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4月20日──橋本徹のアプレミディ・レコーズ情報

村上春樹の「1Q84」(BOOK 3)をちょうど半分ぐらい読んだところ。すべて読み終えたら千倉に行こう、と何となく考えている。千倉には僕が通った小学校の宿泊施設があって(今もあるのだろうか)、4年生から6年生まで、毎年夏になると臨海学校に出かけた。今はまだかろうじてそのときの記憶が残っていて、砂浜や防風林、夏の陽射しや野球や卓球に興じた光景、花火やキャンプファイヤーの夜を思い出すことができる。どんな観光地や名勝地、憧れの街よりも、かつて自分がいた場所に戻りたい、記憶が幻影のように霞みかかってしまった時間を訪ねたい、という気持ちが、柔らかく春の雨が夕暮れの道を濡らすように募っていく。
「ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね」と岡崎京子が語りかける。──うたかたの日々の追想。
本を読んでいるときの背景にはもちろん『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』を静かに流している。先週マスタリングとアートワークの入稿を終えたばかりで、5/1アプレミディ先行入荷予定。それは音の桃源郷から届いた、メディテイティヴで慈しむような、透明な叙情と幻想的な幽玄の美をたたえた言葉を失うほどの名作の連なり。疲れた心を休め、優しく芯から溶かしてくれる、その魔法のような魅力を言葉で表現することはとてもできないが、「心の調律師のような音楽」と題した帯キャップの解説文は次のような感じに落ちついた。
ジャズやクラシックとボサノヴァやフォルクローレがまろやかに溶け合い、現代音楽やエレクトロニック・ミュージックの意匠も繊細にちりばめられた、詩情と映像美あふれる神がかったような名曲たち。それは、水のゆらめきや光のきらめき、風のささやきを感じさせ、エレガントで儚い無常感をたたえている。滋味深い歌声の優しい語り口、ピアノやムビラ(親指ピアノ)、ガット・ギターの余情に富んだメランコリックな響きが郷愁を誘い、どこまでも穏やかに心を落ちつかせ、魂を鎮めてくれる音の印象派。美しく安らかな心象風景がたおやかに夢の中へ導いてくれる、静かな奇跡と恍惚を宿した一生の宝物にしたくなる音楽がここにあります。
昨日は総勢5名による、現地アルゼンチンの貴重なエピソードも満載の、HMVのウェブサイトのための対談HMVのウェブサイトのための対談も収録したばかり(かなり読み応え充分な内容になりそうで、4月中には掲載される予定です)。目を開かれるような示唆に富んだ場面も数々あったので、楽しみにしていてほしい。主要アーティストの紹介を含む吉本宏のライナーは、やや長くなるがこのページの最後に転載しておくので、ぜひとも読んで興味を抱いていただければと思う。ジャケットの印象的なパタゴニアン・トゥリーの写真は、知っている方は気づいたはず、アンドレス・ベエウサエルト『Dos Rios』のインナー・リーフレットでお馴染みの女流フォトグラファー、マリア・バーバによるもの(僕が今週末DJする選曲パーティー「bar buenos aires」の最初のフライヤーのモティーフともなった象徴的なヴィジュアルですね)。そして僕自身も強い思い入れをこめて、ここに収められた音楽にどれほど救われているかを[web shop]のページに綴るつもりなので、今しばらくお待ちいただけたら嬉しい。今日の午後ぼんやりとこのコンピレイションを聴いているときに思い浮かんできたのは、「音楽を信じれば、詩は心を癒す/病んでいるあなたを放ってはおかない」という「Luv (Sic) Pt2」のフレーズだった。イヴァン・リンス「Qualquer Dia」のイントロが頭の中でループし、天国まで舞い上がり木霊するようだ。亡くなった魂よ、安らかに眠ってください。

追記:僕にとって心のサナトリウムとも言えるアルゼンチンの素晴らしいアーティストたちの音楽的・精神的支柱にしてシーン最重要人物と言っていいカルロス・アギーレの楽曲は、今回のコンピには収録されていません。なぜなら、カルロス・アギーレの音楽は特別に、アプレミディ・レコーズ初の単体アルバム復刻として、まずオリジナル・フォーマットで体験していただければと願うからです。6/3発売予定のファースト・アルバムを皮切りに、日本盤ならではの充実度で順次リリースしていくことができたらと考えていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』

アルゼンチンの南部パタゴニア地方は“風の大地”と呼ばれ、アンデス山脈から吹き降ろす強い偏西風にさらされ、雲は綿をちぎったように踊り、荒涼たる大地の木々は風に吹き流された不思議な形をしている。さらに、アルゼンチンの中部のラプラタ河流域に広がるパンパ平原は果てしなく広く、広大な草原にはオンブーの木が点在し、どこまでもつづく平坦な大地から太陽が昇り、そして沈んでいく。雲はゆっくりと東の空へと流れ、その隙間からは静かに陽が射し込む。アルゼンチンの人たちは口々に言う、「一度パンパ平原を見るといい、人生観が変わるから」と。こうしたアルゼンチンの雄大な自然の下で育まれた様々な音楽は、やがて鮮やかな新芽を息吹き、風や水や光を集めるようにその音の粒子を際立たせ淡く儚い風景画を描きはじめる。

『美しき音楽のある風景〜素晴らしきメランコリーのアルゼンチン〜』は、近年の音楽シーンで注目を集めるアルゼンチン・フォルクロリック・ジャズと呼ばれる音楽の繊細な側面と、アルゼンチン音響派と呼ばれる音楽の静謐な側面を結び、新たな音の地平を切り開いてみせる。音の妖精と呼ばれるアレハンドロ・フラノフや、あらゆる音に音楽の色彩を施すモノ・フォンタナをはじめ、多くのアーティストから精神的な支柱として尊敬を集めるカルロス・アギーレとの親交も深いセンシティヴなピアニスト、セバスチャン・マッチ、透明感のある弦の音色をもつキケ・シネシ、モダン・フォルクローレの雄アカ・セカ・トリオとサンチァゴ・ヴァスケス率いるプエンテ・セレステ、さらにはモダン・ダンスのダンサーでありシンガーであるセシ・イリアスなど、アルゼンチンの気鋭のアーティストたちは、伝統的なアルゼンチン音楽を敬愛し、母国の広大な自然の風景やこれまでに影響を受けてきたジャズやクラシック、ブラジル音楽などの様々な要素を各人のフィルターを通し昇華させ、新たな音の輪郭を浮かび上がらせた美しい心象風景を描いている。その音楽は、まるで行き場のない魂を鎮めるレクイエムのようであり、寂寞とした心を癒すセラピー・ミュージックのようであり、言わば“心の調律師”によって奏でられる音楽とも言える雰囲気を湛えている。オープニングのセバスチャン・マッチのピアノとクラウヂオ・ボルサーニのまどろみを誘うような歌声から、アレハンドロ・フラノフのピアノ・ソロへの橋渡しにそのすべてが象徴されている。

■セバスチャン・マッチ、クラウヂオ・ボルサーニ、フェルナンド・シルヴァ
カルロス・アギーレが主宰するシャグラダ・メードラ・レーベルのカラーを象徴するような存在で、アルゼンチンの音楽シーンにおいて、彼らほど繊細な音の世界観を生み出すグループはいないのではないだろうか。アルバム『Luz De Agua』(水の輝き)は、パラナの詩人フアン・L.オルティスの詩にピアノのセバスチャン・マッチが曲を書いており、ミナスジェライスのヘナート・モタが、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの詩に曲をつけたアルバム『Dois Em Pessoa』にも通じる世界を持っている。デリケイトな音色を持つピアニスト、セバスチャン・マッチはパラナの河をテーマにした「Fui Al Rio...」でカルロス・アギーレのような歌声を聴かせ、ベースのフェルナンド・シルヴァは、カルロス・アギーレ・グルーポにも参加し、カルロス・アギーレが“兄弟”と呼ぶほどに厚い信頼を寄せている。メイン・ヴォーカルとギターのクラウヂオ・ボルサーニはアギーレを敬愛し、“カルロス・アギーレ前奏曲”と名づけられた美しい曲を作っている。
■アレハンドロ・フラノフ
マルチ・インストゥルメンタル奏者であり、フアナ・モリーナやモノ・フォンタナとも深い交流があるアルゼンチン音響派を代表するアーティストとして知られる。ストラヴィンスキー、フランク・ザッパ、エルメート・パスコアールなどの革新的な音楽の影響を受け、2007年には『Khali』でシタールやムビラを響かせた深遠なる精神宇宙を表現した。2005年にMDRレコーズからリリースされたピアノ・ソロ作品『En Piano - Melodia』は、夢の中で響くような独特の音色で録音された極上のヒーリング・ミュージックで、その音色は本コンピレイションのトーンを決定づけている。
■モノ・フォンタナ
ブエノスアイレス出身のアーティストで、幼少の頃から音に対して深い興味を持ち、その鋭敏な感覚から生まれるサウンドは非常に映像的で、遠い記憶の風景を呼び起こすような不思議な既視感に満ちている。かつてはアルゼンチンの孤高のロック・バンド、スピネッタにもキーボードで参加し、浮遊感のあるサウンドがルイス・アルベルト・スピネッタのメランコリックな歌声と美しく共鳴した。長い活動の中での自己名義のアルバムは2枚で、2007年の最新作『Cribas』では、幻影的に揺らめくピアノの旋律にシャッター音やナレイション、虫の羽音など様々な自然の響きをコラージュさせた異次元のサウンドスケープを展開している。
■アカ・セカ・トリオ
モダン・フォルクローレ・シーンを牽引するフアン・キンテーロを中心に、ピアノのアンドレス・ベエウサエルト、パーカッションのマリアーノ・カンテーロによるトリオ。ネオ・アコースティックのような清々しいサウンドを響かせ、タンバ・トリオを彷彿させる3人のコーラス・ワークが美しい。パラナよりもさらに北西に位置する地方都市トゥクマン出身のフアン・キンテーロの曲は、転がるような展開の曲調が独創的で、そのサウンドは都会的で洗練されている。また、盟友のピアニスト、アンドレス・ベエウサエルトは、北欧のピアニストを想起させるほど澄んだタッチのピアノを聴かせ、2009年に初めてリリースしたソロ・アルバム『Dos Rios』で幽玄で内省的な繊細な音の世界を描いた。
■プエンテ・セレステ
アカ・セカ・トリオと並んで、アルゼンチン・モダン・フォルクローレを象徴するグループで、パーカッショニストのサンチァゴ・ヴァスケスを中心に1997年に結成、アレハンドロ・フラノフも一時期メンバーとして参加し、これまでに4枚のアルバムをリリースしている。その演奏スタイルは洒脱で、アコーディオンや才人マルセロ・モギレフスキーのリコーダーやクラリネットなどを取り入れ、ラテン・フレイヴァーあふれる軽やかなアンサンブルを特徴とする。サンチァゴ・ヴァスケスは自身でも何枚かのアルバムを吹き込み、特に親指ピアノのムビラで温かく幻想的な音像を映した『Mbira Y Pampa』は秀逸。ギターのエドガルド・カルドーゾは、アカ・セカ・トリオのフアン・キンテーロとのデュオ・アルバム『Amigo』をリリースし、風のように流れる美しいギターの響きとコーラス・ワークを聴かせてくれる。
■キケ・シネシ
7弦クラシック・ギターやピッコロ・ギターを爪弾き、淡い水彩画のような透明感のある音色でアルゼンチン音楽の余情を美しく描くギター奏者。天から才を授かったような感性で弦を優しく鳴らし、彼が参加した作品は澄んだ風を吹き込まれたかのような瑞々しい雰囲気に包まれる。カルロス・アギーレのファースト・アルバム(通称『Crema』)のオープニング曲「Los Tre Deseos De Siempre」のイントロの弦の響きはその美しさの極み。
■アグスティン・ペレイラ・ルセーナ
ボサノヴァを愛し、バーデン・パウエルの魂を継承するアルゼンチンが誇る名ギタリスト。彼の奏でるガット・ギターは、バーデン・パウエルを彷彿させながらも母国アルゼンチンのノスタルジーを滲ませた響きを内包し、最新アルバム『42:53』の「Planicie (El Llano)」の再演においても、静かなパーカッションからギターとフルートのアンサンブルで、くぐもったアルゼンチンの平原に寂しげな風が渡るような情景を描写し、ひたむきに自己の音楽を追求する姿勢が感じられる。
■ベレン・イレー
ブエノスアイレス生まれの女性シンガーで、その質感のある澄んだ歌声は印象的で表情豊かな歌に引きこまれる。本国のみならず、ブラジルやスペインなどで数多くのライヴを行う中でカルロス・アギーレの目にとまり、2008年にデビュー・アルバム『Sombra De Ombu』をリリース。このアルバムは、カルロス・アギーレを始め、アカ・セカ・トリオの3人が参加し、清々しいアコースティックなサウンドに仕上がっている。
■シルヴィア・イリオンド
アタウアルパ・ユパンキやクチ・レギサモンといった伝統的なフォルクローレに敬意を表しながら、新たな解釈で歌を聴かせる女性シンガー。2006年のアルバム『Ojos Negros』は、カルロス・アギーレやセバスチャン・マッチ、キケ・シネシなど数多くのゲスト・ミュージシャンが参加し、彼女のしっとりとした歌声を余白と奥行きのあるサウンドで美しく包み込んでいる。
■セシ・イリアス
ブエノスアイレスでは著名なモダン・ダンスのダンサーで、ブラジル音楽を愛するミュージシャン、パブロ・ヒメネスと共演し、セルジオ・ヴィラルヴァとのダンス・パフォーマンス用の音楽として自身のアルバムをリリースしている。カルロス・アギーレを偉大なコンポーザーとして尊敬していると語り、オリジナル・アルバム『Tal Vez El Viento』では、カリンバの響きに水のしたたる音を重ねた「Kalimba」などで、カルロス・アギーレの創り出す音の世界とつながっている。

アルゼンチンの音楽平原には驚くほど豊かな音楽性をもったアーティストが数多く点在している。彼らは共通してアルゼンチンの伝統的な音楽を愛し、隣国のウルグアイやブラジル、チリのアーティストとも交流し、そこに様々な音楽のエッセンスをちりばめて際立つ個性を確立している。彼らは同時多発的でありながら相互に影響を与えあい、有機的に結びつき絶えず進化した音を生み出している。独自の審美眼に貫かれたそれらの音楽は、まるで“深海に降る雪”のように心の深い海にゆっくりと静かに降り積もる。

吉本宏
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