲載しておきますので、ぜひお読みいただいて、その思い入れの深さを感じてもらえたら嬉しいです。中上修作の各曲解説、小野英作のアートワークのおかげもあって、ブックレットもとてもいい感じに仕上がっています。裏表紙には、「海が凪ぐときはジュリアーナに会いに行く」という名曲「Saudade」の歌詞をあしらいました(『サンジェルマン、うたかたの日々。』には、エリック・ギィユトンによる好カヴァーを収録した、ピエール・バルーの人生観が滲む「Ca va, ca vient」の一節を選んでいます)。

 

1月末にリリースされた『サロン・ジャズ・ラヴ・ソングス』は、もう聴いていただけましたでしょうか。ヴァレンタイン前には、僕もいくつかのFM局に招んでいただき、収録曲をかけてもらったり、恋愛不器用な自分なりにヴァレンタインの思い出を語ったり、と楽しませてもらいました。本当に名曲ばかりですので、この季節ならではの役に立てたのなら本望です。最近は、ホーギー・カーマイケルが書いたジャズ・ヴォーカルのスタンダードにして、春の訪れを探して夜空をさまよう恋心を歌ったラヴ・ソング「Skylark」を、アン・バートン/カサンドラ・ウィルソン/グレッチェン・パーラト/ロヴィーサなどで聴き比べたりもしています。
普段の音楽生活も、早春という季節を何となく意識した日々だったように思います。「早春」と言えば小津安二郎の映画ですが、僕はポーランドのイエジー・スコリモフスキがイギリスで撮った「早春」も、トラウマのように忘れられない一本です(近作の「アンナと過ごした4日間」も好きでしたが、その原点と言えるかもしれませんね)。どこかゴダール的センスを感じさせ、ポール・マッカートニーの恋人だったジェーン・アッシャーがヒロインでした。レコードでは、高校生のときに買った英ラフ・トレイドのオムニバス『Nipped In The Bud』の邦題が『早春』でした。ヤング・マーブル・ジャイアンツ(岡崎京子の彼女らしい讃辞が忘れられません)/ジスト/ウィークエンド、どのバンドも青春時代の思い出ですが、大人になって、その日本盤を出された方と何枚もコンピレイションを作ることになるとは、当時は想像もしませんでした。

 

春先に相応しい音楽もいくつか紹介していきましょう。エウジェニア・メロ・エ・カストロの『Um Gosto De Sol』は、美しい浮遊感に惹かれる“ポルトガル・ミーツ・ミナス”の好盤。ミルトン・ナシメントやベト・ゲジス&カエターノ・ヴェローゾなどの珠玉のカヴァーが続きますが、白眉はトニーニョ・オルタとの「Fogo De Palha」。ブラジルの新星、ティト・マルセロのアコースティックな『Fragil Verde, Forca De Quebrar』も粒揃いの一枚で、陽だまりのAORフィーリングに包まれ、心地よいサウダージ・ブリーズに吹かれます。芽吹きのようなジャケットにも好感を抱く、まさに早春の音。
アルゼンチンならではのサウダージ香るパブロ・フアレスの『Sumergido』は、美しいピアノとフルートが早春のささやかな風とメランコリックに溶け合う「El Caminante」「Pescador Y Trenes」が絶品。一聴して、Nujabesに聴かせたい、と思わされたほど。女性ヴォーカルによるカルロス・アギーレ作「Memoria De Pueblo」もしっとりと夕空に響く、室内楽的アンサンブルによる出色のフォルクロリック・ジャズです。パオロ・フレス&オマール・ソーサfeat.ジャキス・モレレンバウムの『Alma』に収められたポール・サイモン「Under African Skies」のカヴァーも、イタリア・トランペット×キューバ・ピアノ×ブラジル・チェロによるコスモポリタンな名品で、早春の軽やかな午後につい口笛を吹いてしまうほどピースフル。
“イタリアのカエターノ・ヴェローゾ”と言われたりもするジョー・バルビエリの新作も、今の季節にフィットする、期待に違わぬアルバムでした。僕はCDのステッカーに推薦コメントを寄せたほど気に入っていますが、ファン待望のホルヘ・ドレクスレルとのデュエットと、「Il Balconcino Del Quinto Piano」はとりわけ泣ける逸品。まさにカエターノを思わせる「Un Regno Da Disfare」(ピアノを弾くのはステファノ・ボラーニ)、日本のために歌ってくれた「見上げてごらん夜の星を」(安易に「上を向いて歩こう」を選ばないところに、真摯と誠実を感じます)などを聴いていても、4月末に決まった来日公演が楽しみになってきます。
新着では、カルロス・ニーニョ&フレンズのアンビエント・アルバム『Aquariusssssss』もヘヴィー・ローテイションでした。彼がこういう作品に行き着くのは必然だと考えていましたが、予想以上に何度も繰り返し聴けるクオリティーとなったことを嬉しく思います。オープニングはミゲル・アトウッド・ファーガソンとのその名も「Mezame」で、朝ふと目を覚ますと枕元のCDラジカセのプレイ・ボタンを押してしまい、ヤソス(!)との“Listening To The Conversation Of The Birds”で春を呼ぶ窓の外の小鳥たちのさえずりにも耳を澄ませたりしながら、デイデラスとの「Sparkling Arch Of Existence」を聴き終えると外出、という感じで午前中の時間に理想的に機能しています。そう、このラスト曲とその前の28分を越えるドローン・メディテイションのふたつのボーナス・トラックがとても効いているので、この『Aquariusssssss』は日本盤CDで購入することをお薦めしますね。

 

一方で、僕が最も音楽と深く向き合えるのは、相変わらず真夜中です。0時から4時ぐらいの間、よほど酒に酔っていないかぎり、毎晩レコードやCDを聴いています。暗い男と思われるでしょうが、これも何かの役に立てばと、現在放送している「usen for Cafe Apres-midi」では、その時間帯に同名のまもなくリリース予定のコンピレイションと連動して、「ブルー・モノローグ」と題した特集選曲を行っています。大震災から1年という時期でもあり、様々な音楽が胸に沁みてきますが、大学生のとき好きだったプリンスの「Sometimes It Snows In April」(1986年の横浜スタジアムではアンコールに演奏されました)を最近またよく聴いてしまうのも、人の死と向き合うことが増えたからでしょうか。歌の最後、“Love, it isn't love until it's past”というフレーズが昔から心に響きましたが、今は言葉を失います。
前回のブログでも触れたボン・イヴェールの「Woods」の歌詞にも心を打たれます。“I'm down on my mind. I'm building a still to slow down the time”(じっくりと自分と向き合い、時の流れをゆっくりとさせるため、静けさを作る)と繰り返す、ジャスティン・ヴァーノンの震えるように揺らぐ歌声。静けさの中で、まさに時が止まります。深い夜、僕が惹かれるのは、こうした音楽なのでしょう。そんな、この冬から春にかけて、特に気に入っている曲を、他にも挙げていきましょう。
まず何と言っても、スミス「心に茨をもつ少年」のカヴァーも死ぬほど好きなスコット・マシューズの「Piano Song」。というか彼の2011年作『What The Night Delivers...』は、遅ればせながら聴きましたが、ジェイムス・ブレイクを抑えて去年のマイ・ベスト・アルバムかもしれません。ベン・ワットの『North Marine Drive』と肩を並べるほど肌に合う、深い溜め息のような音楽。中でもエンディングに置かれたこの曲は、心浄められる美しさです。それから2010年の隠れ名盤、Leif Vollebekkの『Inland』。カナダのモントリオールに生まれ、アイスランドのレイキャヴィクに学んだ男性SSWですが、ボブ・ディラン好きにも強く推薦します。とりわけ、3/11に作ったCD-R『2012年3月11日。音楽が終わった後に』に入れた「1921」と「In The Midst Of Blue & Green」は、生涯の名曲となるはずです。
ニュー・アライヴァルでは、オッドフェローズ・カジノの「The Crows And The Rocks」、Eric Chenauxの「Amazing Backgrounds」に胸をかきむしられます。もちろん『2012年3月11日。音楽が終わった後に』に収めました(この2曲の間に置いたのはラムチョップ「If Not I'll Just Die」でした)。ホセ・ゴンザレスと並び称されるスウェーデンのHakan Jorminの「Things Will Happen」や、ヴァシュティ・バニヤンとの共演でも知られるグラスゴーのガレス・ディクソンの「Two Trains」も。ここまで挙げてきた名を結ぶ言葉は、やはり“ニック・ドレイク・チルドレン”ということになるのでしょうね(ロバート・ワイアットも彷彿させますが)。
真夜中の定番ECMは、前回紹介したチャールズ・ロイド・カルテット『Mirror』、新譜のトルド・グスタフセン『The Well』に加え、去年出たケティル・ビヨルンスタ/スヴァンテ・ヘンリソンのずばり『Night Song』をよく聴きました。シューベルトに捧げたピアノとチェロのデュオで、北欧らしい静寂のアンビエンスと透明なセンティメントが深夜の読書のBGMにも最適です。僕はこのアルバムを聴き終えて本を閉じ、シネマティック・オーケストラが20世紀初頭の無声映画に音楽をつけた新作『In Motion』を聴きながら就寝、ということが何度かありました。それぞれを『2012年3月11日。音楽が終わった後に』の2枚のCD-Rのエピローグとしましたが。

 

この流れで、中島ノブユキのソロ・ピアノ作となるニュー・アルバムも、ぜひ紹介したいところです。タイトルの『Cancellare』は、今回カヴァーされたジョアン・ジルベルトでお馴染みの「Estate」の一節から取られていて、僕は彼が高校生のときにこの曲を好きな女の子に渡す選曲テープに入れたという話を以前に聴いていたので、そのロマンティストぶりに、何だか微笑ましいような、応援したいような気持ちになりました。バッハ/ジョビン×2/ルグランなどの中島ノブユキらしいレパートリーに、名盤『メランコリア』の人気曲「忘れかけた面影」と名演揃いですが、僕が最も惹かれるのは、レコーディング最終日の朝に書き下ろしたという、「届けられない祈り」と題されたオリジナル曲。ビル・エヴァンスで言えば「Peace Piece」に耳を澄ますように、大切に聴いています。最近のメランコリックなピアノ曲では、小瀬村晶のスコーレからのリリース、ダコタ・スイートとの共演も静かな話題を呼んだフランスのピアニスト、Quentin Sirjacqの「Obsession」なども、中島ノブユキを愛する貴方にお薦めですね。
『2012年3月11日。音楽が終わった後に』のインデックスを見ると、リイシューからは、揺らぎ/内省的な歌い口/スモーキー・ヴォイスと今好きな音と一緒に聴ける条件を備えた“いにしえのキューバ”として特筆すべきホセー・アントニオ・メンデス『フィーリンの真実』からのセレクション(艶かしくもノスタルジックで、カエターノ・ヴェローゾも連想しますね)を始め、メイフライの「Dawn Of An Old Man's Life」、プレンティス&タトルの「Lisa」、ジプシー・トリップスの「Rock 'n' Roll Gypsies」などを選んでいて、やはり震災から1年という心象が浮かびますが、ひと月前に作ったCD-R『Pray for 3.11』に入れたフィリップ・ジョン・ルーウィン「Other Realities」も、その系譜でとらえていいと思います。僕にはイントロのピアノからリチャード・マニュエルの姿がよみがえる、『Music From Big Pink』とジョン&べヴァリー・マーティンを結ぶような名曲です。『Pray for 3.11』では、この曲が出てくる瞬間と共に、ルーファス・ウェインライトによるセルジュ・ゲンスブール「手ぎれ」のカヴァーからベイルート「The Rip Tide」への連なり(そこから「Hard Times Come Again No More」と歌ったジェイムス・テイラー×ヨーヨー・マヘ)でも、涙がこみ上げそうになってしまいます。

 

このひと月の間は、DJの予定はあまりなかったのですが、やはり2/25深夜に西麻布・elevenで開かれたNujabes二周忌「Eternal Soul」は胸に迫るものがありました。800人のオーディエンスを前にプレイすることは、残念ながら最近はほぼなくなってしまったので、そんな場面でニュー・ザイオン・トリオの「Lost Dub」などを大音量でかけられたのは、嬉しくも貴重な体験でした。みんな気持ちよさそうに踊ってくれていましたが、メンタル・レメディー「The Sun・The Moon・Our Souls」あたりから心も身体も温かくなり、ファラオ・サンダース「Save Our Children」リミックスでは感極まり震えるようなフロアの空気が地響きとなって伝わってきました。そしてファンキー・DL「Don't Even Try It」ではそれが熱狂へと変わり、改めてNujabesがフリー・ソウルとメロウ・ビーツのファンを結んでくれたことを実感しました。最後はその日、まるで運命のように子供が生まれたUyama Hirotoの「Homeward Journey」リミックス、さらに遺作から「Prayer」をNujabesに贈ってブースを後にしました。あのシンガーズ・アンリミテッド「Here, There And Everywhere」のパートではフロアのみんなと大合唱しました。
ペイス・ロックとサイズ・スターも同行した翌日の墓参りでは、Uyama Hirotoが捧げたファラオ・サンダースが墓前に深く沁みわたりました。毎年、魂に共鳴する彼の吹奏を聴くことで、一年をリセットし、初心を忘れずにいられるような気がします。その夜は、Nujabesがインスパイアされてトラックを作りかけていたというスピリチュアル・ジャズの名作、Jothan Callinsの『Winds Of Change』(ピアノはジョー・ボナーで、「Prayer For Love And Peace」という曲で始まります)を聴いた後、追悼盤『Modal Soul Classics II』を聴きながら眠りにつきました。冬の夜にこれほど沁みる曲はないと思うザック・オースティン「No One Like You」の“I can never find you”というマイケル・フランクスの歌声が、いつまでも木霊していました。「In The Eye Of The Storm」は夏にしか聴かない(でも、夏の夕暮れから夜にかけて聴くと本当に格別な)『Sleeping Gypsy』の中でも地味な曲なのに、と音楽の魔法に気の遠くなるような敬意を覚えながら。

 

ひと月の間に、ライヴもいくつか観に行きました。初来日だったトーマス・ドルビー(僕の思い入れはプリファブ・スプラウト『Steve McQueen』のプロデューサーとしてですが)、ジョアン・ジルベルト〜カエターノ・ヴェローゾ好きの多くの方に聴いてほしかったヴィニシウス・カントゥアリア&ビル・フリゼール(ミルトン・ナシメントやジルベルト・ジルの曲も演ってくれました)、明日はスタンリー・カウエルの最もよく聴くストラタ・イーストに吹き込まれたソロ・ピアノ作『Musa』セットですが、ここでは2日にわたって足を運んだグレッチェン・パーラトに触れましょう。 
彼女の昨年のアルバム『The Lost And Found』は、2011ベストテンに選んだほどのフェイヴァリット盤でしたので、来日が決まってからとても楽しみにしていました。しかもピアニストには、やはり大愛聴盤『Daylight At Midnight』のテイラー・アイグスティが同行し、期待はこれ以上ないほど高まっていたのですが、見事にそれに応えてくれたのです。その感激は、ちょっとこれまでに味わったことがない種類のものでした。背筋がぶるっと震える感じではなく、そこはかとない色香に、何だか産毛がそわっとするような、鳥肌が“柔らかく”立つような、あの感じ。まさに“Blue In Green”なジャズ・ヴォーカルと、体温低めのクールなグルーヴは、まさしく僕の聴きたかった音楽でした。シンプリー・レッド「Holding Back The Years」のカヴァーは、ソウル〜ヒップホップもよく理解したドラミングによってCD以上の素晴らしさ。メアリー・J. ブライジ/ローリン・ヒルの「All That I Can Say」やSWVの「Weak」も、言わずもがな彼女の色に染まり、ジャヴァン「Flor De Lis」、パウリーニョ・ダ・ヴィオラ「Alo, Alo」と、ブラジル音楽ファンに嬉しいレパートリーも。MCでロバート・グラスパーについて触れた後のハービー・ハンコック「Butterfly」〜ウェイン・ショーター「Juju」にも息を呑みました。

 

そういえば、ロバート・グラスパー『Black Radio』も、未だによく聴いていますね。2/15の渡辺亨さんとの選曲会「Toru II Toru」での、エリカ・バドゥ歌う「Afro Blue」から、そのアビー・リンカーン・ヴァージョンへのリレーには、グレッチェン・パーラトのライヴと同種の、肌がそわっとする感動を味わえました。
僕はこのアルバムには、小沢健二も引用したプリファブ・スプラウト「Cruel」の歌詞に倣って、「ロバート・グラスパーのアーバン・ブルースへの貢献」というフレーズが相応しいと思っています。サウンド・デザイナーとして、トータル・プロデューサーとして、彼の才気と美意識が隅々にまで行き渡っていて、よくできたコンピレイションとしても聴くことができますが、ジャズはアドリブ・ソロ、といった言説とは無縁の地平にある、ピアニストとしての過不足ない絶妙なプレイも、僕は讃えたいです。この美学こそ、メロウ・ピアノの真髄と言ってもいいでしょう(今回はハービー・ハンコック/アーマッド・ジャマル以上に、ロニー・リストン・スミス的なセンスを感じさせますが)。ジャズ〜R&B〜ヒップホップという枠を越えた、ソウルクエリアンズ以降のリベラルで都会的なブラック・ミュージックのひとつの到達点だと思います(ロイ・ハーグローヴ/ディアンジェロ/エリカ・バドゥ/コモンらが集ったRH・ファクター『Hard Groove』とはまた違った意味で)。
リベラルという観点からは、ビラルの歌ったデヴィッド・ボウイ「ヘルミオーネへの手紙」の素晴らしい内省感も強調しておきたいですね。テイラー・アイグスティがエリオット・スミスやニック・ドレイクをカヴァーするのと同時代的な意味を持ち、先日ジョン・レジェンド&ザ・ルーツがブルース・スプリングスティーン「Dancing In The Dark」をカヴァーしたのと同じ意義も持っています。『Black Radio』の名盤たるゆえんは、僕に好きだったアルバムをあれこれ聴き返させるところにもあって、先週は久しぶりにUKソウルを探訪していました。「Cherish The Day」をレイラ・ハサウェイに歌わせたシャーデーの『Love Deluxe』、グラスパー&バドゥの「Afro Blue」のアレンジの原型とも言えるヤング・ディサイプルズの『Road To Freedom』、それに4ヒーロー『Play With The Change』(あるいはマーク・マックのヴィジョニアーズ『Dirty Old Hip Hop』あたりも)を聴けば、『Black Radio』に流れるUKソウルと通底する空気(それを僕はリロイ・ハトソン的なサウンド・プロデュース感覚、とも言い換えたくなるのですが)を実感できるでしょう。体感温度の低さ、滑らかさと静けさをメロウと捉える視点。跳ねと揺れ、グルーヴとスウィングの共存。

 

クラブ・フィールドとリンクする新譜は、リリースから1年がすぎたジェイムス・ブレイクを参照しながら聴くことも多かったです。EP2枚を合わせた日本盤CDが出たブリアルは別格としても、ジャイルス・ピーターソンのブラウンズウッドからのギャング・カラーズ(「Fancy Restaurant」を『2012年3月11日。音楽が終わった後に』に入れました)、ジェイムス・ブレイクの変名と噂されたことのあるIfan Dfydeの12インチ(前作のエイミー・ワインハウス使いの「No Good」も好きでしたが、今回の「To Me」もナイスです)、友人の小林恭が教えてくれた「Saria's Song」が沁みるトロントのジャズ・ユニットBBNG(バッドバッドノットグッド)は、これまでもATCQ「Electric Relaxation」/ナズ「The World Is Yours」/スラム・ヴィレッジ「Fall In Love」と僕の好きな曲ばかりカヴァーしていましたが、最新ライヴではジェイムス・ブレイク「CMYK / Limit To Your Love」を、という具合に。考えてみれば、震災の後、あまり音楽を聴く気になれなかったときにも、深夜ふと手に取ることが多かったのが、ジェイムス・ブレイクでした。1年前、フィメイル・ジェイムス・ブレイクかと、そのシンクロニシティーに驚かされたリア・アイセスの「Love Is Won」(アルバム中の次の曲がボン・イヴェールとの「Daphne」というのも、ある意味とても象徴的でした)を改めて聴いたりもしています。
他のニュー・リリースでは、真っ先にブラジルのチブレスを挙げたいところですね。ミラクルなエレピの音色から引き込まれる「Menina Das Candeia」〜「Inevitavel」のアーバン・メロウなオープニングの流れは、つい何度もリピートしてしまいます。そして、ビル・ウィザース〜テリー・キャリアー路線の期待のUKフォーキー・ソウル男性SSWマイケル・キワヌカ、チャールズ・ステップニーやリチャード・エヴァンスのカデット・レーベルが意識されたクァンティック&アリス・ラッセル、オッド・フューチャーからのどこかラウンジーでスタイリッシュな質感が気になるインターネット、『Radio Music Society』と名づけられ、すっかり女性ジャズ・ヴォーカルのニュー・スタンダードとなったスティーヴィー〜マイケルの「I Can't Help It」もカヴァーしたエスペランサ・スポルディング(彼女もリベラルなブラック・ミュージックの顔ですね)。エリック・トラファズ/イルハン・エルシャヒン/ジョー・クラウゼルとの来日公演も楽しみなブッゲ・ヴェッセルトフトのソロ・ピアノ集や、待望のジェイムス・イハなどはこれから聴き込んでいこうと思っています。

 

最近は本を読みながら音楽を聴いていることも多くて、「うたかたの日々」のページを繰りながら、デューク・エリントンの「Chloe」を繰り返し聴いたりもしました。いわゆるブラントン=ウェブスター・バンドの1940年録音、素晴らしいです。“ボリス・ヴィアンの憤り”(by 町田町蔵)にも、僕は心から共感の思いを寄せますが。
何の予定もない土曜日に、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を一日かけて読み返したこともありました。そう、古い夢をひとつひとつ読むように、じっくりと。初めて読んだ大学時代は知らなかった、不遇の頃のスティーヴ・ジョブズがボブ・ディランとバッハの「ブランデンブルク協奏曲」を好きだったというエピソードを踏まえて読むと、また新たな感慨深さも沸き起こってきます。ニック・ドレイクもボブ・ディランに影響を受け、亡くなったときに部屋のターンテーブルに遺されていたのは“ブランデンブルク”でしたね。実は今、この長いブログを書きながら流しているのも、『Mono Box』(ディラン初期8枚)とパブロ・カザルスなのです。このところクラシックは割とよく聴いていて、日常的にいちばん聴くのはカザルスによるバッハ「無伴奏チェロ組曲」ですが(『2012年3月11日。音楽が終わった後に』のカルロス・ニーニョ&ミゲル・アトウッド・ファーガソンからの流れで、両者の相性のよさに驚いてください)、ある日ひどく印象的な夢で流れてきて、涙が滲んでしまったベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番第3楽章も特別なものとなっています。ずいぶん昔、ゴダールの「彼女について私が知っている2、3の事柄」という映画で知った曲でした。美しくリリカルなベートーヴェン、クァルテット・イタリアーノの演奏で聴いています。

 

最後に、3/24に渋谷・サラヴァ東京で行われるイヴェントの告知を。ヨハン・クリスター・シュッツ/Piece of Peace+矢舟テツロー/和知里/優河/ヒロチカーノと僕の友人でもあるミュージシャンたちが集まって、たっぷりとライヴを繰り広げます。特に和知里は、昨年11月のステージをご覧になった方の間で、大反響を呼んでいます。北見在住の17歳の高校生なので、東京で観られる機会はなかなかありませんが、今回は熱いアンコールの声に応え、春休みを使って来てくれることになりました。本当に心を動かされる音楽です。“北海道のコリーヌ・ベイリー・レイ”という言葉がひとり歩きしていますが、青葉市子のファンの方などにも聴いてもらえたらと思います。当日はDJ陣も、僕と僕の選曲仲間が大集合しますので、素晴らしい音楽に囲まれて、みんなで「サラヴァ!」と声をかけ合いましょう。

 

追記1:GW前にオープンするShibuya Hikarie/ShinQsの館内BGMに「usen for Cafe Apres-midi」が採用されることになりました。これはとても嬉しいニュース。先日、内覧に行ってきましたが、かなりきれいめの大型商業空間で、フロアごとにコンセプト&デザインの違う女子トイレのクオリティーの高さに驚かされました。音楽的にまず思い浮かんだのは、『音楽のある風景〜春から夏へ』に収めたグラジーナ・アウグスチクの「So Reminding Me」、と言えばイメージをつかんでもらえるでしょうか(キース・ジャレット「Country」のときめくような女性ヴォーカル・カヴァーですね)。吉本宏は「今こそカチアの出番だよ」と言っていて、その発言にも深くうなずきました。Hikarieにインスパイアされて、最近USENスタジオでは、春のソフト・ロック祭り、という感じのセレクションも行ったりしています。『2012年3月11日。音楽が終わった後に』のクライマックスに懐かしのバタースコッチ「Don't You Know」(胸が疼きます)を入れたりしたのは、そんな流れからなのです。先週は富士山のきれいに見えるよく晴れた午後に、「On A Clear Day You Can See Forever」に始まる(ペニー・グッドウィン/ロイ・バッド/スヴァンテ・サレッソンと迷いましたが、ミケラ・ロンバルディを選びました)、サニー&グルーヴィーな春のサロン・ジャズ祭りも開催しました。

 

追記2:2012年3月11日、僕が最後に聴いたのは、カーティス・メイフィールドの遺作となった『New World Order』でした。目頭が熱くなりました。強さと優しさ、意志と慈愛に満ちたこのアルバムは、僕らが今、耳を傾けるべきメッセージを多く含んでいると思います。痛みを受け止めながらも、静かに前を向かせてくれる、これもまた“心の調律師のような音楽”です。

 

追記3:ミューザックから『Miss Abrams And The Strawberry Point 4th Grade Class』に続いて紙ジャケットでリイシューされる、無垢なソフト・ロック/チルドレン・ポップの至宝『The Langley Schools Music Project』に、ピーター・バラカンさんと共にステッカー・コメントを寄せました──“初めて「God Only Knows」を聴いたときのことは忘れない。カナダの子供たちが合唱でビーチ・ボーイズを歌う、ただそれだけのことなのに。遠い記憶、普段は心の奥にしまってある感情の回路が震えた。そして「Desperado」、イーグルスより泣けてしまった。誰もいなくなった放課後の寂しさ”。

 

追記4:栗本斉コーディネイトによる「ラティーナ」のスピネッタ追悼企画にも、イリシットツボイ/梶本聡/片寄明人/勝井祐二/ツチヤニボンド/DJ YOGURT/山辺圭司という面々と共にコメントを寄せました──“アルゼンチン・ロックと言えばスピネッタ、という感じで大学生の頃その名を知り、昔は好きなタイプの曲だけ集めてトッド・ラングレンのように自分だけの編集テープを作ったりしていた。もちろん近作にも好きな曲はいくつもあるが、思い出深い一枚を挙げるなら、アルメンドラのファーストかな。親しみやすかったのはビートルズの匂いを感じたからか。サイケデリック/コズミックからAORまで様々なアプローチが可能な、キャリア長いスピネッタ探求の旅の出発点として、印象的なピンクのピエロ・ジャケットに包まれたアコースティック・サウンドとそこはかとない哀愁のメロディーが僕には相応しかった。思い入れ深い一曲と言えば、迷うことはない。そのアルバムのラスト・ナンバー「Laura Va」。弦やバンドネオンをあしらったメロウ・スピリチュアルな名曲。1969年の音楽(その頃のピエール・バルー主宰サラヴァの音と同じ空気を感じる)。だからカルロス・アギーレがスピネッタ・トリビュート盤でこの曲をカヴァーしたときは、深くうなずいた。やはりアコースティックで沁みる、女声コーラスを配したフォルクロリック・ジャズ至上の名演。カルロス・アギーレやルス・デ・アグアには「Muchacha」もカヴァーしてほしい。スピネッタ自身による1997年のMTVアンプラグド・ライヴ盤での「Laura Va」も素晴らしく、イントロのストリングスからスピネッタらしい宇宙観と官能に胸が熱くなる。モノ・フォンタナのピアノには顔がほころんでしまう”。
アルゼンチン音楽をめぐる“静かなる熱狂”については、カルロス・アギーレ&キケ・シネシの来日公演の紹介を兼ねて、4/20発行の「フィガロ・ジャポン」にも寄稿します。

 

追記5:3/30朝日新聞朝刊別刷りの取材で、「あなたにとって渋谷とは?」というお題で語っています。10年近く前、東急文化会館がなくなる際に全く同じ質問を受けたときは、「人生の夏をすごした街です」なんて応えましたが、ここ数年は人生の冬をイメージすることばかりですね。それでも、大切な人たちと出会い、大切な時間をすごした街であることに変わりはなく、これからも、ささやかながら自分の好きなことを発信して、理想とする場や人間関係を模索していきたいと思っています。

 

追記6:最後の最後に、最近ふと口ずさんでしまう曲のことを。それは、高校生になった頃よく聴いていた、佐野元春の「ロックンロール・ナイト」(高校の文化祭のテーマ曲は「サムデイ」でした)。その“すべてのギヴ&テイクのゲームにさよならするのさ”という決めのフレーズ。サリンジャー的な精神を有する佐野元春の歌詞の中でも、とびきりの一節だと思います。実は、僕の心を激しくノックするこの言葉を最後に、稚拙ながら続けてきたtwitterを1,000回で区切りよく卒業しようと考えていたのですが、気づくといつの間にか、すでにその数を越えていたという何ともトホホな次第です。つぶやくこと自体はほとんど苦でなくなり、備忘メモとしても役立っているので、戦前の電報のようだと友人たちを嘆かせるtwitterですが、もうしばらくお付き合い願えたらと思います。

 

『モンマルトル、愛の夜。』ライナー

 

海が凪ぐときはジュリアーナに会いに行く。
「サウダージ(Saudade)」という曲を聴いていると、自分にとって生涯で最も大切な音楽ではないか、と思うことがある。
ドリヴァル・カイミも愛唱した、バイーアの漁師たちの古い伝承歌をモティーフに、ピエール・バルーが「サウダージ」という言葉の真意を語りかけるこの曲に耳を傾けていると、「すべてが空しく、すべてを失ったとき」に心の安らぎをもたらしてくれる存在を「惜しむ」気持ちに胸が熱くなる。バーデン・パウエルが言うように、自分の心にジュリアーナを持っていない人には、サウダージの意味はわからない。音楽を聴くということに、人生を感じる。
サラヴァの音楽を聴くことは、人生であると同時に、旅のようでもある。音楽を聴くこともまたひとつの旅、そんなことを思わせてくれる音楽。それは、一期一会に生きるピエール・バルーの精神が生み落とした、「出会いの芸術」だ。

 

1959年、ギターを抱えパリからヒッチハイクでリスボンまで行ったピエール・バルーは、馴染みのイタリアン・レストランで、気が向けば弾き語るようになっていたが、ある日そこで、シヴーカの演奏を聴き、友人となる。当時まだ新人だったジョアン・ジルベルトのボサノヴァの誕生を告げたファースト・アルバム『Chega De Saudade』に深い感銘を受けていた彼は、シヴーカとの交流を機にブラジル音楽にさらにのめり込み、やがてそのレストランの常連客だった商船会社の社長に頼み込んで、下働きをしながらブラジル行きの船に乗せてもらえることになった。ところが、ブラジルに行けば素晴らしい音楽家に会える、という期待を胸に、甲板掃除や皿洗いをしながらハードな船旅を遂げたにもかかわらず、そのときは運命の出会いは訪れなかった。
失意のピエールは、リスボン、そしてパリに戻り、毎晩サンジェルマン・デ・プレ界隈で、旅の話やブラジル音楽のことを語り合っていたが、あるとき、小さなカフェでいつものようにドロレス・ドゥランの「愛の夜(La nuit de mon amour)」を歌っていると、偶然に居合わせたブラジル人のグループが話かけてきた──「どうしてこんな曲を知ってるんだ?」。それは、かつてシヴーカが教えてくれた、ピエールが初めてブラジルの曲にフランス語の詩をつけた歌だった。
彼らとすっかり親しくなったピエールは、翌晩のブラジル人が集うパーティーに誘われる。そしてその会場に、バーデン・パウエルとヴィニシウス・ジ・モラエスがいたのだ。ブラジルに渡っても会えなかった偉大な音楽家を前に、ピエールはパリで、「愛の夜」を始め、いろいろな曲を歌った。「ブラジルの詩をここまで忠実にフランス語で表現できるなんて思わなかったよ」と、ヴィニシウスは感動し、3人の音楽交流が始まった。
バーデンはその後もしばらくヨーロッパに滞在し、ピエールと一緒に音楽を奏でるようになった。そんな彼らの語らいの中で、無意識に録音されたのが「サウダージ」だ。そこには音楽の奇跡が宿っている。一期一会の奇跡が刻印されている。40年後にピエールの自宅の倉庫から、偶然そのテープが見つかったというのも奇跡だが。
映画『男と女』をめぐるエピソードについては、10年ほど前に『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』をコンパイルさせていただいたときに、ライナーに著した。1965年、監督のクロード・ルルーシュから声がかかり、クランク・インを前に、ブラジルからフランスに戻る最後の夜、バーデンたちと「Samba Saravah」や「Roses」が録音された。そして数年前に、それと同じテープに収録されているのが“屋根裏部屋”から見つかったのが、「愛の夜」だ。

 

サラヴァ・レーベルの日本での発売権が移行したことに伴い、『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ2』以来10年ぶりに、新しくコンピレイションを編ませていただくことになった。普通なら先の2枚の再リリースとなるのだが、現在の僕の心情に基づいて新たに、と提案してくださった高木洋司ディレクターとピエール・バルーに心から感謝する思いで、ある種の使命感に燃え、責任を感じながら選曲に取り組んだ。10年前は1960〜70年代の音源に限ることによって2枚に収めたが、今回は近年の作品まで相当数を聴き込んだので、当初リストアップした候補曲は約4時間分におよんだ。“サウドシズモ/モンマルトル”と“スピリチュアリズモ/サンジェルマン”に大まかに分類して、長い文章を推敲するように楽曲を絞り込んでいったが、セレクションにこれほど時間をかけたコンピCDは、ほとんど記憶にない。もちろんアプレミディ・シリーズ2タイトルをお持ちの方にも、改めてサラヴァの音楽の素晴らしさに深く感じ入ってもらえるように、「Samba Saravah」の歌詞の一節を借りるなら“Poesia”に満ちた物語をめざした。この10年の間にサラヴァの“屋根裏部屋”から発掘された、「愛の夜」やフランシス・レイのシングル曲もフィーチャーした。

 

カエターノ・ヴェローゾの同名曲にインスパイアされ、サウドシズモ(孤独もかみしめつつサウダージを希求する)をテーマにした『モンマルトル、愛の夜。』では、ピエール・バルーと共に、僕が歳を重ねるほどに沁みるようになったアレスキの奏でる音が大きな役割を果たしている。両者とも、優しく凛とした、慈しむような音楽、と言えると思う。オープニングは、「サウダージ」の前はこの曲しか考えられなかった「Comment ca va」。溜め息のようなジャック・イジュランとの「J’aurais bien voulu」。ベノワ・シャルヴェやバロック・ジャズ・トリオのジャン=シャルル・カポンとのヒップなコラボレイション「80 A.B」。ジョアン・ジルベルトの「Undiu」を彷彿させるような「Petit sapin」。
『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』のエンディングには、ピエールとデュエットしたシコ・ブアルキ「仮面の夜(La nuit des masques)」のカヴァーを置いたドミニク・バルーは、ここではささやくようなデヴィッド・マクニールとのデュエットを。アラム・セダフィアンにエリック・ギィユトンというシンガー・ソングライターたちの郷愁が漂う滋味に富んだ歌も、このコンピレイションの安らぎをたたえた叙情的なトーンに貢献している。僕は7曲目のフランシス・レイ(彼の声も大好きなのだ)までの流れをイメージしたとき、『モンマルトル、愛の夜。』に穏やかな冬の太陽が射すのを感じた。
モーリス・ヴァンデの流麗なピアノにも魅せられるピエール・バルーのマニフェスト、極めつけの「Vivre!」からの中盤は、ジャズとシャンソンとブラジル音楽が溶け合う、思い入れ深い曲が続く。風がそよぐような、ダニエル・ミルとリチャード・ボナのたおやかなミナス・サウンドを思わせるコラボレイションを挟み、『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』にも収めたが、決して選外にはできないジョエル・ファプローとジャン=ロジェ・コシモンの名作、そして「Samba Saravah」。『男と女』に使われたテイクも素晴らしいが、やはりドキュメンタリー『SARAVAH』(まさに旅のような映画だ)のフィナーレに流れる感動的なヴァージョン。80年代半ばネオ・アコースティック期のボサノヴァ・フィーリングを漂わせるモラーヌ、ピエール・バルーがサラヴァの誇りとするアフリカのピエール・アケンダンゲとブラジルのナナ・ヴァスコンセロスのオーガニック&メロウで内省的なセッション、テリー・キャリアーにも通じるチック・ストリートマンのビターでブルージーでスピリチュアルなフォーク・ロックも、選りすぐりの逸品だ。
フランソワーズ・アルディーも歌ったピエール・バルー「水の中の環(Des ronds dans l’eau)」の澄んだ光のように清らかな透明感、マーヴァ・ブルームがアート・アンサンブル・オブ・シカゴをバックに歌った「For All We Know」の伸びやかな開放と躍動で、感情の高まりは一度ピークに達するが、実はこの後の流れにたゆたう詩情(“Poesia”)こそ、このコンピレイションの真価だと思っている。最初は、ジャズをメインにした『サンジェルマン、うたかたの日々。』に収めるつもりだったモーリス・ヴァンデによる「Moon River」、このロマンティックかつ心を鎮めてくれる名演を、ここに配置することによって全体がまとまった瞬間の歓びは、コンパイラーとして言葉に尽くせない。アラム・セダフィアンの美しくノスタルジックな感傷を誘うドビュッシーへのオマージュも、同じ経緯でこちらに収録した。音を惜しむようなこの曲から、深い寂寥感と哀切がにじむ「愛の夜」への連なりを聴いてほしい。続くジャック・トリーズはブルースかボブ・ディランのよう。諸行無常の響きに、個人的にはニック・ドレイクの「Black Eyed Dog」なども思い出す。淡々としたボサのリズムに切ないヴァイオリンが色を添えるジャン=ロジェ・コシモンとマジュンの共演ライヴを経て、ラストはアラン・ルプレスト。リシャール・ガリアーノの鮮烈なアコーディオンに導かれて、まるでフェリーニ映画のエンディングのように、ペイソスにあふれる。モンマルトルの愛の夜の光景を思うのは、僕だけではないだろう。

 

『サンジェルマン、うたかたの日々。』ライナー

 

美しい女の子との恋愛、デューク・エリントンの音楽。それ以外のものなんて、消えちまえばいい。
サンジェルマン=デ・プレの貴公子とも言われたボリス・ヴィアンによるシュールな青春小説、そしてレイモン・クノーが評したように美しくも悲痛な恋の物語でもある「うたかたの日々」の序文には、主人公である夢多き青年コランによるこんな言葉がある。
パリの片隅で儚い青春の日々を送る男女を描いた「うたかたの日々」は、発表当初は全く注目されることがなかったが、ボリス・ヴィアンの死から数年たち、サルトルやボーヴォワール、コクトーなどの支持もあって、1960年代後半のフランスで熱狂的なブームを巻き起こす。パリ五月革命に象徴される、自由を求める時代の気運も後押ししていただろう。すべてのルールと理論を拒否し、自由自在な言語表現に徹したのが彼の文学だった。

 

映画『男と女』での成功とほぼ時を同じくして、1966年にサラヴァ・レーベルを設立したピエール・バルーも、コラン青年のように、純粋で美しいものを愛し、サンジェルマンのクラブ「タブー」でトランペットを吹いていたボリス・ヴィアンのように、ジャズと恋を信奉する表現者だ。1960年代末から1970年代前半にかけて、サラヴァのスタジオには自由な試みに満ちた表現を志向するアーティストたち、特に多くのジャズ・ミュージシャンが活発に出入りした。ピエール・バルーはまた、ボリス・ヴィアンがフランスで初めて、まだ評価の高くなかったレイモンド・チャンドラーの翻訳を手がけたように、未知だったアフリカやブラジルの才能ある音楽家を招き入れた。そこで起きた一期一会の奇跡、生み落とされた純度の高いスピリチュアリティーの結晶は、サラヴァの誇るべき貴重な財産であると同時に、末永く未来の音楽ファンに受け継がれるべき秘宝だ。瞬間と永遠、ジル・ドゥルーズの時間論ではないが、そんな言葉が心をノックする。
それはまるで、1950年代のサンジェルマン=デ・プレで起こった人と芸術にまつわる多くの出逢いの記憶が、そのままモンマルトルに継承されたようにも感じられる。例えば、サルトルら実存主義者たちがこの地のミューズと定義したジュリエット・グレコのきらめき。そのグレコと恋に落ちたパリ在住時のマイルス・デイヴィス。マイルスとルイ・マル監督による映画『死刑台のエレベーター』。その2年後に作られ、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズがテーマ曲を演奏した映画『危険な関係』。そこでのヒロイン、ジャンヌ・モローの愛人役はボリス・ヴィアン……。そんな自由で刺激的な群像を可能にした精神性が、パリ5区からセーヌ河を渡り、18区モンマルトルにあるサラヴァのスタジオに新たに宿った、とも言えるのではないだろうか。

 

小説の「うたかたの日々」は、前半は透明で優しく幸福なファンタジー、後半になるにつれて少しずつ物語は突き刺さるような痛切さを増していくが、コンピレイション『サンジェルマン、うたかたの日々。』では、そうした光と影のコントラストが移ろう時間軸を逆に構成している。オープニングは、タブラとチェロとチェンバロのヒップなアンサンブルが孤高の佇まいを見せるバロック・ジャズ・トリオ。スティーヴ・レイシーのフリー・ジャズで始める、というアイディアにも一瞬駆られたが、やはりこの「Dehli Daily」こそ、1曲目に相応しい毅然たる風格を備えている。
2曲目は『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』にも収めたボリス・ヴィアンの詩を朗読するアルバム『En avant la Zizique』からのミシェル・ロックを再び、とも考えたが、ジョルジュ・アルヴァニタによるジョン・コルトレーンへのオマージュ「Trane’s Call」。このヨーロピアン・ジャズの気品とコルトレーンの精神的遺産が放つ芳香は、ミシェル・グライエの奏でるリリカルで繊細なメロディーと、光を帯びるように生命感をたたえていくピアノ・タッチへ引き継がれる。月明かりにきらめく川の流れのような、ブラジルの夜に思いを馳せたくなるボサ・ジャズだ。
さらにこのコンピの最初のハイライトと言えるような、気高いサラヴァのピアノ・ジャズが続く。ルネ・ユルトルジェの「Moment’s Notice」は、もちろんコルトレーン不朽の名作の素晴らしいカヴァー。ファラオ・サンダースが歌入りで颯爽とリメイクしていたのも忘れられないが、躍動感と輝き、艶っぽい吸引力さえほとばしる唯一無二の絶品だ。
ジョルジュ・アルヴァニタ/ミシェル・グライエ/モーリス・ヴァンデ/ルネ・ユルトルジェの4人のピアニストが一同に会して競演した「Suite pour 4 pianistes」は、まさにサラヴァ・ジャズの真髄だ。ヴァイブが入る瞬間にもしびれる、めくるめく名演。かつてレコード・ガイド「Suburbia Suite」で紹介したマニア垂涎の5枚組LPのクライマックス、と言ってもいいだろう。
フランシス・レイが作曲したピエール・バルーによるスウィンギーな「On n’a rien a faire」は、60年代らしいオルガン・サウンドも効いていて、モッド・ジャズ的なニュアンスもスリリング。ボサ・ジャズのダイナミズムに満ちた“ブラジル・ミーツ・フランス”の金字塔、トリオ・カマラによるバーデン・パウエル「Berimbau」のカヴァーは、どのヴァージョンにも優るほど切れ味シャープに疾走する。やはりピエール・バルー&フランシス・レイの作詞・作曲によるニコル・クロワジーユ「Ne me demande pas pourquoi」は、イントロから60sスタイルのオルガンが印象的な起伏に富んだ進行で、「On n’a rien a faire」を兄とすれば妹のよう。彼女がピエールとの『男と女』でブレイクする前、サンジェルマンのジャズ・クラブで歌っていた姿が脳裏に浮かぶ。10年ほど前に『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』を選曲したときには、セレクションの決定打となったモニック&ルイ・アルドゥベールの「男と女」は、久しぶりに聴いても、その多幸感あふれる洒脱なスキャットと鮮やかな展開に魅せられる。このサラヴァならではの小粋なシングル盤は、今でも僕の宝物だ。
そして続くジャン=シャルル・カポン&ピエール・ファヴルへの鮮烈なスウィッチには、何度聴いても鳥肌が立ってしまう。エクスペリメンタルな緊張感をはらんだチェロとパーカッションのグルーヴ。前衛的なダンス・チューンとしてのヒップな個性は際立っていて、僕が今サラヴァの曲をDJでスピンするとしたらこれだ。お洒落な前曲と後続のアート・アンサンブル・オブ・シカゴがバッキングを務める3曲を結ぶ魔術的な存在感にひどく惹かれる。
『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』をコンパイルする10年前までは、ダンスフロアで最もヘヴィー・プレイしていたキラー・シングルが、マーヴァ・ブルームの「Mystifying Mama」。改めて今聴いても、曲が始まった瞬間から背筋が震える。ファンキーなグルーヴとソウルフルなヴォーカルに、カデット期のマリーナ・ショウを思い浮かべるのは僕だけではないだろう。
続いてもサラヴァ・コレクター垂涎のシングル盤として名高いアルフレッド・パヌー。これは僕もなかなか入手することができなかったオブセッションのような一枚だ。パヌーとアート・アンサンブル・オブ・シカゴという、サラヴァの伝説でしかありえない一期一会、「出会いの芸術」が刻印されている。
そして、ピエール・バルーと並ぶサラヴァの顔と言っていいブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」。僕は以前よりはるかに、寒々しいほどのこの曲の魅力を実感している。アート・アンサンブル・オブ・シカゴを影の主役とする『サンジェルマン、うたかたの日々。』では、これ以上ない流れで聴いてもらえるだろう。そのフルートの音色に耳を寄せていると、どこか遠い、違う世界へと連れていかれる。このコンピレイションのハイライト、僕はかつて間章が寄せた「さらに冬へ旅立つために」という文章を思い出す。
バルネ・ウィランは大学生のとき初めて聴いて(まだサラヴァのレコードはピエールとブリジットしか聴いていなかった頃だ)一発で魅了された、自分にとってシネ・ジャズと深く結びついた、フレンチ・ジャズの代名詞のような存在。「Gardenia Devil」は『サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ』に収めた「Zombizar」と共に原体験となった、特別に思い出深い曲で、そのブロウもグルーヴも、何とも伸びやかな気持ちにさせてくれる。アフリカでのフィールド・レコーディングとジャズ、という進取のアイディアに富んだバルネに理解を示すサラヴァの気質にも嬉しくなる。
『男と女』でもピエール・バルーと名コンビを組んだフランシス・レイのシングル盤からの「Piano bar」は、僕にパリの街並みをイメージさせてくれる曲で、聴いていると何だか頬ずりしたくなってしまうほど。ちょっとしたフェイクやスキャットにも端正だが人懐こい素顔がのぞく、彼の歌声に頬がゆるむ。60年代前半のフランス映画を愛するように、モーリス・ヴァンデによるラグタイム・ジャズ風味のピアノに耳を傾けていると、「うたかたの日々」でコランが作った、演奏するとカクテルのできるピアノなら、どんな酒が生まれただろう、などと夢想してしまったりするのだ。
ピエール・バルーが惚れ込み、近年のサラヴァを体現する女性シンガーと言ってもいいビーアの作品からは、アンリ・サルヴァドールのペンによる「Eu vi (j’ai vu)」を選んだ。彼の作風に特徴的な南国風味は彼女の歌をリラックスしたアレンジで包み、瀟洒なヴァイオリンの間奏から語りへという流れも、何とも素敵だ。
近年のサラヴァからもう一曲、ピエール・バルーの代表作「Ca va, ca vient」のカヴァーも。ノスタルジックなフランスの午後を思わせる、エリック・ギィユトンらしい誠実なアプローチに好感を抱く。クラシックの練習曲のように響く朴訥としたピアノ、家族の会話のようなSEもあって、これもまるでフランス映画のワン・シーンを観ているように心和んでくる。
続く「Les belles nuits」は、ショパンの夜想曲を奏でるピアノをバックにした、ジャン=ロジェ・コシモンによる詩の朗読、というだけなのに、どうしてこんなに涙腺がゆるんでしまうのだろう。『モンマルトル、愛の夜。』に収めた、同じように沁みてくるアラム・セダフィアン「ドビュッシー」もそうなのだが、理由もなくセンティメンタルな思いに駆られてしまう。現代フランス屈指の詩人の魅力を、言葉の意味などわからなくても、僕はこの曲で知った。美しい夜、美しい詩。これもまた、かつてフランス映画で観た気がする、パリの街らしい光景が脳裏をよぎるのはなぜだろう。
最後は僕が21世紀のサラヴァで最も好きな曲を。歌詞もたまらなく好き。詩人ピエール・スゲールの娘だというヴィルジニーのEPから。心洗われる、というクリシェを敢えて使うしかない、美しい女性ヴォーカルとアコースティック・アレンジ。何となく切ない気持ちになる歌とメロディー。柔らかく胸を締めつける、その切なさの成分には、少しだけ甘酸っぱさが含まれているのが清々しい。それでも、何かの映画のエンディングに流れたら、涙がこぼれそうになるかもしれない。

 

「harmony」
3/18(日)18時から24時までカフェ・アプレミディにて入場無料!
※今回は、haraguchic欠席のため、彼のchill-out mix CDを、先着30名様にプレゼント!
前回のVol.15 feat.井上薫も大盛況のうちに終えることができた「harmony」ですが、今回は、久々に、TJOの登場です。2年半前に、「harmony」がスタートしたときから、ずっとサポートしてくれているTJOですが、TCY RADIO、そして、Block.FMと活躍の場を広げていることは、みなさんも、ごぞんじの通りです。彼のエレクトロ以外の側面も、多くの人に知ってもらえたら。今回は、胸がざわつくようなロウ・ビート中心のセットを披露してくれるはず。一つの時代の指標になる瞬間に、みなさんと一緒に立ち会えることを、心からうれしく思います!(Takahiro Haraguchi)

 

harmony classics
The Reflex / Re-Visions Vol.2
G.A.M.M.のリエディットは厳しく取捨選択しているが、これは「harmony」と60〜70年代の生音クラシック・ソウルを結ぶ過不足ないリワークに好感。フィンガースナッピンな至上のアコースティック・メロウ・グルーヴ「What's Going On」、グッと胸をつかまれるマーヴィン&タミーのこみ上げ名曲「Ain't No Mountain」はアイズレー・ブラザーズ「This Old Heart Of MIne」を彷彿、ハンドクラッピン&ノーザン・ビートのエイミー・ワインハウス「Rehab」のスクリュードに合掌。(橋本徹)

 

Donna Summer / If it Hurts Just A Little (Frankie Goes 99)
最近SoundCloudが面白いです。中でもクロアチアのFrankie Goes DeepのDonna SummerとCassiusに捧げたこのエディットは、中盤のソロも含めて最高にグッと来ました。他にもBobbi HumphreyやBrand New Heavies等もあるので、ぜひチェックを。(Takeru John Otoguro)

 

Tracey Thorn / Night Time EP
アプレミディに足繁く通う人にとってTracey ThornやBen Wattは初期EBTGのイメージだったりするのかもしれないけど、Ben Wattが現在主宰するBuzzin' Flyレーベルもチェックしてほしい。最近リリースされたこちらはまさにドンピシャな内容かと。久々の共演、そして「Swimming」のリミックス・トラックも素晴らしいです。(haraguchic)

 

Dazzle / Reaching
1979年発表、豪華な参加メンバーによる捨て曲なしの好ディスコ・アルバムに収録。Leroy Burgessのリラックスした歌声が温かく包みこみ、ディスコの高揚感と穏やかでハートウォーミングな世界が同居する、フロアにピースフルな笑顔が広がる一曲。(NARU

 

Jean-Luc Ponty / Renaissance
彼が1976年にリリースしたアルバム『Aurora』に収録された一曲。心臓の鼓動のような深いビートに絡み合うヴァイオリン、ピアノ、ギターの音色が僕の心をワクワクさせます。中盤から始まる各々のソロ演奏は、録音された当時のこみ上げる感情がダイレクトに伝わってくるんですよね。掲載されている写真はSlow To Speakから発売されたジャケットです。(YUJI)

 

Love Unlimited / High Steppin', Hip Dressing' Fella
『Love Is Back』収録。Barry White作。昨年末の代官山・AIRで、Dimitri From Parisが、ヒップホップ・マナーで、この曲をプレイしたことに衝撃を受けたのですが、それは、昨今、ブレイクビーツのトラック・メイカーに良作が多いことと、どこかでリンクしている気がするのです。(Takahiro Haraguchi)

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