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4月25日──橋本徹のコンピ情報

新しいコンピレイション『音楽のある風景〜寝室でくつろぐサロン・ジャズ・ヴォーカル』が先週リリースされました。とても気に入っている一枚なので、皆さんにもぜひ早く聴いていただけたら嬉しいです。詳しい内容がHMVウェブサイトの“橋本徹の『サロン・ジャズ・ヴォーカル』全曲解説〈2〉”で紹介されています。メロウでハートウォームな名作が連なりますが、オープニングのチェット・ベイカー「Do It The Hard Way」のカヴァーには、この時代を生きるメッセージを託しました。『食卓を彩るサロン・ジャズ・ヴォーカル』のバーバラ・ライモンディもそうでしたが、何度も聴き込んでいくと、キャッチーなカヴァー群以上に、ミナス的なたおやかなメロディー(そう、ミルトン・ナシメントが歌いそうな)がハイライトに聴こえてくるのは、自分にとってひとつの発見でした。余談ですが、稲葉昌太ディレクターのもとには、ジャケット・デザインの猫の佇まいに萌える声も寄せられているそうです。
今月は、またひとつ歳もとりました。誕生日前日の4/2はマーヴィン・ゲイのバースデイで、命日の翌日でもあって、彼とちょうど同じだけ生きたことになる、アラフォー最後の日でした。命日には毎年、ソウル・ミュージックへの入り口となってくれた彼に感謝し、『Free Soul. the classic of Marvin Gaye』を聴いて、その「引き裂かれた魂」(Devided Soul)を追悼するのですが、今年はその翌日、少し感慨深い気持ちで、5/11にSHM-CDとして(しかも価格が安くなり)リリースされるフリー・ソウル・コンピ(『パレード』『ライツ』『マインド』『ユニヴァース』『メモリー』の5作です)のライナーも書きました。この[staff blog]のページの最後に掲載しておきますので、よろしければお読みください。どんなに甘美な音楽でもどこか孤独の影を宿したマーヴィン・ゲイの儚い運命が、かすかに滲んでいるかもしれません。
5月初旬には、素晴らしいアルバム『Wake Up!』を昨年発表したジョン・レジェンド&ザ・ルーツが、『What's Going On』40周年を記念して、ワシントンD.C.でマーヴィン・ゲイ・トリビュート・コンサートを開くという話も聞きましたが、行きたくて仕方がありません。ジョン・レジェンドの来日公演は、幸い観る機会に恵まれ、先週末はブラジルからやってきたピアニスト、アンドレ・メーマリのリサイタルにも行くことができて、出不精な僕も最近はライヴづいているのです。アンドレ・メーマリを個人で招聘された、ピアノ調律師の三ヶ田美智子さんの情熱と尽力には、頭が下がる思いで心から感謝しました。その三ヶ田さんも気に入ってくださっている『素晴らしきメランコリーの世界〜ピアノ&クラシカル・アンビエンス』には、僕がアンドレ・メーマリのピアノ・タッチに魅せられるきっかけになった「Um Anjo Nasce」も収められているので、未聴の方はぜひこの機会にお聴きいただけたら嬉しいです。このコンピ・シリーズは、これまで僕が手がけた220枚以上の中でもベストテンに入るクオリティーの「自分らしい」選曲、と確信しているのですが、ジャンル分けの弊害か(大手CDショップでは、ニュー・エイジ、というコーナーに分類されているそうですが、どうして?)、セールスが他に比べ今ひとつなので、少しでも多くの方に聴いていただきたいと切望しているのです。

それでは、今月よく聴いたCDを紹介していきましょう。No.1を挙げるなら『音楽のある風景〜冬から春へ』にはジャヴァン「Flor De Lis」のカヴァーを収めた、グレッチェン・パーラトの新作『The Lost And Found』。マイ・ベスト・オブ・クワイエット・コーナー、という感じです。ピアノはこの冬に僕が最も愛聴した名作『Daylight At Midnight』のテイラー・アイグスティ、そして共同プロデュースにロバート・グラスパーを迎えていて、その白・黒のバランスも絶妙なメロウ・スピリチュアル盤。シンプリー・レッド「Holding Back The Years」、ウェイン・ショーター「Juju」、メアリー・J.ブライジ/ローリン・ヒル「All That I Can Say」、ビル・エヴァンス/マイルス・デイヴィス「Blue In Green」などの素晴らしすぎるカヴァー、ギターのアラン・ハンプトンとのデュオ「Still」、それにオリジナルの「Winter Wind」やタイトル曲まで絶品揃いです。彼女も参加しているという、テイラー・アイグスティのアルバムでの歌声が印象的だった女性ヴォーカリストで、やはり彼と同じくマット・ピアソンによるプロデュースだという、ベッカ・スティーヴンスの新作も早く聴きたくなってきます。
グレッチェン・パーラトやテイラー・アグスティを真夜中に聴いていると、つい手が伸びるのは、カーメン・ランディーとカサンドラ・ウィルソンです。特に、たゆたうような浮遊感と憂いを帯びたメロウネスをたたえたカーメン・ランディー『Solamente』、カサンドラ・ウィルソンはロバート・ジョンソンのブルースやヴァン・モリソン「Tupelo Honey」を含む『Blue Light Til Dawn』、心穏やかになる「A Little Warm Death」にニール・ヤング「Harvest Moon」やヘンリー・マンシーニ「Moon River」を含む『New Moon Daughter』といったところ(酒が美味しく感じられるザ・バンド「The Weight」のカヴァーも捨てがたいですが)。ゆっくりと地球の自転を感じるように、しみじみと夜に酔いしれるのです。そしてあるときはラムチョップ「The New Cobweb Summer」に流れ、あるときはカサンドラも歌っているスタンダード「You Don't Know What Love Is」をチェット・ベイカー、エリック・ドルフィーと深い夜のブルーに染まるように聴き進んでいきます。エリック・ドルフィー『Last Date』の最後の言葉は「音楽は終わると空に消え、もう捉えることはできない」。この一節はかつて、「百年の孤独」(だったはず)という酒に印刷されていたこともありました。
ウィリアム・フィッツシモンズのニュー・アルバム『Gold In The Shadow』も期待通りでしたが、僕は今のところ、アコースティック・ヴァージョンやタイトル曲の入ったボーナス・ディスクを偏聴してしまっています(たとえソロ弾き語りでも来日公演の実現を、という願いを募らせずにいられません)。まるでシャーデーの音楽を聴いているときのように、心を落ちつかせてくれるのです。プリファブ・スプラウトを思わずにいられない「Psychasthenia」など、レギュラー・ディスクももちろん素晴らしいのですが。
そして、ウィリアム・フィッツシモンズ好きにぜひともお薦めしたいのが、ニック・ドレイクの後継者とも言われる(確かに声質や歌い方、サウンドも似ていますね)メランコリック・フォーキーなシンガー・ソングライター、アレクシ・マードック。じんわり沁みる名曲「Orange Sky」「Song For You」「All My Days」を収めた2006年のファースト『Time Without Consequence』以来のセカンド『Towards The Sun』が到着したばかりです。それから、特筆すべきイギリスの男性シンガー・ソングライター、ジョナサン・ジェレミアのデビュー作『A Solitary Man』。アルバム・タイトルからもニック・ドレイクやジョン・マーティン、さらにテリー・キャリアー〜ウィリー・ライト〜ケニー・ランキンを彷佛とさせる最高のフォーキー・ソウルマン。ヘリテイジ・オーケストラなどサポート陣との相性もよく、シングル・ヒットを記録した名アコースティック・グルーヴ「Happiness」を始め、今後の活躍にも期待が高まります。
ジョルジオ・トゥマやハイ・ラマズの新譜は、まだ一度しか通して聴いていない僕ですが(どちらもいい作品だと思いますが)、やはりこの1か月、繰り返し聴いていたアルバムが、ブエノスアイレスの精鋭ギジェルモ・カポッキの『Milesimas』でした。何もしない休日の午後、何となく流しておくと気持ちをフラットにしてくれるのです。ラプラタ河とミナスの風景が瑞々しく出会ったようなフォルクロリック・ジャズで、ネストル・ラモニカとのコラボレイションが美しいサウダージを描く「Belleza Del Tiempo」に言葉を失くします。女性シンガー、マリアナ・ベレイロとの共演盤『Lucero』も素晴らしいので、併せてお聴き逃しになりませんように。

現在「usen for Cafe Apres-midi」スプリング・セレクションで放送中の「Prayer For Love And Peace」を大幅に改作する形で、先日は同名の2枚セットCD-Rも作ってみました。個人的にはそのLoveサイドは、最近感じている様々な思いが美しい音楽に乗り移った、今まででいちばん心が打ち震える選曲ができたように思います。スペインのジャズ・ピアノ・トリオによるショパン・カヴァー集『Los Boleros De Chopin』にボーナス収録されていたヴォーカル曲、Pepe Rivero Trio feat. Eva Cortes「Mi Esperanza」(私の希望)に始まり、続くリッキー・リー・ジョーンズ「On Saturday Afternoon In 1963」のピアノと歌声も(弦のアレンジはニック・デカロ)、まるでジュディー・シル「The Kiss」のように神々しく響いてきます(トッド・ラングレン「Wailing Wall」にも通じる時を止める感じです)。胸が詰まる美しさの中で、ティム・ハーディン「Last Sweet Moments」(哀しい死を遂げた彼のロマンティシズムの結晶)〜エスラ・モホーク「Openin' My Love Doors」(ラヴ・タンバリンズを思い出します)〜 ブリーズ「Make It With You」(プレッドの好カヴァー)のような、自分の手癖と言える流れも、生き生きと輝かしい光を放っています。何てことないエジソン・フレデリコ「Ligia」〜 マイケル・エロ「Quand Il Plent」〜シビル・ベイヤー「Forget About」(ブラジル〜オランダ〜ドイツ)の優しい連なりも、夕暮れどきの穏やかで物憂い心象風景を映します。
より風通しのよい感じのPeaceサイドは、若きサンバ・カリオカ、ペドロ・ベルナルド「Circo Marimbondo」が春の風を運んできます。ミルトン・ナシメント「Catavento」(かざぐるま)のフレーズが爽やかで、この春の訪れと共にいちばん口ずさんでいた曲なのです。そう、リンダ・ルイス「Spring Song」や、カフェ・アプレミディで結婚パーティーを予定していたのですが、震災で残念ながら延期になってしまったヨハン・クリスター・シュッツの「Prague This Spring」、といった幸せを呼ぶ曲以上に(もっとも、酒を飲むとここ数日はキャンディーズの「微笑がえし」、ひと月ほど前は中島みゆき「時代」を、よく口ずさんだりしていましたが)。4ヒーローとも交流していたブラジルの信頼できる公私のパートナーが、幸福感を漂わせるアコースティック作品を発表したことが嬉しいパトリシア・マルクス&ブルーノ・E.「You're Free」から、思わず笑みがこぼれるPVにも心和らぐ、多幸感に満ちたベス・オートン「Conceived」への流れもピースフル。続くStephen Whynott「A Better Way」は、アコースティック・ギターのミニマルなグルーヴと優しい気持ちで前を向かせてくれる歌詞が、今だからこそより、柔らかく琴線に触れ、沁みてきます。切なくも清々しいエヴリシング・バット・ザ・ガール「Come On Home」のピアノ・ヴァージョンは、舞い散る桜吹雪を見ていて、ふと脳裏に浮かんできた曲でした。

昨晩は、代表作が紙ジャケットでSHM-CD化され話題を呼んでいるジョニ・ミッチェルのレコードを、とりあえず10枚取り出して、順に聴いていくつもりでした。ジェイムス・ブレイクがアルバム制作中に、彼女の『Blue』を聴きまくっていたと話していたり(考えてみれば、ジャケも似ています)、自分のコンピにも彼女の曲のカヴァーを収録することが増えたり(『寝室でくつろぐサロン・ジャズ・ヴォーカル』には、まさにその『Blue』から「All I Want」と「River」のカヴァーを収めました)、このところジョニ・ミッチェルをしっかり聴き直そう、という気持ちが高まっていたのです。ところが『Court And Spark』だけ聴いたまま、「Help Me」が引用されていたことを思い出して、プリンスの「ドロシー・パーカーのバラード」を無性に聴きたくなって、結局『Sign 'O' The Times』の各面をとっかえひっかえ聴いていたのでした。プリンスはそれまでも好きでしたが、僕が大学生のとき、『Parade』からこのアルバムにかけての頃は、本当に神がかっていたと思います(「ドロシー・パーカーのバラード」なんて、その後のディアンジェロからジェイムス・ブレイクまでを先取りしたような、とんでもなく素晴らしい曲ですよ、今になって聴いても)。彼は後年、『Blue』から「A Case Of You」を美しいバラードに仕立て、ジョニ・ミッチェルにオマージュを捧げていますね。
その他では、twitter(http://twitter.com/Toruhashimoto)のメモを見返すと、見落とされがちな作品として、ジェーン・バーキンの『Fictions』とヴァン・モリソンの『Common One』に触れておくべきでしょう。前者はラヴェルのピアノ演奏にのせたギベールの詩の朗読「幻のイマージュ〜亡き王女のためのパヴァーヌ」を、かつて『Love Song For My Heart』のエンディングに置きましたが、ニール・ヤング「Harvest Moon」、トム・ウェイツ「Alice」をカヴァーし、ゴンザレスとモッキー、ルーファス・ウェインライトやジョニー・マー、ポーティスヘッドなどが脇を固めています。後者はマイ・フェイヴァリット「Summertime In England」が白眉ですが、最近は特に、まるでビルド・アン・アークのようにメディテイティヴな「When Heart Is Open」に耳を澄ませてしまいます(『Chill-Out Mellow Beats 〜 Harmonie du soir』の後半のような、幽玄の静けさを愛する方は、ぜひ聴いてみてください)。
それから、アンドレ・メーマリとの共演盤でもお馴染みのナー・オゼッチに共感を抱いているというサンパウロの女性歌手、ヒタ・グーロのデビュー・アルバムも好盤でしたね。カエターノ・ヴェローゾ/シコ・ブアルキ/ミルトン・ナシメント、ウルグアイのホルヘ・ドレクスレル、それにエヴリシング・バット・ザ・ガール「Each And Everyone」のカヴァーも聴かせてくれます。前作の「Shalom Aleichem」をDJでヘヴィー・プレイしていた(Horvath Gabor Trioによる英詞カヴァー「Come On Over」も)イスラエルのベーシスト、アヴィシャイ・コーエンは今回はやはり強力なオリエンタル・グルーヴ「Ani Aff」のお世話になりそうです。そういえばジャズ系では、ノスタルジア77の新作『The Sleepwalking Society』をまだ手に入れていなくて、明日にでも見つけてくるつもりですが、自分の情報への疎さを反省すると共に、週に2回は行く大手CDショップの品揃えへの不信感を募らせずにいられません。そうそう、リイシューではその名もニュー・ウェイヴの、小春日和に幻想的なボサ・ソフト・ロック人気盤も、僕の周りでは歓声が上がりましたね。

さて、今週は6/2リリース予定の「usen for Cafe Apres-midi」10周年コンピ『Haven't We Met ?』の制作が佳境を迎えます。明日はライナー・ブックレット用に、株式会社USENのプロデューサー野村拓史との対談をカフェ・アプレミディで行います。また、そこにはセレクター14人全員が、それぞれ思いをこめ選んだ曲についてのエッセイを寄稿することになっており、読みものとしてもかなり充実したパッケージとなりそうです(しかも、ハンドメイド・チャンネルとして愛情をこめ、カルロス・アギーレのファースト復刻のときのように、ひとつひとつ手作りで仕上げます!)。
もちろん収録希望曲の許諾OKの知らせも続々と届いていますので、ぜひ楽しみにお待ちください。全員推薦の6〜7曲も含め、曲順は僕が決めますが、先週の日曜日の午後、MAISON KAYSERにパンを買いに行ったら、このコンピの土台となる「usen for Cafe Apres-midi」10周年記念放送がとても心地よく鳴っていて、思いきりモティヴェイションを高めて帰ってきました。「usen for Cafe Apres-midi」10年間の真のクラシックと言える、あの曲もこの曲もがひとつの記念碑となるその日を、僕自身がいちばん待ちきれないのかもしれません。

追記:4/12に永井宏さんが永眠されました。心よりご冥福をお祈りいたします。僕にとって永井さんは、美術作家というより大学生の頃から憧れていた編集者で、初めてお会いしたのは、もう20年前のことでした。永井さんが岡本仁さんたちと作った「VISAGE」のジャック・タチ特集号は、僕が編集者を志すようになったきっかけのひとつと言ってよく、今も大切にとってあります(隅から隅まで記憶しているほどです)。やはり永井さん&岡本さんによる「Gulliver」のパリ特集号も、バイブルのように読み、嫉妬さえ感じた一冊でした。
訃報を知ったその夜、「大きな音で聴かないで」とクレジットされた、アルカディアンズ(ルイ・フィリップ)がクレプスキュールに吹き込んだアルバム『It's A Mad Mad World』を小さな音で聴きながら、その日本盤に寄せられた永井さんのライナーを読んでいました。翌日はUSENスタジオで、ジェシ・コリン・ヤングの「Sunlight」(葉山でサンライト・ギャラリーを主宰した永井さんと、僕はこの曲について意気投合したことがあったのです)と、ハーブ・アルパート&ザ・T.J.B.「Save The Sunlight」を選曲に差しこみ、永井さんの「ロマンティックに生きようと決めた理由」を讃え、追悼しました。5〜6年前に、偶然会った仙台で、ボブ・ディランやニール・ヤング、ビーチ・ボーイズを弾き語りしてくれた光景がフラッシュバックしました。

再追記:先週4/20にBar Musicで行われた「Toru II Toru」という選曲会についても書いておきましょう。音楽評論家でありNHK-FM「世界の快適音楽セレクション」の選曲・構成も手がける渡辺亨さんと僕のユニット名(?)である「Toru II Toru」は、すでに90年代、僕が渡辺さんの札幌にある実家に招いていただいた頃にはレコード会社内外でささやかれていましたが、一緒にこの名でDJをするのは初めてでした。
かかる曲が間違いないのはもちろんなのですが、何よりも、音楽好きが場を充たしているという実感が確かにあったことが嬉しかったです。遠くから泊まりがけでお越しくださった方も含め、いらしていただいた皆さん、本当にありがとうございました。最近あまりない、とても濃密な時間・空間だったと思います。また2か月後に、と渡辺さん&店主の中村智昭から誘われているので、実現させましょう。ちなみに僕の1曲目は、届いたばかりのピチカート・ワンfeat.マリーナ・ショウによる「Imagine」(ジョン・レノン)でした。

『音楽のある風景〜寝室でくつろぐサロン・ジャズ・ヴォーカル』

夕闇は足早に景色の色をすくいとり、木々の輪郭を静かに浮かび上がらせる。鳥の鳴き声はやみ、風はただ穏やかな表情で移ろい流れゆく。カナディアン・シダー・ウッドの瀟洒なコテージは森の中で静かに息を潜め、窓からこぼれる橙色の灯りに、ぼんやりと草木が映し出される。薄明かりの寝室にはベルガモットの香りが漂い、ベッドサイドのロッキング・チェアには、柔らかな毛並みのブランケットがかけられ、スツールの上に灯されたキャンドルが小さな炎を揺らしている。サイドボードに置かれた一通のエアメイルには、光のモザイクのようなマンハッタンの夜景が写っている。ブランデー・ベースのナイトキャップ・カクテルを傾けながら、懐かしい友人の近況が綴られた手紙に目を落とす。馥郁たる芳醇な香りに包まれ、かすかに鳴っている静かな音楽に耳を傾ける。

ニューヨークの摩天楼の夜のとばりにリーフ・アーンツェンの歌声とトランペットが静かに浮かび上がる「Do It The Hard Way」には、彼のアイドルであるチェット・ベイカーへの親愛に満ちたオマージュがあふれている。ロジャース&ハートの「I Didn't Know What Time It Was」を軽やかに歌うサンナ・ファン・フリートと、コール・ポーターの粋な「I've Got You Under My Skin」をピアノに誘われて親密に歌うケリー・ディックソンは、スタンダードのメロディーの流麗さを見事に際立たせる。偉大なるジョニ・ミッチェルへの憧れを、ファビアーナ・マルトーネは「All I Want」で艶やかに、エリザベス・ローニンガーは「River」でシックに表現し、キャロル・キングの名曲「So Far Away」を、ケンドラ・シャンクは歌の表情をなぞるようにしっとりと歌い上げる。エンリカ・バッキアが繊細なスキャットを響かせるイヴァン・リンスの「Madalena」、ケイト・マクギャリーのギターとのユニゾン・スキャットが心地よいトニーニョ・オルタの「Aquelas Coisas Todas」には、ミナスのメロディーの眩い個性が光っている。ジーニー・ブライソンが歌うトッド・ラングレンの「Hello It's Me」や、セルソ・フォンセカによるスティーヴィー・ワンダーの「Superwoman」は、歌に対する確かな愛情を感じさせ、ウォームな歌声のサスキア・ブルーインが歌うマリーナ・ショウの名唱で知られる「Feel Like Making Love」は、優しい甘い吐息のように耳元をくすぐる。セシリア・ノービーがエリック・サティの“ジムノペディ”を歌にした「No Air」は、絹のヴェールで包まれるような弦と鍵盤の響きが、灯りを落とした部屋に美しい音の影を描く。

友からの手紙を読みながら夜は静かに更けてゆく。最近のお気に入りの音楽についてのとりとめのない話題に、ふと、幾人かの友人の顔が浮かんでくる。離れていても、好きな音楽でつながっていると思うと心の底がほのかに温かくなる。流れていた曲が終わると静寂が訪れる。そして、眠りの足音がすぐ近くまでやってきたことに気づく。

吉本宏

「フリー・ソウル・コンピレイション5枚のSHM-CD化に寄せて」

1995年のある日、ポリドール(現ユニバーサル)のディレクターの方から、「うちでもフリー・ソウルのコンピを作らせてもらえませんか?」と電話があったときの胸の高鳴りは忘れられない。すでに十分すぎるほど話題になっていたフリー・ソウルだが、モータウンやA&Mなど、最も充実した音源を所有するポリドールのカタログ制作セクションに僕の知り合いはいなく、残念なことにそれまで手つかずとなっていたからだ。
それは待たれていた一枚がついに登場することを意味していた。当時DJ Bar Inkstickで毎月行われていたイヴェント“Free Soul Underground”の熱気をそのまま封じ込めたような。言わばフリー・ソウルのリアルな姿が陽の目を見るときが到来したのだ。
『Parade』と『Lights』、そしてMCAビクター(やはり現ユニバーサル)からの『Mind』(さらに他社リリースの『Avenue』『Garden』『River』『Wind』の計7枚)は、1995年の秋に、ほぼ同時に選曲した。『Lights』のリリースがやや遅れたのは、収録が待ち望まれていたジャクソン・シスターズのライセンスに時間を要したからに他ならない(その後リリースされた彼女たちのアルバムがすぐに5万枚を越えるセールスを記録したことでも、どれほど待ち望まれていたかがわかるだろう)。
『Parade』はスピナーズに始まり、コーク・エスコヴェードにオデッセイとフリー・ソウル・クラシックがたたみかけ、メロウなグロリア・スコットやロック(ブライアン・オーガー)、フォーキー(エレン・マクルウェイン)、ラーガ(デイヴ・パイク)、フレンチ(ジェーン・バーキン)などヴァラエティーにも富んだ一枚で、フリー・ソウルと言えばまずこれを思い出す、というファンの方が多いのも納得できる。
『Lights』もスウィート・チャールズにジャクソン・シスターズと人気曲が並び、ダイアナ・ロスなど有名アーティストの隠れた名曲を拾いながら、アルゾ&ユーディーンやセヴリン・ブラウンといったフォーキーなSSWまで含み、キャッチーな印象がフリー・ソウルのファン層をより広げてくれたはずの一枚だ。
アーゴ/カデットの音源を有したMCAビクターの『Mind』は、やはりテリー・キャリアーやロータリー・コネクションなどのスピリチュアルな名作群に惹かれるが、カヴァーやサンプリングを通して、トーキング・ラウドやアシッド・ジャズといった90年代のクラブ・ジャズ・シーンとリンクする楽曲が多いことも特筆すべきだろう。そんないぶし銀の連なりの中で、ポインター・シスターズの伸びやかな躍動感が出色の輝きを放っている。
1998年にリリースされた『Universe』は、その頃のクラブ・パーティーの明るさが反映された、自分も乗りに乗っていたんだな、と思わされるハッピー&ダンサブルな選曲。まさにハッピー・ロックという感じのレクシア、ラップ(カーティス・ブロウ)、ニュー・ウェイヴ(デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ)に、テルマ・ヒューストンを始めとするメロディアスなダンス・クラシックも混じえた縦横無尽のセレクションで、いま聴くと眩しいほど華やかで爽快だ。
一方で1999年に入っての『Memory』は、自分のルーツに立ち還るようなセレクトも目立ち、その年の秋にオープンするカフェ・アプレミディの足音が、もうそこまで聴こえている。ゲンスブール&バーキンの流れに胸を締めつけられ、スタイル・カウンシルで清々しい青春の風に吹かれる。そしてこの頃、DJでセルジオ・メンデス&ブラジル66の「Tristeza」をかけると、言葉ではとても表すことのできない、感極まる一体感にフロアが包まれた。そのときの情景を、僕は一生忘れないだろう。自分の人生を段落変えする瞬間が少しずつ近づいていた。

Our Lives Are Shaped By What We Love

もう今後はこれ以上の幸福は味わえないのではないかと思うほど、とても多くの方に支持され、僕もレコード会社も喜ばせてくれた5枚のコンピレイションが、SHM-CDとして新たな生命を吹き込まれる。あの頃のことを考えながら、そして未来にかすかな希望を託して、僕もじっくりと聴き返してみたい。
それまでの音楽の価値体系を刷新するような視点で掘り起こされ、光を当てられた収録曲は、確かにすべてのDJやマニアを嫉妬させるインパクトを持っていた。そう、それまでこんなコンピはなかった、という気概や勢いが、これらを特別なものとして光り輝かせている。いまの自分を省みると、この頃に負けない深い音楽愛と胆力のある批評眼・審美眼は持ち合わせているつもりだが、これほどポジティヴなメッセージ性や同世代が感情移入できるストーリーは用意できない。
ただただ、ここに収められた音楽の素晴らしさが、次世代のリスナーや新しく誕生する音楽家に受け継がれることを願うばかりだ。もちろんコンパイラーとして、この選曲に宿る(若さの特権でもある)気高いスピリットのようなものを感じとっていただければ幸いだが、初めての方も、改めての方も、少しでも多くの方が、このSHM-CD化を機に、ここにあるかけがえのない音楽に触れられるのであれば、それ以上に嬉しいことはない。そのことの持つ大きな意味は、何よりも音楽それ自体が、すべてを語ってくれているような気がする。

2011年4月 橋本徹 (SUBURBIA)
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