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5月26日──橋本徹のコンピ&パーティー情報

 雨の水曜日。昨夜はカフェ・アプレミディで、Nujabesのご両親が、亡くなって3か月を機に改めてNujabesを偲ぶ会を開いてくれた。Uyama Hirotoが納骨のときの墓前での吹奏も感動的だったレクイエムを、再び厳かにソプラノ・サックスで聴かせてくれた。彼はこの曲のピアノ・ヴァージョンを、僕もライナー・ブックレットを手がける9月リリース予定のNujabes追悼アルバムに収めようと考えている(クラムボンによる「Reflection Eternal」のカヴァーなども楽しみだ)。そして続けて、斉藤力(アルト・サックス)も加わり、「Naima」〜「My Favorite Things」、Nujabesの「Horizon」「Luv (Sic) Pt2」と、心震わせるセッションが繰り広げられた。それを受けての僕のDJは「After Hanabi」で始めたが、やがてメンタル・レメディー「The Sun・The Moon・Our Souls」やファラオ・サンダース「Save Our Children」(ビル・ラズウェル・リミックス)などでは彼らふたりが再度演奏に加わり、決して忘れることのできない特別な時間を作ってくれた。その場に集まっていたのも皆、愛すべき音楽好きばかりで、彼らに会わせてくれたこともNujabesに感謝したいと思った。
今日は友人宅で片岡義男・訳の「ビートルズ詩集」をぼんやりと眺めていて、「I'm Only Sleeping」のページで、これこそ自分の歌だ、と唸ってしまった。これほどジョン・レノンを身近(味方)に感じたことはない。その後は夏目漱石の個人主義に思いをめぐらせながら、高等遊民を気取り、ヴォラプチュアスな女(by「三四郎」)との出会いについて考えていたが。
やはり雨降りだった日曜から月曜にかけても、駒沢の実家に戻り、「I'm Only Sleeping」な心持ちですごしていた。普段はあまり音楽を聴かない母が(最近はTVの旅番組が好きなようだ)、ダイニング・キッチンにCDラジカセを置いて、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』を繰り返し聴いていた。気をつかってくれているのだろうか。買ったときに一緒にもらった『音楽のある“深い夜”の風景』のピアノ曲もとても好きだと言っているので、僕がいないときも流しているのだろう。素直に嬉しかった。決して派手とは言えないこのコンピに、厳しい状況の昨今では稀な初回150枚のオーダーをくれたというHMV渋谷の河野洋志さんが、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』は最近はあまりCDを買っていないという方にこそお薦めしたい、と言っていたから、これはひとつの範例として報告したいと思う。そういえば土曜日に、彼の紹介で、やはりこのコンピを応援してくださっている“山ブラ”(山形ブラジル音楽普及協会)会長・石郷岡学さんにお会いできたのも嬉しかった(いただいた山形の名酒・六根浄も美味しかった)。
ともあれ、実家で母とふたり、雨の月曜日の午前11時に稲庭うどんを茹でながら自分の選曲したCDを聴いている僕の胸の苦しさを、皆さんには想像してもらえるだろうか。泣いてしまえるなら(あるいは真っすぐに感謝してしまえるなら)その方が楽だろう。歳をとると、いろいろな心情におそわれる。これをメランコリーと呼ばずして何と呼ぶのだろう。『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』は、僕にとってまた一段階、特別な存在となった。
そんなことがあって、いつの間にかサンチァゴ・ヴァスケス「Caraguata」のループ状に爪弾かれる3拍子のムビラの音色が、耳から離れなくなっていた。僕はこの曲を聴くと、いつも天気雨のことを思う。「ニュアンスしかない音楽は美しい」とは原雅明氏の箴言だが、この曲やセシ・イリアス&パブロ・ヒメネスも僕にとってはそんなサウンドだ。心に訴えかけてくるが、なかなか表現しにくいような細かな気分。そこにメランコリーが宿っている。
さて、それでは告知を。アプレミディ・レコーズ初の単体アーティスト作品となる、現代アルゼンチン音楽シーンの最重要人物にして多くのミュージシャンやリスナーの憧憬と敬愛を一身に集めるカルロス・アギーレのファースト・アルバムは、発売日が7/8に正式決定。ご本人の意志を尊重したオリジナル・フォーマットによるリイシューで、手作りのスリーヴ、一枚一枚手描きの水彩画が挿入された(つまり一枚一枚すべてが違う絵/ジャケットになるということ)アートワークに、歌詞対訳と詳細なライナーも付く。これまで極端に流通量が少なかったため待ち望んでいた方も多いはずの日本盤なので、乞うご期待。僕は最近、カルロス・アギーレ〜『素晴らしきメランコリーのアルゼンチン』的な世界観の一枚として、やはり愛情とセンスあふれる凝ったパッケージにくるまれた、アルゼンチンの吟遊詩人だというCoiffeurのアルバム(ピアノはフアン・ステュアート)を気に入っていることも付け加えておこう。
5/30(日)にはカフェ・アプレミディでDJパーティー「harmony」も行われる。今回も最高の雰囲気だった前回に劣らずピースフルな一夜になること間違いなしなので、DJ陣によるフライヤー原稿をこのページの最後に掲載しておこう。5/31(月)は元カフェ・アプレミディの中村智昭が渋谷に開く店「Bar Music」のオープン記念DJ。彼はその日、33歳の誕生日も迎える。奇しくも僕が「bounce」の編集長をやめて、カフェ・アプレミディを作った歳だ。今の僕が自戒もこめて贈る言葉があるとすれば、君の前途は明るいはずだから、経済的な正しさにできるだけ負けないでほしい、音楽を小賢しい自己表現や自己実現の手段にしないでほしい、ということだ。絶対に良い店になることは間違いないのだから。

「harmony」 
5/30(日)18時から24時までカフェ・アプレミディにて入場無料!
フリー・ソウルの自由でオープン・マインドな精神を今に伝えるDJパーティー「harmony」ですが、おかげさまで、第5回を迎えることになりました。DJがレコードに針を落とすと、瑞々しい音楽とともに、どこか若草にも似た香気が漂ってきます。胸の奥を甘く疼かせるグルーヴとメロディー。フロアではみな思い思いに音楽に合わせて体を揺らし始めます。音楽は、ハウスであったり、ジャズであったり、ディスコであったり、メロウ・ビーツであったり。音と香りは夕べに漂う、そんなDJパーティーが2010年カフェ・アプレミディで開かれています。ようこそ「harmony」へ!(Takahiro Haraguchi)

harmony classics 
Lil' Louis & The World / Journey With The Lonely
リル・ルイスと言えば僕はこのセカンド。“孤独の旅”というタイトルにも惹かれるが、前回の「harmony」で「Dancing In My Sleep」をかけたら、フロアから歓声が湧いた。まるで夢の中で鳴っているような名曲。孤独の世代のための美しくメロウな救済の歌。(橋本徹)

Norma Jean Bell / I Like The Things You Do For Me
デトロイト出身の女性サックス奏者、Norma Jean Bellによる、これぞディープ・ハウスと唸ってしまう黒く、艶やかな一曲。特にB面のMoodymannによるリミックスの素晴らしさときたら! Moodymann関連作品の中でも特に「harmony」でかけたいです。鳴り続けるエレピに最初から最後までヤラレっぱなし!(haraguchic)

Foxy / Party Boys
ダンス・ミュージックが変化し始めた1980年。多くのディスコ・アーティストはとてもナーヴァスだったはずだ。ハウスやニュー・ウェイヴの時代がやってきたから。それでもFoxyはやってくれました! T.K.独特のラテン・テイスト溢れるサウンド。なんたって題名が「Party Boys」!(mom)

Roy Ayers / Don't Let Our Love Slip Away
この人への入口は色々あると思いますが、僕の入口はもう20年近く前にたまたまラジオから流れてきたこの曲でした。1979年のアルバムに収録され、あまり触れられることのない曲ですが、華やかかつ艶やかなプロダクションに心躍る一曲。(NARU)

The Isley Brothers / Harvest For The World
誰にだってタイトルの分からない探している曲ってあると思います。僕はどこかで聴いたこの曲を3年間鼻歌で歌ってました(笑)。 偶然行ったパーティーで先輩がプレイしたときに“これ!! これ!!”っと飛び上がって喜んだのを思い出します!(YUJI)

Magic Disco Machine / Window Shopping
春らしいディスコを。小西康陽さん作の野本かりあ「ソウル・トレイン」の元ネタとして知られているこの曲ですが、ヘヴィーなドラムスのあとに春風を思わせるストリングスが聞こえた瞬間、これまでの人生のいくつかの幸せな風景を思い、ひざまずいて神に祈るオレ。(Takahiro Haraguchi)
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5月14日&16日──橋本徹のコンピ&DJ情報

ひと月ほど前、ビートルズが聴きたくなるとときどき出かける近所の「カレー研究所」で席についた途端、ジョン・レノンが歌う「I'm So Tired」が全身に沁みてきて、自分はひどく危うい状態にあることに気づくと共に、ぎりぎりのところで助けられたような気がした。スリランカスープカレーを食べ終わって、冷たい水を飲みながら何となく放心していると、今度は「Don't Let Me Down」と「I'm Only Sleeping」が流れてきた。自分だけがそういう心理に苛まれているわけではない、と思うことができた。
梶井基次郎が珠玉の短編「檸檬」で書いていた「えたいの知れない不吉な塊」のようなものが、その頃の僕を覆っていた。憂うつが立ち込め、毎日が(どの夜も)同じ(ひとつ)に思えた。厭世観にとらわれたように、何もする気がおきなかった。愛惜と嫌悪の情が極端に募り、苦患に待ち伏せされているような気分で、赤裸々に書くなら、他人に騙され裏切られているような妄想にも呪われた。生まれて初めてと言っていい経験だった。
ずいぶん回復した今は、「妄想で自らを卑屈にすることなく、戦うべき相手とこそ戦いたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願う」という、梶井基次郎の書簡に綴られた気持ちにシンパシーを覚える。いつも傲慢な僕が「冬の蝿」のようにいつになく弱っているのではないかと、多くの人たちが励ましと救いの手を差しのべてくれたことに、心から感謝する(敢えて名前は挙げないが、久しぶりに電話をくれたり、飲みや食事に誘ってくれたり、ナイターに出かけたり、初めての落語に連れていってくれたり、DJツアーを共にしてくれたり、僕が気づかない様々な気づかいをしてくれたみんなに、かたじけないと思っています)。
もちろん心が雨上がりの美しさで充たされ、春の夜のような心のときめきを取り戻すのはまだ先になるだろうが、自分でも安息を求める努力はしている(希望を持てない者が、どうして追憶を慈しむことができよう)。『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』の選曲もそのひとつだが、以前から僕の心を鎮め慰めてくれていたクリムトのデッサンをあしらったポスターをいつでも眺められるように、散らかっている部屋のその額の周りだけはきれいに整理した。そこにさりげなく赤い筆線で描かれている裸婦は、何かに疲れているようでもあり、安らいでいるようにも見えるが、それを見つめることによって、自分の魂の一部が救われているような安寧を覚えるからだ。梶井基次郎の「泥濘」に心当たりがある方には伝わるだろうか。「心の休み場所──とは感じないまでも何か心の休まっている瞬間をそこに見出すこと」ができるのだ。それは自分にとって「えたいの知れない不吉な塊」を遠ざけてくれる“檸檬”のような存在とも言えるが、無感動にも似た感動に包まれるという意味では、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』を聴くことに似ている。
虚ろな思いを押しやり、薄暮に包まれてこのCDに耳を傾けていると、本当に美しい枯れた音がする。心の中の風景と向き合ってみると、そこには疲労や倦怠、不毛や失望を洗い浄めてくれる、清澄な生の息吹も感じられる。いよいよ全国リリースされた今週、渋谷のタワーレコードとHMVに行くと、局地的な現象かもしれないが、これまでのアプレミディ・レコーズのコンピ5枚の中では段違いの大きな展開をしてくれていて、バイヤーの方々の熱意に勇気づけられた。ただ無闇に売れてほしいという気持ちもないけれど、少しでも多くの方に聴いていただけたら嬉しい。今夜はこれから、そんな『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』発売記念の選曲パーティーだ。先日「金曜日は究極のセラピー・ミュージックをめざすよ。橋本くんのために」と吉本宏から連絡があった。自分は何をかけようか。

5/16追記:どこまでも穏やかな五月晴れの日曜の午後、ひとりぼんやりとビーチ・ボーイズの『Friends』を小さな音で聴いている。ビーチ・ボーイズの全オリジナル・アルバム中、最も無視された一枚と言われるが、僕はここ数年は彼らの中で最も聴くレコード。いつも「Passing By」を聴き終えて言いようのない乾いた感傷とノスタルジーに誘われ、盤面を裏返す前にしばらく間をおき物思いに耽る。春の日のあぶくのように浮かんでは消える想い。今日はこのアルバムの聴後感、その穏やかな表情(ジャケットを眺めていてイメージされてくる風景も)は『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』に似ていると思った。何かを諦めたような優しい感じが(頭の中に「Time To Get Alone」のリフレインが浮かんできた)。
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5月5日&6日&7日──橋本徹のコンピ&DJ情報

心の揺れを静めるために静かな顔をするんだ。真赤な眼で空を見上げて静かな顔をするんだ。
フィッシュマンズ「POKKA POKKA」が頭の中で揺れるように柔らかくループしている昼下がり。今年のGWは4日間「救われる気持ち」だった韓国DJツアーの思い出と共に深く記憶に刻まれる。招んでくれたソウル「cafe空中キャンプ」の仲間たちは本当に心の温かい人ばかりで、行く前の何倍もこの国への親しみが増した。
寝食(そして飲)を共にした次松大助のライヴをたっぷり観ることができたのも嬉しかった。リハという名のもとに彼が弾き続けるピアノに心が浄められるように落ちついていく。そしてCDではまだ聴けない「静かな生活」という曲に、僕は心打たれた。僕が愛して止まない「夏の面影」(2009年12月下旬[web shop]の「箱」の紹介文をご覧ください)の兄弟のような名曲。僕は「空中キャンプ」でのパーティーを、最後に次松くんにニーナ・シモンの「Everyone's Gone To The Moon」(みんな月へ行ってしまった)を捧げて終えた。その後に控えめの音量で同行の「Oh! Mountain」ヒロコ嬢が流した「POKKA POKKA」やポート・オブ・ノーツの「(You are) more than paradise」の旋律もまた今よみがえる。
ここからは、僕もDJを務めた1/10のタワーレコード30周年記念パーティーで、一日だけ再結成されたTHE MiCETEETH.のそのときのライヴ録音盤を聴きながら、文章を書き進めよう。「春の光」が部屋いっぱいにあふれているから。
3日前、ソウルの午後も美しい「春の光」にあふれていて、オフだった僕らは気持ちのよいテラスでバーベキューをしながらビールを飲んでいた。青い空を見上げると、ひこうき雲が白い軌跡を描いていた。バックに流れていた音楽はフィッシュマンズのベスト盤。今後ひこうき雲を見上げるたびに、僕らの物語は「西陽のさしてた」あの日のままか、心に問いかけるのだろうと思った。
思えばフィッシュマンズを知ったのは1993年春、「Suburbia Suite」のデザインを手伝ってくれた山本ムーグさんの代々木上原の家に遊びに行ったときが最初だったが、あれからもう17年の時が経つ。「BABY BLUE」を聴きながら、僕は前夜のDJでカールトン&ザ・シューズの「Give Me Little More」をかけなかったことを少し悔んだりしながら飲み続けていた。
そして陽も暮れる頃、小さなピアノが用意されて、次松くんが何曲か演奏してくれた。続いてバーベキューに招いてくれた韓国の男女デュオが、エヴリシング・バット・ザ・ガールのようなスタイルで「おだやかな暮らし」を披露した。日本語の歌もギターも親密でとても素敵だった。最後に何かを思い出したように次松くんが再びピアノに向かい、「春のあぶく」を弾き語ってくれた。まさにこの日に相応しい、この日のためにあったような曲。一生この日を忘れないように、と彼が心に誓っているように思えた。僕も同じ気持ちだった。僕らは心からの拍手を贈った。その光景は、僕の心の中の「虹の街」として永遠に残るだろう。
昼は太陽の光が、夜は街の灯がきらきらと反射してきれいだった、漢江の川べりですごした時間も忘れられない。僕らは酒を飲んだり、サッカーやフリスビーに興じながら、時の流れを惜しんだ。韓国にもアプレミディのホームページを見てくれている人がたくさんいることがわかったので、ここに感謝の気持ちを記そうと思う。本当にどうもありがとう。
東京に戻ってきたら、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』がアプレミディに入荷していたのも嬉しかった。この[staff blog]はまた明日にでも続きを書こう。今日はこれから、クラムボンの原田郁子さんが新しく吉祥寺で始める店「キチム」のオープニング・パーティーに行ってくる。彼女が歌う「おだやかな暮らし」も素晴らしい。しかもハナレグミやおおはた雄一も来るのだという。みんな「空中キャンプ」に招聘されたことのある、ソウルの彼らが心から愛するアーティストだ。今回このタイミングで顔を合わせる、というのも神様が授けてくれた偶然の必然のように思える。

5/6追記:「キチム」の開店祝いの場に立ち会うことができたのは、やはり僕に強い「幸運と偶然の一致」を感じさせた。パーティーにうかがう前、吉祥寺「砂場」に寄ってとろろ蕎麦を食べているときに、同行の若い友人オガワくんが一冊の文庫本をプレゼントしてくれた。高山なおみさんの「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」というエッセイ集。そしてお店に行くと、その著者ご本人がいらしていて、ゆっくりとお話させていただくことができた(小さくても決して消えない光のような素敵な方、という印象でした)。かつてこの場にあったレストラン「KuuKuu」のシェフだった彼女に、まだ中を読む前に恐縮だと思ったが、オガワくんとふたりでサインまでいただいた。
その本に心のこもった解説も寄せている原田郁子さんには、おみやげのワインと共に、できたてのCD『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』をお渡しした。素晴らしいピアニストでありリスナーの彼女には、きっとこのコンピを気に入ってもらえるのではと考えたからだが、すぐにその場のディスプレイ棚に飾ってくれたのは嬉しかった。
歌もギターも最高だったハナレグミの永積タカシくんとは、この春に出たばかりのブッカー・T『Evergreen』の話などをした。『Free Soul Colors』で「Jamaica Song」を聴いて気に入っていた彼は、友だちに絶対カヴァーするといいよと熱烈に言われていたのだという。
おおはた雄一くんとはもちろん、ソウルでの「おだやかな暮らし」をめぐる温かいエピソードを話した。彼はディランの「Don't Think Twice, It's All Right」とムッシュの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のカヴァーを歌った。
この3人にスティールパンやいくつかの民族楽器が加わるライヴ演奏(しかもPAを操るのはZAK)は、本当に親密でアットホームな雰囲気にあふれていたが(そうそう、料理も美味しかったことを付け加えておかなければ)、ハイライト的に盛り上がったのはBOSEをフィーチャーした「Peace Tree」で、僕もいつの間にか「ピース!」「トゥリー!」と声を合わせていた。彼が登場するだけで場のムードが一気に打ちとけ華やぐのはさすが。ツイッターを題材にしたフリースタイルも痛快で楽しく、“Don't Follow Me”という気持ちを少しは理解する僕は、やはりこの男は信頼できる(頼もしい)なあと感じていた。日曜日のスチャダラパーのライヴにも行きたい。

5/7追記:日本の音楽業界きっての名A&Rだった“KONDI”さんのお通夜から先ほど帰ってきたばかり。金曜の夜の涙雨。45年の人生を全力疾走で駆け抜け、文字通り「毎日が狂想曲」だったはずの彼のご冥福を心よりお祈りいたします。本当にお疲れさまでした。
無念を胸に帰宅してまず聴いたのは、ここ3日連続となる「POKKA POKKA」。僕はこの曲に、心を調律してくれる『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』と同じ効用があると気づいたのです。日本語の歌の歌詞を聴かなすぎる、と女性陣に怒られることの多い僕も、この曲の詞には惹かれるものがあります(もちろん音作りにも)。
このところ惜しい人を立て続けに亡くしている、と感じる僕は、不謹慎かもしれませんが、自分が死んだら、ということもときどき想像してしまう。そのときには音楽雑誌に小さな記事が出て、そこに添えられるジャケット写真はきっと『Free Soul Impressions』(か『Cafe Apres-midi Fume』)なのだろうが、葬儀や納骨のときには、例えば吉本宏のはからいで、鎮魂の調べに相応しいと『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』が流されるのかもしれない。それでは山下洋なら、何を選んでくれるのだろうか。高橋孝治と一緒に、「海を抱きしめて」を歌ってくれるような気もする。中村智昭は生真面目に熟慮しながら、ファラオ・サンダースの「Save Our Children」をかけるだろうか。ヒロチカーノは「サンバ・サラヴァ」か「トリステーザ」「トゥー・カイツ」で悩んでくれるだろう。北海道の音楽仲間は「フィエスタ」で大合唱するかもしれない。「守ってあげたい」を歌ってくれる女はいるのだろうか。
灰さえも残らぬ白い煙となって、「戦士の休息」を口ずさみながら天に上っていく自分を思い浮かべる。
他愛ない連想ゲームに耽ってしまった。天気予報は明日また東京地方に青空が広がって気持ちよく晴れるだろうと伝えている。「春の光」に満ち輝いた一日が訪れることを祈ってベッドに就く。スピーカーからは美しい光と影のようにゆらめくセバスチャン・マッチの歌心に続いて、アレハンドロ・フラノフのピアノが「おだやかな夢を」と眠りに誘ってくれている。
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