心の揺れを静めるために静かな顔をするんだ。真赤な眼で空を見上げて静かな顔をするんだ。
フィッシュマンズ「POKKA POKKA」が頭の中で揺れるように柔らかくループしている昼下がり。今年のGWは4日間「救われる気持ち」だった韓国DJツアーの思い出と共に深く記憶に刻まれる。招んでくれたソウル「cafe空中キャンプ」の仲間たちは本当に心の温かい人ばかりで、行く前の何倍もこの国への親しみが増した。
寝食(そして飲)を共にした次松大助のライヴをたっぷり観ることができたのも嬉しかった。リハという名のもとに彼が弾き続けるピアノに心が浄められるように落ちついていく。そしてCDではまだ聴けない「静かな生活」という曲に、僕は心打たれた。僕が愛して止まない「夏の面影」(2009年12月下旬[web shop]の「箱」の紹介文をご覧ください)の兄弟のような名曲。僕は「空中キャンプ」でのパーティーを、最後に次松くんにニーナ・シモンの「Everyone's Gone To The Moon」(みんな月へ行ってしまった)を捧げて終えた。その後に控えめの音量で同行の「Oh! Mountain」ヒロコ嬢が流した「POKKA POKKA」やポート・オブ・ノーツの「(You are) more than paradise」の旋律もまた今よみがえる。
ここからは、僕もDJを務めた1/10のタワーレコード30周年記念パーティーで、一日だけ再結成されたTHE MiCETEETH.のそのときのライヴ録音盤を聴きながら、文章を書き進めよう。「春の光」が部屋いっぱいにあふれているから。
3日前、ソウルの午後も美しい「春の光」にあふれていて、オフだった僕らは気持ちのよいテラスでバーベキューをしながらビールを飲んでいた。青い空を見上げると、ひこうき雲が白い軌跡を描いていた。バックに流れていた音楽はフィッシュマンズのベスト盤。今後ひこうき雲を見上げるたびに、僕らの物語は「西陽のさしてた」あの日のままか、心に問いかけるのだろうと思った。
思えばフィッシュマンズを知ったのは1993年春、「Suburbia Suite」のデザインを手伝ってくれた山本ムーグさんの代々木上原の家に遊びに行ったときが最初だったが、あれからもう17年の時が経つ。「BABY BLUE」を聴きながら、僕は前夜のDJでカールトン&ザ・シューズの「Give Me Little More」をかけなかったことを少し悔んだりしながら飲み続けていた。
そして陽も暮れる頃、小さなピアノが用意されて、次松くんが何曲か演奏してくれた。続いてバーベキューに招いてくれた韓国の男女デュオが、エヴリシング・バット・ザ・ガールのようなスタイルで「おだやかな暮らし」を披露した。日本語の歌もギターも親密でとても素敵だった。最後に何かを思い出したように次松くんが再びピアノに向かい、「春のあぶく」を弾き語ってくれた。まさにこの日に相応しい、この日のためにあったような曲。一生この日を忘れないように、と彼が心に誓っているように思えた。僕も同じ気持ちだった。僕らは心からの拍手を贈った。その光景は、僕の心の中の「虹の街」として永遠に残るだろう。
昼は太陽の光が、夜は街の灯がきらきらと反射してきれいだった、漢江の川べりですごした時間も忘れられない。僕らは酒を飲んだり、サッカーやフリスビーに興じながら、時の流れを惜しんだ。韓国にもアプレミディのホームページを見てくれている人がたくさんいることがわかったので、ここに感謝の気持ちを記そうと思う。本当にどうもありがとう。
東京に戻ってきたら、『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』がアプレミディに入荷していたのも嬉しかった。この[staff blog]はまた明日にでも続きを書こう。今日はこれから、クラムボンの原田郁子さんが新しく吉祥寺で始める店「キチム」のオープニング・パーティーに行ってくる。彼女が歌う「おだやかな暮らし」も素晴らしい。しかもハナレグミやおおはた雄一も来るのだという。みんな「空中キャンプ」に招聘されたことのある、ソウルの彼らが心から愛するアーティストだ。今回このタイミングで顔を合わせる、というのも神様が授けてくれた偶然の必然のように思える。
5/6追記:「キチム」の開店祝いの場に立ち会うことができたのは、やはり僕に強い「幸運と偶然の一致」を感じさせた。パーティーにうかがう前、吉祥寺「砂場」に寄ってとろろ蕎麦を食べているときに、同行の若い友人オガワくんが一冊の文庫本をプレゼントしてくれた。高山なおみさんの「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」というエッセイ集。そしてお店に行くと、その著者ご本人がいらしていて、ゆっくりとお話させていただくことができた(小さくても決して消えない光のような素敵な方、という印象でした)。かつてこの場にあったレストラン「KuuKuu」のシェフだった彼女に、まだ中を読む前に恐縮だと思ったが、オガワくんとふたりでサインまでいただいた。
その本に心のこもった解説も寄せている原田郁子さんには、おみやげのワインと共に、できたてのCD『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』をお渡しした。素晴らしいピアニストでありリスナーの彼女には、きっとこのコンピを気に入ってもらえるのではと考えたからだが、すぐにその場のディスプレイ棚に飾ってくれたのは嬉しかった。
歌もギターも最高だったハナレグミの永積タカシくんとは、この春に出たばかりのブッカー・T『Evergreen』の話などをした。『Free Soul Colors』で「Jamaica Song」を聴いて気に入っていた彼は、友だちに絶対カヴァーするといいよと熱烈に言われていたのだという。
おおはた雄一くんとはもちろん、ソウルでの「おだやかな暮らし」をめぐる温かいエピソードを話した。彼はディランの「Don't Think Twice, It's All Right」とムッシュの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」のカヴァーを歌った。
この3人にスティールパンやいくつかの民族楽器が加わるライヴ演奏(しかもPAを操るのはZAK)は、本当に親密でアットホームな雰囲気にあふれていたが(そうそう、料理も美味しかったことを付け加えておかなければ)、ハイライト的に盛り上がったのはBOSEをフィーチャーした「Peace Tree」で、僕もいつの間にか「ピース!」「トゥリー!」と声を合わせていた。彼が登場するだけで場のムードが一気に打ちとけ華やぐのはさすが。ツイッターを題材にしたフリースタイルも痛快で楽しく、“Don't Follow Me”という気持ちを少しは理解する僕は、やはりこの男は信頼できる(頼もしい)なあと感じていた。日曜日のスチャダラパーのライヴにも行きたい。
5/7追記:日本の音楽業界きっての名A&Rだった“KONDI”さんのお通夜から先ほど帰ってきたばかり。金曜の夜の涙雨。45年の人生を全力疾走で駆け抜け、文字通り「毎日が狂想曲」だったはずの彼のご冥福を心よりお祈りいたします。本当にお疲れさまでした。
無念を胸に帰宅してまず聴いたのは、ここ3日連続となる「POKKA POKKA」。僕はこの曲に、心を調律してくれる『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』と同じ効用があると気づいたのです。日本語の歌の歌詞を聴かなすぎる、と女性陣に怒られることの多い僕も、この曲の詞には惹かれるものがあります(もちろん音作りにも)。
このところ惜しい人を立て続けに亡くしている、と感じる僕は、不謹慎かもしれませんが、自分が死んだら、ということもときどき想像してしまう。そのときには音楽雑誌に小さな記事が出て、そこに添えられるジャケット写真はきっと『Free Soul Impressions』(か『Cafe Apres-midi Fume』)なのだろうが、葬儀や納骨のときには、例えば吉本宏のはからいで、鎮魂の調べに相応しいと『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』が流されるのかもしれない。それでは山下洋なら、何を選んでくれるのだろうか。高橋孝治と一緒に、「海を抱きしめて」を歌ってくれるような気もする。中村智昭は生真面目に熟慮しながら、ファラオ・サンダースの「Save Our Children」をかけるだろうか。ヒロチカーノは「サンバ・サラヴァ」か「トリステーザ」「トゥー・カイツ」で悩んでくれるだろう。北海道の音楽仲間は「フィエスタ」で大合唱するかもしれない。「守ってあげたい」を歌ってくれる女はいるのだろうか。
灰さえも残らぬ白い煙となって、「戦士の休息」を口ずさみながら天に上っていく自分を思い浮かべる。
他愛ない連想ゲームに耽ってしまった。天気予報は明日また東京地方に青空が広がって気持ちよく晴れるだろうと伝えている。「春の光」に満ち輝いた一日が訪れることを祈ってベッドに就く。スピーカーからは美しい光と影のようにゆらめくセバスチャン・マッチの歌心に続いて、アレハンドロ・フラノフのピアノが「おだやかな夢を」と眠りに誘ってくれている。