加藤和彦氏が亡くなった、とニュースで知った。詳しいことはわからないが、自殺の可能性が高いという。心よりご冥福をお祈りいたします。
実はこのところ、音楽よりも本から心に伝わってくるものが多いな、と孤愁するばかりだったのだが、神戸ディスク・デシネから先週送られてきた、年末にかけてのリリース作だという5枚のサンプルCDのおかげで、この週末はささやかな愉しい時間をすごすことができた(スウィッシーの「Rainy Days」という曲などは、最初に聴いたとき10回リピートしてしまったほど)。ディスク・デシネ主宰の丸山雅生くんは、先月カフェ・アプレミディでもDJをやってくれた僕の知り合いだが、順調な仕事ぶりでうらやましいかぎり。自分が彼ぐらいの歳の頃のことを、ふと考えてしまった。
最近はそんな感じで、ちょっとしたことから追懐の情におそわれることが多いが、好きな本を読んでいるときは比較的、気持ちを穏やかに落ちつけていられるような気がする。昨晩は明治〜昭和の科学者・寺田寅彦が書いた「懐手して宇宙見物」(みすず書房)の中の随筆“備忘録”を読んでいた。線香花火の燃え方に詩と音楽を見出し、青磁の器に“緑色の憂愁”を感じ心惹かれ、「草枕」の主人公の画家のような心の目をもった調律師になって日本中を旅したらと考える、詩想家としての寺田寅彦が僕は好きだ。とりわけ“備忘録”の冒頭は、長くなるが引用に値すると思う。
何度読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろさの沁み出してくるものは、夏目先生の「修善寺日記」と子規の「仰臥漫録」とである。いかなる戯曲や小説にも到底見出されないおもしろみがある。なぜこれほどおもしろいのかよくわからないが、ただどちらもあらゆる創作の中で最も作為の跡の少ないものであって、こだわりのない叙述の奥に隠れた純真なものが、あらゆる批判や估価を超越して直接に人を動かすのではないかと思う。そしてそれは、死生の境に出入する大患と、なんらかの点において非凡な人間との偶然な結合によってのみ始めて生じうる文辞の宝玉であるからだろう。
晩年の夏目漱石の「修善寺日記」もまた、僕の心の安定剤になっている。文を書くことが、日々の随想を綴ることが、自分にとって慰藉であり、安全弁であり、心の糧であればいいと願っているが、現実の僕は、ある種のいやらしさに苛まれることも少なくない。書くべきは“備忘録”あるいは“遺言”のようなものであるはずだが、僕がこのページに記しているのは、きっと多くのブログがそうであるように、ノーマン・メイラー言うところの“自分自身のための広告”にすぎず、割りきれないような苛立ちが募るときがある。純真なものはそこに宿っているのだろうか。もちろん誰もがこうしたディレンマと闘っているのだろうけれど。
そういうことを踏まえてこの[staff blog]は読んでいただけると、僕としては少し救われたような気持ちになれる。いつかこのことは書いておきたいと思っていたので、良い機会になった。今回は「仰臥漫録」に倣って、淡々と事務的かつ克明にペンを進めていこう。
まずは今週の主な仕事。J-WAVEの11/3のホリデイ特番のための「心地よい生活」をテーマにした選曲とコメント収録。12月発売の「キーボード・マガジン」フェンダー・ローズ特集のための20枚選盤とそのディスクガイド執筆。アシッド・ジャズ・レーベルの復刻CD12枚分の発注書用レヴュー原稿。年明けリリース予定の孤高のスピリチュアル・ジャズ・レーベルという切り口でのフリーダムのベスト盤と、ニーナ・シモンとホセ・フェリシアーノのフリー・ソウル・コンピの選曲(BMGからホセ・フェリシアーノ盤をぜひ、と話をいただいたので、ニーナ・シモン盤もぜひ、と逆提案したのですが、ボビー・ウーマック盤とマリーナ・ショウ盤を同時期に作ったとき以来の気に入っている組み合わせです)。女性誌「Domani」の連載コラムなど。そして忘れちゃいけない、「usen for Cafe Apres-midi」がかなりヴァージョン・アップしてリニューアルしたばかり。今回の改変で、全440チャンネル中ベスト20以内の聴取率を常にキープできるようめざしていますので、番組ホームページをご覧いただき、少しでも多くの方に放送を聴いていただけたら嬉しいです。
それではここからは、僕がDJとして参加するイヴェントのお知らせを簡単に。10/23(金)は「MUSICAANOSSA」で、10周年ということもあり、いつものレギュラー陣に加え、FPM田中知之とスモール・サークル・オブ・フレンズがゲスト。10/24(土)はJAZZ BROTHERSの竹花英二が声をかけてくれ、青山のclub everに初出演。10/25(日)はカフェ・アプレミディで待望のサンデイ・アフタヌーン・パーティー「harmony」。オーガナイザーのTakahiro Haraguchiが「この人の選曲は素晴らしい」と信じる選り抜きのDJだけを集め、6人が各1時間ずつたっぷり良い音楽をかけようという企画で、僕もとても楽しみ。フライヤーには各DJが考える“harmony classics”がコメントと共に掲載されていて要チェックだが、ここには真摯なオーガナイザーズ・メッセージを転載しておこう。
2009年、ジョー・クラウゼルはメンタル・レメディー名義で「THE SUN・THE MOON・OUR SOULS」をリリース。この曲の根底に流れる自由でスピリチュアルな精神は、「フリー・ソウル」が自由なスピリットを標榜していたことを思い起こさせます。私たちにはオールジャンルの曲がプレイされる新しいDJパーティーが必要です。そのための場所は、必ずしもクラブではなく、心地よいカフェの空間でもいいのでは? このサンデイ・アフタヌーン・パーティーには、新しい音楽に出会えるチャンスがあります。一緒に新しいパーティーを楽しみましょう。(Takahiro Haraguchi)
メンタル・レメディーは『音楽のある風景〜冬から春へ〜』にライセンスOKの知らせが届いたのも嬉しかったが、その翌週もアプレミディでは昼間にイヴェントがあって、まず10/31(土)は、以前からよくお店に来てくれている加藤紀子さんの「i-Radio」でのプログラム“lecon de a.b.c.”の10周年記念公開収録を兼ねたカフェ・ライヴ。カジヒデキ&松田岳二もライヴ・ゲストとして登場するのでお楽しみに。そして11/3(祝・火)は、名古屋から新作のリリースに合わせてp-4kが来てくれて、東京では珍しい貴重なライヴを。「usen for Cafe Apres-midi」でも密かに人気を呼んだ名曲「In A Special Way」や「My Own Place」の、あの魔法のような空気感にしびれた貴方は、絶対にお観逃しないように。僕と吉本宏のDJ、カフェ・アプレミディのパスタランチセットと共に、ゆっくりと心地よい午後をおすごしください。
最後にもうひとつ、これだけは手帳に印をつけて何としても忘れないでいただきたい、と熱くなってしまうのが、11/6(金)渋谷・CASE#00001での「Soul Souvenirs」。先日カフェ・アプレミディの元スタッフでもある宿口豪くんの店「Bar Blen blen blen」で、今いちばん心を動かされる曲はズレーマの「Wanna Be Where You Are」、なんて話をしながら豪くんの最高の選曲で飲んでいるときに、そこに居合わせたCHINTAM(Blow Up)も含め3人で90年代・渋谷レコード事情の回想で異様に盛り上がり、とことんソウル・ミュージックをかけまくるイヴェントを今こそやろうと思いがこみ上げ、フリー・ソウル15周年記念デラックス・エディション発売の私的前夜祭という名のもとに実現の運びとなったのが、このスペシャルな一夜。山下洋からYUZURUまで、僕の周りのソウル・ミュージックを本気で愛するDJが集合して、楽しみ楽しませます(もちろん有志大歓迎)。僕はかつて山下くんとCHINTAMが働いていた中古レコードショップ「Soul View」の名バイヤーだった亀田さんに捧ぐ、という感じでプレイしようかな、なんて思っています。あの素晴らしい音楽愛をもう一度、現状へのやるせない怒りや切なさもすべて込めて。
追記:話は戻りますが、もう少し寺田寅彦の名言集をお届けしたい気持ちに駆られましたので、しばしのお付き合いを。どれも座右の銘にしたいような、智と思索のロマンティックな硬骨漢らしい言葉なので。
狂ったピアノのように、狂っている世道人心を調律する偉大な調律師は現われてくれないものだろうか。(中略)いわゆるえらい思想家も宗教家もいらない。欲しいものはただ人間の心の調律師であると思う時もある。その調律師に似たものがあるとすれば、それはいい詩人、いい音楽者、いい画家のようなものではないだろうか。
西洋の学者の掘り散らした跡へ、はるばる遅ればせに鉱石の欠けらを捜しに行くのもいいが、われわれの足元に埋もれている宝をも忘れてはならないと思う。しかしそれを掘り出すには、人から笑われ狂人扱いにされる事を覚悟するだけの勇気が入用である。
10/20追記:今日のお昼、CASE#00001の名バーテンダー大場健志くんと蕎麦屋「おくむら」でせいろを食べながらスポーツ新聞を見ていたら、加藤和彦さんの葬儀に遺影と共にパネルになって飾られていたという遺書の文面が記事になっていました。「一生懸命音楽をやってきたが、音楽そのものが世の中に必要なものなのか、自分がやってきたことが本当に必要なのか疑問を感じた。もう生きていたくない。(後略)」。ふたりとも言葉を失ってしまいました。