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6月21日──橋本徹のアプレミディ・レコーズ&DVD&DJ情報

今日は夏至。午後5時。アニエス・ヴァルダが撮った「5時から7時までのクレオ」という映画を思い出す。パリの街並みはどんな光に包まれているのだろうか。日没までの時間、西陽の射す窓辺でペンを執ることにした。
先月から今月にかけて、行きつけの店「Bar Bossa」に足を踏み入れると、4回続けて『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』がちょうど店内でかかっているところだった。素直に嬉しい。「Bar Bossa」で流れているのを気に入って、マスターの林さんに訊いてCD買ったんですよ、と声をかけてくれた方もすでに3人(林さんは毎晩かけてくれているらしい)。こんな感じで、いろいろな場所でいろいろな方に助けられているのだろう。
そういうお店のひとつ、姫路の「HUMMOCK Cafe」から先週、カフェの8年の軌跡をたどった素敵な小冊子が送られてきた(吉本宏コレクションのフルーツ・シールがデザインされたハンカチと一緒に)。さっそく読んだ僕は、本当に大感動してしまった。何か忘れかけていた大切なものを思い出させてもらったような気がした。この店のナカムラ夫妻の出会いをうらやましく思うと共に、すぐにでも美しいヨット・ハーバーと小さな緑の山に囲まれた「HUMMOCK Cafe」を訪ねたくなった。心地よい潮風がバルコニーのオリーヴの木を揺らし、甘やかなコーヒーの香りが漂う中で『素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』が流れるその店の光景を、今も思っている。
いよいよ7/7にアプレミディに先行入荷してくるカルロス・アギーレのファースト・アルバムの日本盤にも、そうした方々から待望の声が日増しに高まり(北海道/仙台/山形/下北沢/吉祥寺/名古屋/神戸/姫路/岡山/福岡……と、全国から反響が届いています)、真摯な歌詞の素晴らしさや手描きの水彩画、手づくりのパッケージにこめられた思いを感じとっていただける方が少しでも増えたらと願っている。このページの最後には、吉本宏による詳細なライナーを掲載しておくので、ぜひお読みいただければと思う。このプロジェクトが多くの音楽ファンの献身的な情熱によって支えられていることも特筆すると共に、その強いサポートによって秋には奇跡のカルロス・アギーレ初来日公演も実現しそうな勢い、ということも付け加えておきたい。また、僕とアプレミディ・レコーズを担当するインパートメントの稲葉ディレクターは、カルロス・アギーレのニュー・アルバムを日本原盤で制作できないか、などとも夢想している。そんなことを考えたのは、最近「Rove」という雑誌からお薦めのレゲエ・ディスクを問われて、こんな原稿を書いたばかりだったからかもしれない。
Gladstone Anderson 『Don't Look Back』
愛してやまないジャマイカの名ピアニスト。インストゥルメンタル中心のムーディスク盤も大愛聴作だが、これほど心を穏やかにしてくれる一枚はない。美しいメロディーとファルセットの歌声に奇跡が宿るヴォーカル作品。原田治さんのジャケットの絵もボブ・ディランを思い出すタイトルも最高な、心から拍手を贈るべき日本制作盤。こういうアイディアと熱意に満ちたアルバムを作ろうという気概を持つレコード会社は今ないのだろうか。

というわけで、それ以来、このアルバムやムーディスク盤(「Suburbia Suite; Evergreen Review」参照)をとっかえひっかえ聴くことが増えている。同誌には小玉和文氏のコラムもあって、彼もグラッドストーン・アンダーソンの作品を推奨していた。僕は学生時代、ミュート・ビートとグラディーが共演したステージを観たことを懐かしく思い出した(その頃スカタライツの初来日に感激したのも忘れられない)。そしてこの10日ほどは、友人からDVDを借りてきて、グラッドストーン・アンダーソン『Don't Look Back』の制作者でもある石井“EC”志津男氏が監督した「Ruffn' Tuff」をよく観ている。
「Ruffn' Tuff」は2006年に劇場公開されたのでご覧になった方も多いだろう、グラディーを語り部としてカリプソ〜メント〜スカ〜ロック・ステディー〜レゲエといったジャマイカン・ミュージックの歴史を愛情たっぷりにたどり、ワン・ドロップの永遠の魅力に迫ったドキュメンタリー。流れてくる音楽がどれもスウィートで胸を震わせる。ラフでタフで優しい。グラッドストーン・アンダーソンの名曲「Twinkle Star」が奏でられるオープニングのタイトル・ロールから美しい。とりわけ沁みてくるのは、夕暮れの波打ち際でヘプトーンズのリロイ・シブルズがギター1本で弾き語る「I Shall Be Released」(ボブ・ディラン&ザ・バンド)。ロック・ステディーをジャマイカのソウル・ミュージックと語る、今年1月に亡くなった伝説のギタリスト、リン・テイトの在りし日の姿を観られるのにも涙。そしてグラディーと旧友ストレンジャー・コール(「Ruff And Tuff」は彼のレコード)の至福の再会……。
さまざまな逡巡や喪失感(と苛立ちと落胆と諦念)を抱えながら毎日をすごす自分に光をくれる、そんなフィルムだ。心の弱さをずいぶん理解するようになったつもりの僕も、ラフ&タフに、そして優しく生きていこうと思わされる。
例年にも増して蒸し暑い今年の梅雨の僕のすごし方は、例えばこんな感じなのだが、もうひとつDVDの話をすると、昨日のような梅雨のささやかな晴れ間の日曜の午後は、何となく清々しい気分になりたくてTVモニターに「スプラウト」を映していた。ご存じトーマス・キャンベルによるサーフ・ムーヴィーの新定番。オリヴァー・ネルソンの「Stolen Moments」をバックにしたオープニング・タイトルから「真夏の夜のジャズ」に匹敵するほどクールだが、僕は優しく瞑想的なスピリチュアル・ジャズのようで大好きなHIMの「Of The Periphery」が流れるスリランカの章にいちばん惹かれる。ジェフ・マクフェトリッジのアニメイションとメランコリックなピアノ曲から、シングルフィンのロングボードをしなやかに乗りこなす女性たちの映像へと流れるシークエンスにも。ベリンダ、モニカ、アシュリー……みな名前がいい(ような気がする)。「スプラウト」の最大の魅力は波乗りたちの心からの笑顔かもしれない、そんなことも思う。そしてこの映画の最後のメッセージはこうだ──「可能性をムダにせず心から今を楽しむこと。人生はそれがすべてだ」。
そんな人生の夏にしか言えない台詞を(自戒をこめて)胸に、それではDJパーティーのお知らせを。今週末は6/25(金)、前回の好評を受けて「MUSICAANOSSA」のアシッド・ジャズ・カウンシル第2弾。ライヴは“生き字引き”山下洋率いるフリーダム・スイート、ゲストDJに中原仁。ちなみに仁さん(とその奥様)は『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』をとても気に入ってくださったそうで、制作・選曲を手がけるJ-WAVEの番組「SAUDE! SAUDADE...」で大きくフィーチャーしてくれたと聞き、大感謝(滝川クリステルもきっと気に入ってくれたことでしょう!)。
6/27(日)は中村智昭が渋谷に開いた「Bar Music」でのスペシャル・ナイト。ライヴにスウェーデンからヨハン・クリスター・シュッツ、名古屋から次松大助と最高のふたりを迎え(両者のセッションもありますよ)、僕もたっぷり2時間以上DJするつもり。題して「Music Is My Passion」、これは絶対にお観逃しのないように。カフェ・アプレミディでの温かいライヴが今も忘れられないヨハンには、今回は1か月以上になった日本滞在の最後の素晴らしい思い出を、と考えている。次松くんのパフォーマンスは、何よりも自分の友だち、大切な人たちに観てもらいたくて。
そんなことを思いながらふと窓の外に目をやると、向かいの建物には明かりが灯り、時刻はもうすぐ午後7時になろうとしている。先ほどから部屋にはアプレミディ・レコーズの新しいコンピのための選曲スケッチを流していて、ミア・ドイ・トッド・ウィズ・アンドレス・レンテリア「Emotion」の心休まる音色と旋律が、沈む夕陽に照らされてオレンジ色から赤紫に染まった雲と溶け合い、言葉に尽くせぬ美しさだ。コンピレイションのジャケットをお願いしたFJDこと藤田二郎くん(彼が手がけたCALMやNujabesなどのアートワークを嫌いな方なんていませんよね?)から今日届いたドローイングも、こんな時間の光景が幻想的に描かれている。「Chill-Out Mellow Beats」のシリーズで登場させるそのCDのタイトルは『Harmonie du soir』とする予定。DJパーティー「harmony」のオーガナイザー原口さんの言葉をヒントに、ドビュッシーの曲名から名づけた。“夕べのしらべ”(複数形で表記されるリストの「Harmonies du soir」の邦題として使われることの多い表現です)というような意味を持たせているのだが、インスピレイションが湧いて甘美な音のイメージが浮かんでくるのは僕だけだろうか。
7月の第1週には北見〜釧路と道東へのDJツアーも控えている。北海道の夕焼けもきっときれいだろうなあ、と子供のような気持ちになったところで、ペンを置く。

速報:サバービア〜フリー・ソウル〜アプレミディのファンの方ならマニアならずとも垂涎のはずの、あのハワイ産AORの最高峰、ルイの名盤中の名盤(「My Lover」は僕が結婚することになったら歌いたい曲No.1です)が、来月アプレミディ・レコーズから急遽リイシュー(世界初CD化!)されることになりました。ご本人と直接コンタクトを取ることに成功した稲葉ディレクターの快挙ですが、詳しくはまた改めて!

Carlos Aguirre Grupo 『Carlos Aguirre Grupo』(Crema)

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスから北西400キロに位置するエントレリオス州の首都パラナ。街はラプラタ河に流れ込む支流のひとつであるパラナ河の東岸に面しており、グアラニー語で“神の母”を意味するという。河幅は広いところでは2キロを超え、街の中心部からでも少し高い建物に登ればパラナ河を眺めることができる。そのパラナ河のバハーダ・グランデと呼ばれるあたりの河岸からほど近いところにカルロス・アギーレは住んでいる。
彼にとって河は特別な想いがある場で、河のそばに住むことは彼の長年の夢だったそうだ。音楽のインスピレイションを河から受けることもあり、パラナ河は彼にとってかけがえのない創造の源だという。彼の紡ぎだす音楽からは、風の音が聴こえ、大地の鼓動が響き、雄大な大河の流れを感じとることができる。

アルゼンチンは、アンデス山脈やパンパ大平原など多くの雄大な自然を有し、かの地で演奏されてきた民族音楽フォルクローレも大いなる自然の影響を受けている。その伝統的なフォルクローレを愛し継承しながらも、そこに自らが影響を受けたジャズやブラジル音楽、クラシックなど様々な音楽のエッセンスを融合させ昇華させたのがカルロス・アギーレの音楽だ。ジャズのフィーリングをもったピアノのタッチ、クラシック・ギターのような旋律やハーモニクスを鳴らす美しい弦の響き、フィールド・レコーディングを採り入れた水の流れる音、光を反射するようなナチュラルなパーカッションなどが、6/8拍子のフォルクローレの伝統的なリズムと重なり、ときにミナス・サウンドのような大らかさを誘い、余白をもった美しく奥行きのある空間を浮かび上がらせる。
カルロス・アギーレは、いま注目を集めるモダン・フォルクロリック・ジャズ・シーンの支柱的な存在で、数多くのアーティストから尊敬されているピアニスト/コンポーザー/アレンジャーであり、自身のグループ、カルロス・アギーレ・グルーポを率いて演奏活動を行っている。
1965年にエントレリオス州のセギーで生まれ、子供の頃からたくさんの音楽の流れる環境で育ち、数多くのフォルクローレの先人たちの音楽に親しんだ。10代の中頃にピアノを本格的に始め、やがてギターやパーカッションも演奏するようになる。古いフォルクローレのアーティストでは、アタウアルパ・ユパンキ、クチ・レギサモンなどを尊敬していると語り、国外のアーティストでは、キース・ジャレットやパット・メセニー&ライル・メイズ、エグベルト・ジスモンチなどに影響を受け、同郷では音に鋭敏な感覚をもつモノ・フォンタナを敬愛し、アカ・セカ・トリオのフアン・キンテーロには強いシンパシーを感じているという。
1986年、ジャズ・ロックのグループ、エル・モリーノへの参加を皮切りに、90年代には、ギタリストのルーチョ・ゴンサレスとのデュオ・アルバムや、リリカルなタッチのピアノ・トリオ・アルバムを吹き込んでいる。2000年代に入り、自身のグループでの最初のレコーディング作品として彼が主宰するレーベル、シャグラダ・メードラから本作『Carlos Aguirre Grupo(Crema)』(2000年)をリリースし、続いてグルーポのアンサンブルを深化させた『Carlos Aguirre Grupo(Rojo)』(2004年)、珠玉のピアノ・ソロ作品『Caminos』(2006年)、雄大なスケール感をもった『Carlos Aguirre Grupo(Violeta)』(2008年)を発表した。また彼はリリアーナ・エレーロやシルヴィア・イリオンドなど多くのアーティストのアルバムにも参加している。

2000年に本国アルゼンチンでリリースされた本作は、通称クレーマ(クリーム色の意)と呼ばれ、彼がそれまでに培ってきた音楽の経験が美しい結晶として音にあらわれ、オープニングを飾る「Los Tres Deseos De Siempre」には、彼の音楽のエッセンスとグルーポの演奏のこまやかさが美しく映しだされている。
流れ星が星屑を煌かせるかのような静かな音のさざなみの中に響くギターの音色に、キケ・シネシの陽炎を思わせる揺らめく繊細なピッコロ・ギターの調べが重なり、盟友フェルナンド・シルヴァのまろやかなフレットレス・ベースが空間に深みと奥行きを生み出す。ギターのハーモニクスのリフレインが眩いエコーを響かせ、カルロス・アギーレの艶めく歌声を迎え入れ、やがて2つのギターはゆっくりと左右に広がり、2人の女声コーラスが穏やかな風のように彼の歌を包みこむ。曲は大きな流れとしてとらえられ、彼はメロディーを主体にしながらフレーズの抑揚に応じて拍が自然に伸縮するような独特の間合いで語りかけるように歌い、ひとつの物語を紡いでいく。優しい河のうねりにも似たしなやかな流れは彼の音楽の大きな魅力だ。まるで、彼がひとりで演奏しているかのような息のあったグルーポのアンサンブルの一体感について、彼は何よりもメンバーの選択と対話が大切だと語った。まず、彼と同じ考え方をもった演奏家を集め、アレンジに関してもつねにメンバーのもつ最良の部分が引き出せるように心がけ、グルーポのメンバーと対話をしながら一緒に表現を探していき、演奏を何度も繰り返すことによってグルーポの一体感が生まれてくるのだという。

このアルバムは音楽だけでなく、ジャケットのアートワークにもカルロス・アギーレの美への信念があらわれている。彼はジャケットはアートであるべきと考え、友人のイラストレイターであるパメラ・ヴィジャラーサが1枚ずつ手描きした水彩画を、小窓を切り抜いた手ざわりのよいクリーム色のクラフト紙のスリーヴの中に挿入し、小さなアート作品に仕上げている。さらにブックレットには訳詞と彼による曲へのコメントが掲載され、まるで魂の独白や、愛のため息、追憶の夢想のように静かに物語を紡いでいく彼の詩人としての卓越した表現力に驚かされる。優しいメロディーに詞が寄り添う「Los Tres Deseos De Siempre」や「Zamba De Mancha Y Papel」、名作「Pasarero」の美しい詩情、さらに、情熱的な「Beatriz Durante」や神秘的な「La Tarka」などの曲調は、詞の世界と分かちがたい魅力をもち、彼の音楽をより深く理解する上で歌詞を知ることはとても重要だ。

2010年の早春に友人がアルゼンチンを旅し、カルロス・アギーレと会って話を訊く機会を得た。彼の言葉から感じるのは、彼が“音楽の持つ力”を強く信じているということだ。仲間との音楽的な対話から音はさらに生命感を帯びていくことや、音楽を介して人と人とがつながっていくことを彼は何よりも大切だと考えている。さらに、彼の自然を愛する想いについて、アルゼンチン盤のCDケースに収められた枯れ葉は、自然破壊に対する彼なりのメッセージとして伐採された木々の葉を封入していることを教えられた。
「私は“芸術家”であり、ただ音楽だけで伝えたいと思っています。私の仕事は“美しさ”を探求することなのです」と彼は語った。その誠実で真摯な音楽観や、人と自然を愛する人生観、繊細なものに美を見出す彼の美意識と感性に強く共感を覚える。彼の言葉をかみしめ、詞を読みながらその音楽を聴いていると深い感動に包まれていく。パラナの街を愛し、ブエノスアイレスの喧騒から離れ、地方にいることに何よりも誇りをもっている彼は、今日も雄大なパラナ河のほとりに佇み、たゆたう河の流れを見つめているかもしれない。地球の裏側で自分の音楽が愛されていることを聞き、彼は「音楽は人と人との出会いの可能性を広げるものだ」と静かに語ってくれた。

吉本宏

追記:素晴らしいライナーを読んでいただいた後に恐縮ながら、ぼやきをひとつ。相変わらずパソコンを持っていない僕にはどうでもよいことだが、何か月かに一度、この[staff blog]のページは文字が多くて読みにくい、と友人から文句を言われる。段落ごとに1行あけてはどうか、とか何とか。そのたびに僕は、段落の最初を1角あけられないだけでも気が狂いそうなのに、そんなことするわけない、と応えている。余白や行間が大切、なんてことは百も承知だが、IT(言葉が古いか)の進歩は、僕には人間の潜在能力を摘みとっているように思えて仕方ないときがあるのだ。だから、そういう女たちには(そう、男たちはそんな野暮なことは言わない)、読んでくれなくて構わない、と毅然とした態度でのぞんでいる。とはいえ、ここまで読んでくださった皆さんには、本当に心より感謝の気持ちを抱いていることを、謙虚にお伝えしたいのだが。
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6月7日──橋本徹のコンピ&パーティー情報
 
「五月雨の降り残してやアプレミディ」──稚拙な下の五のおきかえだが、今日も閑寂の美を尊び慈しむような気持ちで『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』を聴いていた。選者の意を思わずこえて、詩味に富んでいる、詩魂にあふれているコンピレイションだと思う。「美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい」という、夏目漱石が自著「草枕」について語った言葉を思い浮かべた。
僕はこの春、若草の萌える頃から薫風の季節になっても、夏目漱石と梶井基次郎に私淑していた。『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』はこの偉大な神経症のふたりに捧げる、と心の中で決めた。このメランコリックな作品集は、しばし「草枕」言うところの“非人情”の天地に誘ってくれる。そういえば「草枕」に挿入される漢詩の多くは、「I'm Only Sleeping」(byジョン・レノン)的な境地から詠まれているなあ、とぼんやり考えているうちに、グレン・グールドが聴きたくなった。彼のピアノによるブラームスの間奏曲集は僕の長年の愛聴盤で、坂本龍一氏も「山水画のような演奏」と評して旅先に必ず持ち歩いているそうだが、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』と聴後感がとてもよく似ているのだ。陶然と懐かしい気持ちにさせてくれるところが。
そして、グレン・グールドが弾くリヒャルト・シュトラウス「Funf Klavierstucke op.3 Andante」に耳を傾けながら、逆説のロマンティストとも言われた彼の「孤独」について考える。彼が求めた内省的態度と美的ナルシシズム。マーシャル・マクルーハンがメディア時代到来にその効用を説いた“Detachment”(超然性)という語はグールドも好んだ言葉だが、英訳「草枕」では“非人情”にあてられている。情報過多でありながら本当に大切な情報は少ない現代に生きる僕らにとっても箴言ではないか。
“Detachment”の精神に則り、と言い訳するわけではないが、僕は先週ほとんど仕事をしなかった。昼近くに起きて、ひたすら水を飲み、とろろ蕎麦か納豆蕎麦を啜り、前夜の酒が抜けるのを待つ。夕暮れ前にわずかに選曲の仕事をして、夜になるとシャワーを浴びて酒を飲みに出かける。僕はふと「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーのことを思い出してしまった(もちろん小説版の、です)。
自らの則に従う正直さに殉じ、普通よりは自然になりたくて、檻の中に閉じこめられた動物を目にすることに耐えられず、42歳以上の男じゃないと燃えてこないホリー・ゴライトリーが、僕は好きだ。酒を飲むのも音楽を聴くのも、彼女が“いやったらしいアカ”に心が染まりそうになると、タクシーをつかまえてティファニーに行くのと同じだ。梶井基次郎は「檸檬」でそれを“えたいの知れない不吉な塊”と書いていたが。
「イノセンスの中に生きようとし、イノセンスが失われたとき(多かれ少なかれそれはいつか失われることになる)、そこに残されているのは婉曲な自傷行為でしかない」と村上春樹は訳者あとがきで綴っているが、その先には何があるのだろう。僕が求めるのは、奇しくもトルーマン・カポーティが「僕」とホリーについて描写した、「人と人との気持ちが深いところで穏やかに通じ合うと、しばしば言葉でよりは沈黙を通して、多くを理解し合えるようになる」こと、のような気もする。心の落ちつき場所、言ってみれば「静かな生活」「おだやかな暮らし」。そうでなければ救いがない。僕はこの小説のラストにひどく惹かれる。「そこがアフリカの掘っ立て小屋であれ、なんであれ」という部分に。現代のフェアリーテイル(寓話)は、純粋さへの鎮魂の調べでなければならない、と僕は思う。それは儚く美しい。
それでは最後に、そんな無為の日々の夕方のわずかな選曲の仕事についてひとつ。具体的に何をしていたかと言うと、7/22発売予定のアプレミディ・レコーズ第6弾コンピのために、夏の夕暮れに心地よいだろうチルアウト・メロウな曲を、ジョー・クラウゼル関連とそこから連想を広げたアーティストの中からいくつか選んでいた。ちょうど1週間前、僕にとっても心に残る時間になった「Bar Music」のオープン記念DJをきっかけに、一気に新しいコンピレイションのイメージが湧いたのだ。「Bar Music」にはカフェ・アプレミディ開店当初の良さがかなりの部分で受け継がれていると思うが、そこで『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』もよく流されていると聞いて嬉しかったので、今度は私家版のカルロス・アギーレ・ベストを贈ろうかとも考えている。本来ならこういう心を落ちつかせる選曲は、僕よりも中村智昭の方が得意なはずなのだから。
6/11(金)には毎度楽しいDJパーティー「Lots Of Lovin'」がカフェ・アプレミディで開かれるので、このページの終わりに掲載されるフライヤー原稿を読んで楽しそうだな、と思われた方は、ぜひお集まりいただけたら嬉しいです。お待ちしています!

追記:先ほどNHK教育で放映された「極める! 石井正則の珈琲学」という番組を観終わったところ。川口葉子さんが案内する「小さな幸せを見つけるところ」というテーマで、カフェ・アプレミディがフィーチャーされていたのだ。オーナー自身のセンスと思いが表現された東京カフェの時代の「柔らかな個人主義」(もうひとりのナヴィゲイター、上智大学教授・小林章夫氏の言葉です)を象徴する店として紹介されていたのに照れたが、よほどディレクター氏が物のわかった方なのだろう、カフェ・アプレミディのシーンではずっとチェット・ベイカーの「Do It The Hard Way」がバックに流れていたのが何とも良かった。深いメッセージとして響くはず。「カフェは個人の幸福を考える場所だと思います。作り手にとっても、お客にとっても」という川口さんの発言も琴線に触れた。座右の銘のように「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」という句が浮かんだ。
7月に平凡社から発行される川口葉子さんの新刊「東京カフェを旅する」には、僕も拙いエッセイを寄稿している。ちょうど今日、再校ゲラを返したばかり。サリンジャーの死を機にホールデン・コールフィールドへの共感をこめた、赤面するほど感傷的な青くさい追想文。僕は歳をとっても「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「ティファニーで朝食を」のような小説が好きなのだ。翼の折れたイノセンスの行き先を案ずる小説が。

再追記:今月末から全国のUNITED ARROWSの“green label relaxing”のショップBGMの選盤を手がけることになりました。今夜はこれからジョージ・プリンプトンによる評伝「トルーマン・カポーティ」を読み返そうかと思っています。

「Lots Of Lovin'」
6/11(金)22時から翌5時までカフェ・アプレミディにて¥1,000(1ドリンク+さくらんぼのタルト+先着50名様スペシャルCD-R)
奇跡の顔合わせが遂に実現しました! みんなが好きなキラキラした90年代の雰囲気を、音楽好きな人にたくさんの愛と歴史的な一夜を、すばらしい音楽と共に!(ユズル)

DJ's Choice for Lots Of Lovin'
The Brand New Heavies / You Are The Universe
90年代の輝きが詰まった、僕らの世代のエヴァーグリーン。思わず腰が動く艶かしいグルーヴ。やがて訪れる大空へ羽ばたくようなサビで一気に天まで昇りつめる瞬間、フロアに笑顔の花が咲く。さあ、声を合わせ、心を解き放とう。愛を伝えよう。(橋本徹)

Bing Ji Ling / So Natural
夏が近づくと、グルーヴも軽やかにBing Ji Lingなどが気分。古びたJEEPグランド・ワゴニアの窓を開け放つと、くすぐったい潮風が舞いこんでくる。「Home」のアコースティック・グルーヴの波に乗りに「Lots Of Lovin'」に遊びに来ませんか?(吉本宏)

Arrested Development / People Everyday
ギャングスタ・ラップ全盛時に、生楽器を多用したサウンドとスピリチュアルかつポジティヴな歌詞が逆に大きなインパクトを与え爆発的な人気を博した、Speech率いるArrested Development。彼らの92年のデビュー・アルバムからのヒット「People Everyday」は、ジャズの名曲「Tappan Zee」のリズム・ギターにSly & The Family Stoneの「Everyday People」のコーラスを引用したアーシーなナンバー! 山や海などのnature系ドライヴにはマスト! 車内のpeaceゲージMAX間違いなしの一曲です(笑)。(DJ HIGH-D)

D'Angelo / Feel Like Makin' Love
D'Angeloの不朽のセカンド『Voodoo』。名曲だらけのこのアルバムの中から一曲を選ぶのは本当に迷いますが、あえてオリジナルではなくカヴァーのこの曲を。「Feel Like Makin' Love」 の数あるカヴァーの中でも一番好きかもしれないです。マッチョな表ジャケ、まさに“Voodoo”な裏ジャケに戸惑うことなく、音楽を愛する人すべてに聴いてもらいたいアルバムです。一家に一枚。間違いないです。(haraguchic)

DJ 2three / Do You Want It Right Now? 
今回は、夏に向けて気分が高まってくるこの時期にオススメの曲です。Dennis Brownの「Love Has Found Its Way」に、Degrees Of Motionの「Do You Want It Right Now」をブレンドしたこの曲は、ギターとキーボードの音色が心地よく響くスウィートなリディムに、彼女の伸びやかでソウルフルな歌声が見事にハマった素敵な一枚! 聴いているだけでとても幸せな気分になります♪ もちろん、Dennis Brownの方も素敵なんですが、今回はこちらをオススメします☆ ドライヴのお供にも最適です! 気分爽快!(DJ CHIEMI)

Nomad Soul / Candy Mountain (Nellee Hooper Remix) 
Steve Parks「Movin' In The Right Direction」の印象的なイントロをループにした一枚。抜けのいいぶっといビート、気持ち良さそうに歌う女性ヴォーカル、独特のフワフワした感じがあり、アレンジも抜群! 90年代初めの幸福感出まくりのナイスなミックス。ピンクを使った意味不明なジャケにも何故か引かれちゃう!(ユズル)
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