今日は夏至。午後5時。アニエス・ヴァルダが撮った「5時から7時までのクレオ」という映画を思い出す。パリの街並みはどんな光に包まれているのだろうか。日没までの時間、西陽の射す窓辺でペンを執ることにした。
先月から今月にかけて、行きつけの店「Bar Bossa」に足を踏み入れると、4回続けて『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』がちょうど店内でかかっているところだった。素直に嬉しい。「Bar Bossa」で流れているのを気に入って、マスターの林さんに訊いてCD買ったんですよ、と声をかけてくれた方もすでに3人(林さんは毎晩かけてくれているらしい)。こんな感じで、いろいろな場所でいろいろな方に助けられているのだろう。
そういうお店のひとつ、姫路の「HUMMOCK Cafe」から先週、カフェの8年の軌跡をたどった素敵な小冊子が送られてきた(吉本宏コレクションのフルーツ・シールがデザインされたハンカチと一緒に)。さっそく読んだ僕は、本当に大感動してしまった。何か忘れかけていた大切なものを思い出させてもらったような気がした。この店のナカムラ夫妻の出会いをうらやましく思うと共に、すぐにでも美しいヨット・ハーバーと小さな緑の山に囲まれた「HUMMOCK Cafe」を訪ねたくなった。心地よい潮風がバルコニーのオリーヴの木を揺らし、甘やかなコーヒーの香りが漂う中で『素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』が流れるその店の光景を、今も思っている。
いよいよ7/7にアプレミディに先行入荷してくるカルロス・アギーレのファースト・アルバムの日本盤にも、そうした方々から待望の声が日増しに高まり(北海道/仙台/山形/下北沢/吉祥寺/名古屋/神戸/姫路/岡山/福岡……と、全国から反響が届いています)、真摯な歌詞の素晴らしさや手描きの水彩画、手づくりのパッケージにこめられた思いを感じとっていただける方が少しでも増えたらと願っている。このページの最後には、吉本宏による詳細なライナーを掲載しておくので、ぜひお読みいただければと思う。このプロジェクトが多くの音楽ファンの献身的な情熱によって支えられていることも特筆すると共に、その強いサポートによって秋には奇跡のカルロス・アギーレ初来日公演も実現しそうな勢い、ということも付け加えておきたい。また、僕とアプレミディ・レコーズを担当するインパートメントの稲葉ディレクターは、カルロス・アギーレのニュー・アルバムを日本原盤で制作できないか、などとも夢想している。そんなことを考えたのは、最近「Rove」という雑誌からお薦めのレゲエ・ディスクを問われて、こんな原稿を書いたばかりだったからかもしれない。
Gladstone Anderson 『Don't Look Back』
愛してやまないジャマイカの名ピアニスト。インストゥルメンタル中心のムーディスク盤も大愛聴作だが、これほど心を穏やかにしてくれる一枚はない。美しいメロディーとファルセットの歌声に奇跡が宿るヴォーカル作品。原田治さんのジャケットの絵もボブ・ディランを思い出すタイトルも最高な、心から拍手を贈るべき日本制作盤。こういうアイディアと熱意に満ちたアルバムを作ろうという気概を持つレコード会社は今ないのだろうか。
というわけで、それ以来、このアルバムやムーディスク盤(「Suburbia Suite; Evergreen Review」参照)をとっかえひっかえ聴くことが増えている。同誌には小玉和文氏のコラムもあって、彼もグラッドストーン・アンダーソンの作品を推奨していた。僕は学生時代、ミュート・ビートとグラディーが共演したステージを観たことを懐かしく思い出した(その頃スカタライツの初来日に感激したのも忘れられない)。そしてこの10日ほどは、友人からDVDを借りてきて、グラッドストーン・アンダーソン『Don't Look Back』の制作者でもある石井“EC”志津男氏が監督した「Ruffn' Tuff」をよく観ている。
「Ruffn' Tuff」は2006年に劇場公開されたのでご覧になった方も多いだろう、グラディーを語り部としてカリプソ〜メント〜スカ〜ロック・ステディー〜レゲエといったジャマイカン・ミュージックの歴史を愛情たっぷりにたどり、ワン・ドロップの永遠の魅力に迫ったドキュメンタリー。流れてくる音楽がどれもスウィートで胸を震わせる。ラフでタフで優しい。グラッドストーン・アンダーソンの名曲「Twinkle Star」が奏でられるオープニングのタイトル・ロールから美しい。とりわけ沁みてくるのは、夕暮れの波打ち際でヘプトーンズのリロイ・シブルズがギター1本で弾き語る「I Shall Be Released」(ボブ・ディラン&ザ・バンド)。ロック・ステディーをジャマイカのソウル・ミュージックと語る、今年1月に亡くなった伝説のギタリスト、リン・テイトの在りし日の姿を観られるのにも涙。そしてグラディーと旧友ストレンジャー・コール(「Ruff And Tuff」は彼のレコード)の至福の再会……。
さまざまな逡巡や喪失感(と苛立ちと落胆と諦念)を抱えながら毎日をすごす自分に光をくれる、そんなフィルムだ。心の弱さをずいぶん理解するようになったつもりの僕も、ラフ&タフに、そして優しく生きていこうと思わされる。
例年にも増して蒸し暑い今年の梅雨の僕のすごし方は、例えばこんな感じなのだが、もうひとつDVDの話をすると、昨日のような梅雨のささやかな晴れ間の日曜の午後は、何となく清々しい気分になりたくてTVモニターに「スプラウト」を映していた。ご存じトーマス・キャンベルによるサーフ・ムーヴィーの新定番。オリヴァー・ネルソンの「Stolen Moments」をバックにしたオープニング・タイトルから「真夏の夜のジャズ」に匹敵するほどクールだが、僕は優しく瞑想的なスピリチュアル・ジャズのようで大好きなHIMの「Of The Periphery」が流れるスリランカの章にいちばん惹かれる。ジェフ・マクフェトリッジのアニメイションとメランコリックなピアノ曲から、シングルフィンのロングボードをしなやかに乗りこなす女性たちの映像へと流れるシークエンスにも。ベリンダ、モニカ、アシュリー……みな名前がいい(ような気がする)。「スプラウト」の最大の魅力は波乗りたちの心からの笑顔かもしれない、そんなことも思う。そしてこの映画の最後のメッセージはこうだ──「可能性をムダにせず心から今を楽しむこと。人生はそれがすべてだ」。
そんな人生の夏にしか言えない台詞を(自戒をこめて)胸に、それではDJパーティーのお知らせを。今週末は6/25(金)、前回の好評を受けて「MUSICAANOSSA」のアシッド・ジャズ・カウンシル第2弾。ライヴは“生き字引き”山下洋率いるフリーダム・スイート、ゲストDJに中原仁。ちなみに仁さん(とその奥様)は『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』をとても気に入ってくださったそうで、制作・選曲を手がけるJ-WAVEの番組「SAUDE! SAUDADE...」で大きくフィーチャーしてくれたと聞き、大感謝(滝川クリステルもきっと気に入ってくれたことでしょう!)。
6/27(日)は中村智昭が渋谷に開いた「Bar Music」でのスペシャル・ナイト。ライヴにスウェーデンからヨハン・クリスター・シュッツ、名古屋から次松大助と最高のふたりを迎え(両者のセッションもありますよ)、僕もたっぷり2時間以上DJするつもり。題して「Music Is My Passion」、これは絶対にお観逃しのないように。カフェ・アプレミディでの温かいライヴが今も忘れられないヨハンには、今回は1か月以上になった日本滞在の最後の素晴らしい思い出を、と考えている。次松くんのパフォーマンスは、何よりも自分の友だち、大切な人たちに観てもらいたくて。
そんなことを思いながらふと窓の外に目をやると、向かいの建物には明かりが灯り、時刻はもうすぐ午後7時になろうとしている。先ほどから部屋にはアプレミディ・レコーズの新しいコンピのための選曲スケッチを流していて、ミア・ドイ・トッド・ウィズ・アンドレス・レンテリア「Emotion」の心休まる音色と旋律が、沈む夕陽に照らされてオレンジ色から赤紫に染まった雲と溶け合い、言葉に尽くせぬ美しさだ。コンピレイションのジャケットをお願いしたFJDこと藤田二郎くん(彼が手がけたCALMやNujabesなどのアートワークを嫌いな方なんていませんよね?)から今日届いたドローイングも、こんな時間の光景が幻想的に描かれている。「Chill-Out Mellow Beats」のシリーズで登場させるそのCDのタイトルは『Harmonie du soir』とする予定。DJパーティー「harmony」のオーガナイザー原口さんの言葉をヒントに、ドビュッシーの曲名から名づけた。“夕べのしらべ”(複数形で表記されるリストの「Harmonies du soir」の邦題として使われることの多い表現です)というような意味を持たせているのだが、インスピレイションが湧いて甘美な音のイメージが浮かんでくるのは僕だけだろうか。
7月の第1週には北見〜釧路と道東へのDJツアーも控えている。北海道の夕焼けもきっときれいだろうなあ、と子供のような気持ちになったところで、ペンを置く。
速報:サバービア〜フリー・ソウル〜アプレミディのファンの方ならマニアならずとも垂涎のはずの、あのハワイ産AORの最高峰、ルイの名盤中の名盤(「My Lover」は僕が結婚することになったら歌いたい曲No.1です)が、来月アプレミディ・レコーズから急遽リイシュー(世界初CD化!)されることになりました。ご本人と直接コンタクトを取ることに成功した稲葉ディレクターの快挙ですが、詳しくはまた改めて!
Carlos Aguirre Grupo 『Carlos Aguirre Grupo』(Crema)
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから北西400キロに位置するエントレリオス州の首都パラナ。街はラプラタ河に流れ込む支流のひとつであるパラナ河の東岸に面しており、グアラニー語で“神の母”を意味するという。河幅は広いところでは2キロを超え、街の中心部からでも少し高い建物に登ればパラナ河を眺めることができる。そのパラナ河のバハーダ・グランデと呼ばれるあたりの河岸からほど近いところにカルロス・アギーレは住んでいる。
彼にとって河は特別な想いがある場で、河のそばに住むことは彼の長年の夢だったそうだ。音楽のインスピレイションを河から受けることもあり、パラナ河は彼にとってかけがえのない創造の源だという。彼の紡ぎだす音楽からは、風の音が聴こえ、大地の鼓動が響き、雄大な大河の流れを感じとることができる。
アルゼンチンは、アンデス山脈やパンパ大平原など多くの雄大な自然を有し、かの地で演奏されてきた民族音楽フォルクローレも大いなる自然の影響を受けている。その伝統的なフォルクローレを愛し継承しながらも、そこに自らが影響を受けたジャズやブラジル音楽、クラシックなど様々な音楽のエッセンスを融合させ昇華させたのがカルロス・アギーレの音楽だ。ジャズのフィーリングをもったピアノのタッチ、クラシック・ギターのような旋律やハーモニクスを鳴らす美しい弦の響き、フィールド・レコーディングを採り入れた水の流れる音、光を反射するようなナチュラルなパーカッションなどが、6/8拍子のフォルクローレの伝統的なリズムと重なり、ときにミナス・サウンドのような大らかさを誘い、余白をもった美しく奥行きのある空間を浮かび上がらせる。
カルロス・アギーレは、いま注目を集めるモダン・フォルクロリック・ジャズ・シーンの支柱的な存在で、数多くのアーティストから尊敬されているピアニスト/コンポーザー/アレンジャーであり、自身のグループ、カルロス・アギーレ・グルーポを率いて演奏活動を行っている。
1965年にエントレリオス州のセギーで生まれ、子供の頃からたくさんの音楽の流れる環境で育ち、数多くのフォルクローレの先人たちの音楽に親しんだ。10代の中頃にピアノを本格的に始め、やがてギターやパーカッションも演奏するようになる。古いフォルクローレのアーティストでは、アタウアルパ・ユパンキ、クチ・レギサモンなどを尊敬していると語り、国外のアーティストでは、キース・ジャレットやパット・メセニー&ライル・メイズ、エグベルト・ジスモンチなどに影響を受け、同郷では音に鋭敏な感覚をもつモノ・フォンタナを敬愛し、アカ・セカ・トリオのフアン・キンテーロには強いシンパシーを感じているという。
1986年、ジャズ・ロックのグループ、エル・モリーノへの参加を皮切りに、90年代には、ギタリストのルーチョ・ゴンサレスとのデュオ・アルバムや、リリカルなタッチのピアノ・トリオ・アルバムを吹き込んでいる。2000年代に入り、自身のグループでの最初のレコーディング作品として彼が主宰するレーベル、シャグラダ・メードラから本作『Carlos Aguirre Grupo(Crema)』(2000年)をリリースし、続いてグルーポのアンサンブルを深化させた『Carlos Aguirre Grupo(Rojo)』(2004年)、珠玉のピアノ・ソロ作品『Caminos』(2006年)、雄大なスケール感をもった『Carlos Aguirre Grupo(Violeta)』(2008年)を発表した。また彼はリリアーナ・エレーロやシルヴィア・イリオンドなど多くのアーティストのアルバムにも参加している。
2000年に本国アルゼンチンでリリースされた本作は、通称クレーマ(クリーム色の意)と呼ばれ、彼がそれまでに培ってきた音楽の経験が美しい結晶として音にあらわれ、オープニングを飾る「Los Tres Deseos De Siempre」には、彼の音楽のエッセンスとグルーポの演奏のこまやかさが美しく映しだされている。
流れ星が星屑を煌かせるかのような静かな音のさざなみの中に響くギターの音色に、キケ・シネシの陽炎を思わせる揺らめく繊細なピッコロ・ギターの調べが重なり、盟友フェルナンド・シルヴァのまろやかなフレットレス・ベースが空間に深みと奥行きを生み出す。ギターのハーモニクスのリフレインが眩いエコーを響かせ、カルロス・アギーレの艶めく歌声を迎え入れ、やがて2つのギターはゆっくりと左右に広がり、2人の女声コーラスが穏やかな風のように彼の歌を包みこむ。曲は大きな流れとしてとらえられ、彼はメロディーを主体にしながらフレーズの抑揚に応じて拍が自然に伸縮するような独特の間合いで語りかけるように歌い、ひとつの物語を紡いでいく。優しい河のうねりにも似たしなやかな流れは彼の音楽の大きな魅力だ。まるで、彼がひとりで演奏しているかのような息のあったグルーポのアンサンブルの一体感について、彼は何よりもメンバーの選択と対話が大切だと語った。まず、彼と同じ考え方をもった演奏家を集め、アレンジに関してもつねにメンバーのもつ最良の部分が引き出せるように心がけ、グルーポのメンバーと対話をしながら一緒に表現を探していき、演奏を何度も繰り返すことによってグルーポの一体感が生まれてくるのだという。
このアルバムは音楽だけでなく、ジャケットのアートワークにもカルロス・アギーレの美への信念があらわれている。彼はジャケットはアートであるべきと考え、友人のイラストレイターであるパメラ・ヴィジャラーサが1枚ずつ手描きした水彩画を、小窓を切り抜いた手ざわりのよいクリーム色のクラフト紙のスリーヴの中に挿入し、小さなアート作品に仕上げている。さらにブックレットには訳詞と彼による曲へのコメントが掲載され、まるで魂の独白や、愛のため息、追憶の夢想のように静かに物語を紡いでいく彼の詩人としての卓越した表現力に驚かされる。優しいメロディーに詞が寄り添う「Los Tres Deseos De Siempre」や「Zamba De Mancha Y Papel」、名作「Pasarero」の美しい詩情、さらに、情熱的な「Beatriz Durante」や神秘的な「La Tarka」などの曲調は、詞の世界と分かちがたい魅力をもち、彼の音楽をより深く理解する上で歌詞を知ることはとても重要だ。
2010年の早春に友人がアルゼンチンを旅し、カルロス・アギーレと会って話を訊く機会を得た。彼の言葉から感じるのは、彼が“音楽の持つ力”を強く信じているということだ。仲間との音楽的な対話から音はさらに生命感を帯びていくことや、音楽を介して人と人とがつながっていくことを彼は何よりも大切だと考えている。さらに、彼の自然を愛する想いについて、アルゼンチン盤のCDケースに収められた枯れ葉は、自然破壊に対する彼なりのメッセージとして伐採された木々の葉を封入していることを教えられた。
「私は“芸術家”であり、ただ音楽だけで伝えたいと思っています。私の仕事は“美しさ”を探求することなのです」と彼は語った。その誠実で真摯な音楽観や、人と自然を愛する人生観、繊細なものに美を見出す彼の美意識と感性に強く共感を覚える。彼の言葉をかみしめ、詞を読みながらその音楽を聴いていると深い感動に包まれていく。パラナの街を愛し、ブエノスアイレスの喧騒から離れ、地方にいることに何よりも誇りをもっている彼は、今日も雄大なパラナ河のほとりに佇み、たゆたう河の流れを見つめているかもしれない。地球の裏側で自分の音楽が愛されていることを聞き、彼は「音楽は人と人との出会いの可能性を広げるものだ」と静かに語ってくれた。
吉本宏
追記:素晴らしいライナーを読んでいただいた後に恐縮ながら、ぼやきをひとつ。相変わらずパソコンを持っていない僕にはどうでもよいことだが、何か月かに一度、この[staff blog]のページは文字が多くて読みにくい、と友人から文句を言われる。段落ごとに1行あけてはどうか、とか何とか。そのたびに僕は、段落の最初を1角あけられないだけでも気が狂いそうなのに、そんなことするわけない、と応えている。余白や行間が大切、なんてことは百も承知だが、IT(言葉が古いか)の進歩は、僕には人間の潜在能力を摘みとっているように思えて仕方ないときがあるのだ。だから、そういう女たちには(そう、男たちはそんな野暮なことは言わない)、読んでくれなくて構わない、と毅然とした態度でのぞんでいる。とはいえ、ここまで読んでくださった皆さんには、本当に心より感謝の気持ちを抱いていることを、謙虚にお伝えしたいのだが。