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7月29日(&31日)──橋本徹のコンピ&パーティー情報

ほぼ1か月のご無沙汰になりました。僕がその間どうしていたかと言うと、町田康「告白」の熊太郎のような気分に苛まれながらも(だからこそ、と言うべきか)、相変わらずレコード&CD&ライヴ(&酒)浸りの毎日を送っています。音楽を愛していない者は音楽に関わらないでほしい、と憤慨しても焼け石に水な日々だからこそ、音楽を聴く。僕にとって音楽は、熊太郎にとっての博打のようなものなのか。CDショップに出かけても、音楽誌を見ても、最近は軽蔑や怒りを通り越して、いつも悲しくなってしまうけれど。
そんな無頼者の痛切さは脇に置いて、ここでは好きな音楽について書きましょう。7/22の皆既日食は残念な天気に終わってしまいましたが、僕にはほぼ同タイミングで嬉しいことがひとつあって、月面軟着陸からちょうど40年を迎えた7/20、あの美しいアポロ計画のドキュメンタリー・フィルム「宇宙へのフロンティア」(1983年アル・レイナート監督)がCSヒストリー・チャンネルで放送され、ようやくこの作品の字幕入りダビング・ヴィデオを手に入れることができたのです。先日『Mellow Voices ~ Beautifully Human Edition』(9月発売予定です)のジャケット・デザインのチェックのために訪れたNANAで、小野英作が「アポロ計画がそもそもこの映画のためのロケだったかと思うよね」と話していましたが、まさに言い得て妙。さらに言うなら、そう、これは夏の夜に観るべき映画なのです。
今週はその40年前の宇宙飛行士たちによる映像をゆっくり楽しみ続けているのですが(喝采を送らずにいられない台詞のセンス・オブ・ユーモアも輸入盤DVDより格段に楽しめます)、つい考えてしまうのは、やはり美しいとしか言いようがないこの映画に、自分ならどんな音楽を合わせるだろうか、ということ。ちなみに実際の劇伴はブライアン・イーノ(まんまKLF、とは小野英作の弁)、劇中ではカントリー&ウエスタンがとても効果的に使われていますが、僕の頭からどうしても離れないのは、今年になって最もDJでかけ続けていて(10分以上もあるのに)、いまだに曲名を訊かれることの多いジョー・クラウゼルによるメンタル・レメディーの「The Sun・The Moon・Our Souls」。うん、これしか考えられないとひらめいたら、何となくスピリチュアルな官能に誘われて、メンタル・レメディー的なサウダージ・メロウなテイストで、無性にプライヴェイトCD-Rを作りたくなりました。そういえばイアン・オブライアンに「Theme From Apollo」なんて曲があったなあ、などと思い浮かべながら。
というのも、一昨日『音楽のある風景〜夏から秋へ〜』でバー・サンバの「So Tired Of Waiting」〈Mo Acoustic Mix〉を聴いていて、改めて良いなあと思っていたときにも(正直オリジナル・ヴァージョンの1万倍好きです)、これはメンタル・レメディーと双子の兄弟だな、と気づいて深く感動してしまったからです。10年前に『Spiritual Life Music Sampler Vol.2』というアナログ盤EPがあって、そこにメンタル・レメディー名義で収められていた「Just Let Go」が、このアコースティック・ミックスと共振・共鳴しているとしか思えない素晴らしい質感・情感なのです。さらに言えば、ホセ・パディーヤの「Close To You」は、やはりスピリチュアル・ライフ・ミュージックから1996年に発表されたジェフテ・ギオムの不滅の名作「The Prayer」に例えられるのでは、と思えてきます。先週の青山・Cayでの「Music Spiral Vol.1」で、たまたまブラジルをテーマにしたDJだったのでジョー・クラウゼルの「Agora E Seu Tempo」をかけたときも、カフェ・アプレミディ中村が駆け寄ってきて、「井上さん(chari chari)もこの間かけてましたよ」と嬉しそうだった記憶もあり、プライヴェイトCD-Rの選曲方針はすぐに、レイト・ナインティーズのスピリチュアル・ライフ〜イバダンを中心に、と決まりました。
レコードを選んでいくうちに、考えてみればこれは、8/23の逗子海岸・音霊での『Mellow Beats, Friends & Lovers』CDリリース記念パーティーで何をかけるべきか(もちろんメロウ・ビーツ本命盤ばかりでも喜んでいただけるのでしょうが)、という最近の個人的な自問に対するひとつの答えでもあるような気がしてきました。ピアノやガット・ギターが光の移ろいのように美しくて、どこかメランコリックで切ない夕暮れ感や夜明け感があるような、90年代後半のスピリチュアル・ライフやイバダン周辺から生まれたアフター・アワーズなチルアウト・メロウ・チューン。『Mellow Beats, Friends & Lovers』に収録したchari chariの世紀の傑作「Aurora」が、こうした10年ちょっと前の豊かなシーンを背景に生まれたことは間違いありませんよね。前述曲に加え、テン・シティー「All Loved Out」のピアノ・ダブやジョー・クラウゼル&ケリー・チャンドラー「Escravos De Jo」、ケリー・チャンドラー&ジェローム・シデナム「Espirito Du Tempo」といった「Suburbia Suite; Future Antiques」でもかつて紹介した珠玉の名作群(バイロン・スティンギリー「Frying High」〈Brazilian Vocal〉だけはレコードがどうしても行方不明なのですが、ビートからファルセットまで頭の中で完璧にプレイバックできます)はもちろん、ムーディーマンの名曲中の名曲「The Thief That Stole My Sad Days ... Ya Blessin' Me」まで、最高すぎる一枚ができあがりました。とはいえ、どの曲も悲しみや祈りに裏打ちされた美しさ、であることは忘れてはいけませんが。タイトルは僕が好きなリル・ルイスの曲に倣って“Dancing In My Sleep”(“Journey With The Lonely”というのも悪くないですが)にしようと思っていましたが、結局はシンプルに『Chill-Out Mellow Beats ~ summer to autumn』としました。昨日から繰り返し部屋で流しているうちに、これはロニー・リストン・スミスの「Quiet Moments」やファラオ・サンダースの「Sun Song」〜「Moon Child」、あるいはNujabesを聴くような感じで、フリー・ソウル・ファンを始め多くの方々に気に入ってもらえるだろう、そんな確信が生まれてきています。
そこで、このプライヴェイト・セレクションをぜひともプレゼントCD-Rにしたいと思いついたのが、8/4に入荷してくる僕の選曲コンピの最新作『Free Soul Moe ~ Mellow Lovers' Twilight Amour』です。『Free Soul Moomin ~ Mellow Lovers' Moonlight Dancehall』をひどく気に入ってくださったポニーキャニオンの村多ディレクターからご連絡いただき、ぜひ真夏にリリースを、と実現したスペシャル企画。何がスペシャルかと言えば、とろけるようにオープニングを飾るメロウ・フローター、吉田美奈子「恋は流星」(彼女の曲の中でもいちばん好きかもしれない)のカヴァーを、このコンピレイションのリード・トラックとして特別に新録しているのです。続く「baby baby, Service」も大沢伸一による絶品R&Bリミックス。「ためらいの糸」〈Planet Soul Forest Stream Remix〉〜「キイドア」〜「最後の蜜」というボサでスウィンギーな連なり、そして人気曲「Hot Glamour」のインコグニートによるダンサブルなミックスへという前半の展開から、きっと引き込まれないはずはありません。詳しくは引き続き[web shop]のページに書くことにしますが、ライナー・ブックレットに掲載されたMUMMY-DとKREVAとKOHEI JAPANによる「嶋野百恵を語り尽くす座談会」が、笑えるエピソード満載でかなり面白いことも付け加えておきます。
追記:実は7月に入って個人的に作ったCD-Rがもう一枚あります。これがまた本当に素晴らしいのですが、それはプリンスのマイ・ベスト盤。いつCDショップに行っても垂れ流されているマイケル・ジャクソンに辟易して、というのもきっかけのひとつですが(故人が気の毒、と思うのは僕だけでしょうか)、学生時代からリアルタイムで好きだった彼の底知れない魅力を再認識して、ひとり興奮が止まらなかったりしています。プリンスがダイアン・バーチの才能に惚れ込み自宅に招いた、というのも最近の嬉しいエピソードでしたが。
マイケルに関しては、音楽を愛する者には違和感だらけの不快な報道や商売根性は論外で、心から憎みますが、声高に(紋切り型に)「リスペクト!」と叫ぶのも何か違う気がしています。ジャクソン・ファイヴからソロまで、それこそ好きな曲は山ほどあって、挙げればきりがありませんが、僕がいちばん思い出深いのは、高校生のとき仲間と踊った「今夜はビート・イット」でしょうか。人の死を悼む、ということの難しさを痛感させられた1か月でしたが、音楽は残るのが救いですね。今は「ありがとう&お疲れさまでした」というのが正直な気持ちです。“Thank You, Baby”という永遠に瑞々しい「It's Great To Be Here」のフレーズが木霊します。

7/31追記:[information]のページにも情報が掲載されているかと思いますが、ひとつDJパーティーのお知らせがあります。5月まではカフェ・アプレミディがあった公園ビル5Fにオープンしたばかりのカフェ/バー/ギャラリー「CASE#00001」で、8/14に僕の友人たちが集まって一晩中、素晴らしい音楽をかけまくります。題して「KISS OF LIFE ~ Midsummer Yukata Party」。もともとは我が家で浴衣そうめんパーティーを、という話だったのですが、部屋を片づけるのが大変なので、どうせならたくさんの音楽好きに集まってもらいましょう、とイヴェントに発展させ、この歳になって奥さんも子供も恋人もいない僕は、密かに素敵な出会いを楽しみにしているというわけです。ぜひ皆さん、真夏の夜を音楽と共にピースフルに祝いに、遊びに来てください。
カフェ・アプレミディでのDJもそうですが、僕が最近、大きなクラブよりもこうした親密な空間でプレイすることが増えているのには理由があります。それは、DJなんて自分たちの楽しみのためにそれぞれのスタイルで気張らずにやってればいいんじゃない、と以前にも増して強く思うようになったからです。オーディエンスもそのときの気分で自由に遊び場を選べばいいわけだしね。ここ数年で「DJ」の後に「カルチャー」という言葉を続けたがるような(この場合「アンダーグラウンド」や「リアル」なんかも類似語です)連中の、BPMに束縛された無個性なミックスやスクラッチ&エフェクト過多のパフォーマンス、無粋で野暮としか言いようがないレア盤偏重などにうんざりしてしまったことも大きな要因になっているかもしれません。どのケースも自分のスタイルだけを正当化するための浅はかな理論でしかないところが失笑です。そんなことを考えていたら、山本タケシ氏がかつて鎌倉・cafe vivement dimancheのフリー・ペーパーに書いていた文章を、ふと思い出しました。今ここで伝えたかったことを補足するために、最後に引用させていただきます。「カフェ」を「DJ」や「クラブ」に置き換えて読んでみてください。
ぼくは「カフェ」の後に「カルチャー」という言葉を続けたがる輩をどうにも信用できない。先日ある雑誌に載った、東京に住むフランス人とアメリカ人のカフェについての対談を読んだのだが、同感できる指摘も多いのに全体として「何だかなぁ」という感じがするのは、結局は「文化」という言葉を持ち出してきて、しかもそれにはひとつの理想型があるようで、そこからズレるものを断罪しているように読めるからだ。例えば、彼らの国のカフェには文化があるが日本の大方の喫茶店には文化などない、というふうに。でもね、もし文化というものがいつでもどこでも同じカタチをしていなくてはならないのなら、そんなものはいらないよ。
だって世界中の街や店が単一の文化に染まってしまっていたら、人生あまりにつまらないだろう。別のカタチや別の味や別の流儀があるからこそ別の場所に行きたいのだし、別の場所で別の世界に触れてきたから自分の周りのいつもの普通のことも新鮮に思えたりするのだ。
世界中にある、その国の、その街の、その店主のスタイルで適当に気張らずやっているカフェや喫茶店に、自分の居場所を見つけられるかどうかなんて、ただの偶然だったりその時の気分の問題だったりでしかない。素敵な女の子がいれば、コーヒーの味や値段なんてどうでもよかったりする。その程度のことだ。「生活」が「アート」ではないのと同じ意味で「カフェ」は「文化」ではない。それでいいんじゃないの?
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