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4月25日 ── 橋本徹の単行本シリーズ情報

ホーカス・ポーカス(カート・ヴォネガットの小説から名づけられたのだろう)の最新作『Place 54』があまりに素晴らしい。今年に入ってNo.1の名盤。ジャズとソウルとフレンチとヒップホップ。コラージュのセンスとインテリジェンス。愛する音楽への深いリスペクトとオマージュ。でもそれだけじゃないポップなアイディアとユーモアにあふれている。今いちばん小西康陽氏に聴かせたいビューティフルなアルバム(最大級の誉め言葉です)。そしてスティーヴィー・ワンダーにも聴かせたい稀有な一枚(この良さが彼に伝わるだろうか)。オマーをフィーチャーした先行シングル「Smile」も最高だったが、「Voyage Immobile」と題されたシークレット・トラックには特に感激。詳しくは6/6の日本発売に合わせて[web shop]のページで書く。
“うつくしきものを、弥が上に、うつくしくせんと焦せるとき、うつくしきものは却ってその度を減ずる” ── 夏目漱石「草枕」の一節だが、今の僕の説明もそこに陥ってしまったかもしれない。実は「草枕」は最近初めて読んだのだけど、これほど僕にとって大切な本だったとは。本当に素晴らしい小説。クリエイティヴ面でも、人生という意味でも、とても救われる生涯の一冊。たまに読み返せば、生きていくのがつらくなくなるだろう。今の僕には「草枕」は精神安定剤です。今日は「硝子戸の中」と「それから」の文庫本を買ってきました。
そして「公園通りに吹く風は」。小西さんの“ヴァラエティ・ブック”を見てしまったから、次は少しエディトリアルに凝って、友人の吉本宏によるインタヴュー対談や文章も混ぜて、と何となく考えていたが、小野英作に反対されるのでは、と気にしてなかなか編集作業に入れなかった。それが先週の日曜の深夜、もう寝ようと灯りを消した瞬間、不意に吉本くんから流れてきた一枚のファックスをきっかけに、ようやくモティヴェイションが高まった。もしよかったらあとがきに、と突然送られてきた、僕にはちょっと胸が熱くなる文章。「公園通りに吹く風は」に収めるかどうかは決めかねているので、言わば“序にかえて”、ここに掲載することにします。

『A Certain Fantasy』(あとがきにかえて)

橋本徹と初めて話したのは、92年の夏の終わりだった。待ち合わせのレコード・ショップに現れた彼は、ダンガリーのシャツにチノクロス・パンツ、手には出版社の紙袋を抱えていた。友人の元マキシマム・ジョイ店主の薄田育宏くんの紹介で、僕がサバービアの最初のレコード・ガイドブックの制作に関わることになり、その打ち合わせのために彼と会うことになったのだった。
その日は、今の僕たちのように飯屋からバーへ梯子して酒を飲むようなこともなかったから、結局、僕の家に来て打ち合わせをすることになった。彼と何を話したのかは、まったく覚えていないのだが、当時僕が住んでいたワンルーム・マンションの部屋で、彼が持ってきたイタリア映画『天国か地獄か』の珍しいレコードをかけながら、「“ビア・ヴェルモット・アンド・ジン”のピエロ・ウミリアーニのオーケストラ・アレンジは素晴らしいね」と互いに頷き合っていたことだけをなぜだか妙に覚えている。
気がつけば、彼と知り合って16年にもなるが、血液型も星座も性格もまったく異なる僕たちが、これまで長く一緒に音楽に関わる仕事をしてこられたのは、彼とは“ある感覚”がとても近いからなのではないかと思っている。
それは例えば、ドナルド・フェイゲンが82年にリリースした初めてのソロ・アルバム『ナイトフライ』のライナー・ノーツに記されていた、フェイゲンが寄せた小文の世界観、“50年代の終わりから60年代の初めにかけて、アメリカ北西部の街の郊外(Suburbs)で育った若者が抱いていたであろう、ある種のファンタジー”であったり、“雨の日曜日に気持ちだけが空まわりしている”と歌ったイギリスのリヴァプール出身のペイル・ファウンテンズの音楽の感性であったり、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸の海に面したナラ・レオンのアパートの陽の射し込むリヴィングのサロンの空気であったり、そういった、言葉では言い表せないあの雰囲気が僕も彼もたまらなく好きなのだ。そして、サブカルチャー的な匂いやマニアックな色が嫌いなところも共通していると思う。
サバービアの音楽観に共感していた僕は、彼と出会ってからこれまでにたくさんの音楽紹介文を書いてきた。解説ではないライナー・ノーツやデータに頼らないレコード・レヴューなど、サバービアの世界観を文章にして伝えてきたつもりだ。以前、まだカフェ・アプレミディのカウンターに宿口豪くん(現「Bar Blen blen blen 」店主)がいた頃、ファラオ・サンダースについて僕が書いた短い文章を彼が気に入ってくれて、カウンター越しに暗誦してくれたときはうれしかった。
言葉では言い表せない感覚を文章にしていくことはとても楽しい。音楽を奏でるように、リズムとハーモニーを自由に言葉に託せたら、どんなに素晴らしいだろう。そう、文章から余情が溢れだすキャサリン・マンスフィールドの短編小説のように。

明け方近くまでカフェ・アプレミディで飲んで、店を出て夜の白んだ公園通りを歩く。この10年で通りに立ち並ぶ店も大きく様変わりしてきたが、このなだらかに下る公園通りのアングルだけはずっと変わらない。夏の始まりの朝、公園通りに吹く風を感じながら、静かに口笛を鳴らす。

吉本 宏

「公園通りに吹く風は」は5/23発売目標。その晩にはライブラリー・ラウンジ風に改装された六本木ヒルズ52Fマドラウンジで、僕と吉本くんに「CLASSICO」や「Sweet Surprise」の仲間たちもDJやライヴに迎えて、出版記念パーティーを開くことになりそう。今年のゴールデン・ウィークは編集三昧の毎日になります。
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4月9日 ── 橋本徹のDJパーティー&単行本etc.情報

メロウ・ビーツ最新盤はもう聴いていただけたでしょうか? 昨夜は久々に休肝したので、今日は午前中からこの原稿を書くことにしました。BGMはバッハのブランデンブルク協奏曲、指揮とヴァイオリンはラインハルト・ゲーベルでムジカ・アンティクヮ・ケルンの演奏。いいですねえ、ゴダール言うところの“午前8時の音楽”は、起床の遅い僕には“午前11時の音楽”なんですね。
まずは今週末のDJイヴェントのお知らせです。『Mellow Beats, Spirits & Freedom』の内容の素晴らしさは実際に耳にしていただくしかありませんが(最近はCDショップで一緒に試聴機に入れられる“メロウ”を標榜する他のアルバムがかなりベタな傾向が強いので、今回は反骨するわけでもないですが、イニシャル・オーダーも好調と聞いていたので、結構コア寄りのセレクションにしてみました)、そのリリース記念パーティーが4/12 (土) の夜に新宿のOTOというクラブで行われます。僕を含むいつものFree Soul UndergroundのレギュラーDJ陣に加え、スペシャル・ゲストとしてCALMも登場しますので(イエーイ、楽しみ!)、皆さんお誘い合わせのうえ、ぜひ遊びに来てください。
続いて、「公園通りみぎひだり」と「公園通りの午後」はもう読んでいただけましたでしょうか? 青山ブックセンターやタワーレコードなどでは、橋本ワークスのCDも集めてアプレミディ・フェアのような展開をしたい、と言ってくれていると聞いて、「感謝!」のひとこと。というか、すっかり時代とずれてしまった僕としては、とても励まされますね(たったひとりの人に読んでもらいたくて書いたような文章もあるから、正直照れる部分も多いけれど)。この間「SUB」第5号を読み返していて、ココ・シャネルの名言「服をつくるとき、なにかを取り去ることからシンプルな美しさが生まれる。絶対に加えることからははじまらない」というフレーズに出喰わして、本の装幀も同じだと気づかされました。アート・ディレクションを手がけてくれたNANAの小野英作は、そのことをよく理解していると思います。アプレミディ・ライブラリー「公園通り」三部作の完結編は、タイトルだけ「公園通りに吹く風は」と決めて、まだ編集作業に入っていないのですが、書き下ろしも含めて、来週ぐらいからそろそろ取りかかろうと考えているところです(5月には出せたらと思っているので)。
さて、近況を。先々週の日曜の夜、東京ミッドタウンの1周年を記念してBillboard Liveで行われたユーミンのプレミアム・ライヴに誘われ、間近で彼女のステージを観ることができました。「25年以上前に人に書いた曲で、人前で歌うのは初めてです」と披露された「赤いスイートピー」に胸をかき乱され(そこから「卒業写真」〜「あの日にかえりたい」という流れでした)、アンコールの「守ってあげたい」に涙。中学3年、15歳の頃……あの日にかえりたいのはオレなのかもしれない、とこみ上げてくるものがありました。やっぱり音楽と記憶は分かちがたく結びついているんですね、心のどこか大切なところで。その余韻で数日間は普段の自分に戻れないような不思議な気がしました。
先週末は金曜夜のエドガー・ジョーンズのコンサートが楽しかった! こんなに解き放たれた気分になれることって、最近なかなかないです。ラジオやライヴの音源を集めたプライヴェイトCDまでプレゼントしていただき感激(ありがとうございます)。土曜日は午後から桜舞う鎌倉へ。いつものように段葛こ寿々で、板わさ・わさび芋・そば寿司・鴨南つけそばに菊正の樽とわらび餅まで満喫して、カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュでのライヴ・イヴェントに。元ピチカート・ファイヴの高浪敬太郎さんが西村郁代さんを女性ヴォーカルに新たに結成したアルコライム、久しぶりの再会だったヒックスヴィルと堂島孝平くんのパフォーマンスの間にDJを。アルコライムは4/20 (日) の午後1時から、アプレミディ・グラン・クリュでもアコースティック・ライヴがありますので(チャージ無料!)、皆さんぜひお集まりくださいね。甘酸っぱく春らしいソフト・ロックを味わえると思いますよ。
以上で告知は終了です。このところブログ文化(?)の隆盛というような話をよく聞いたりしますが、今はみんなが自分の広告をノーギャラで作っている、ということなんでしょうね。この[staff blog]のページも“自分自身のための広告”(byノーマン・メイラー)にすぎないのだから。それも意味があると気づいたから、僕もこうして書いているわけで。最後に、「SUB」第4号へのオマージュを込めて、メロウ・ビーツの発想(フリー・ソウルの精神もそうですが)の原点になったオノ・ヨーコの言葉を引いておきます ── 「ものの価値を転換すること」。さらに「SUB」第4号に準えて記すなら、今の音楽シーンにとってメロウ・ビーツは、ヴェトナム戦争期のアメリカ社会における“緑色革命”のようなものであれば、と思っています。メッセージはメディアなのだから。
追記:前回書いた[staff blog]にたくさんの人が思わぬ反響(喝采?)をくれて、ちょっと戸惑い気味なのだけど、改めて読み直してみると、小西さんに腰が引けてるのはオレじゃん、と少し反省。確かにあれほど気をつかいながら正直に文章を書いたことはあまりないが、あの内容に必要以上の意味はなくて、ゴダールの映画に好きなものも嫌いなものもある、というようなことだと思っています。小西さんが昔、ゴダールの映画はどんなものでも最初にスクリーンに何か映った瞬間から泣き出してしまうくらい好き、と言っていたのがひどく印象に残っているけど、自分は絶対にふたりのようにはなれないだけで、そういう徹底した美意識や意志は、本当に素晴らしいと思うし憧れます。きっとコメント(惹句?)なんかで小西さんの戦略みたいなものが見え隠れするとき(特に情熱より悪意や作為が勝っているように感じられるとき)、僕は気持ちが沈んでしまうだけなんでしょう。
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