ホーカス・ポーカス(カート・ヴォネガットの小説から名づけられたのだろう)の最新作『Place 54』があまりに素晴らしい。今年に入ってNo.1の名盤。ジャズとソウルとフレンチとヒップホップ。コラージュのセンスとインテリジェンス。愛する音楽への深いリスペクトとオマージュ。でもそれだけじゃないポップなアイディアとユーモアにあふれている。今いちばん小西康陽氏に聴かせたいビューティフルなアルバム(最大級の誉め言葉です)。そしてスティーヴィー・ワンダーにも聴かせたい稀有な一枚(この良さが彼に伝わるだろうか)。オマーをフィーチャーした先行シングル「Smile」も最高だったが、「Voyage Immobile」と題されたシークレット・トラックには特に感激。詳しくは6/6の日本発売に合わせて[web shop]のページで書く。
“うつくしきものを、弥が上に、うつくしくせんと焦せるとき、うつくしきものは却ってその度を減ずる” ── 夏目漱石「草枕」の一節だが、今の僕の説明もそこに陥ってしまったかもしれない。実は「草枕」は最近初めて読んだのだけど、これほど僕にとって大切な本だったとは。本当に素晴らしい小説。クリエイティヴ面でも、人生という意味でも、とても救われる生涯の一冊。たまに読み返せば、生きていくのがつらくなくなるだろう。今の僕には「草枕」は精神安定剤です。今日は「硝子戸の中」と「それから」の文庫本を買ってきました。
そして「公園通りに吹く風は」。小西さんの“ヴァラエティ・ブック”を見てしまったから、次は少しエディトリアルに凝って、友人の吉本宏によるインタヴュー対談や文章も混ぜて、と何となく考えていたが、小野英作に反対されるのでは、と気にしてなかなか編集作業に入れなかった。それが先週の日曜の深夜、もう寝ようと灯りを消した瞬間、不意に吉本くんから流れてきた一枚のファックスをきっかけに、ようやくモティヴェイションが高まった。もしよかったらあとがきに、と突然送られてきた、僕にはちょっと胸が熱くなる文章。「公園通りに吹く風は」に収めるかどうかは決めかねているので、言わば“序にかえて”、ここに掲載することにします。
『A Certain Fantasy』(あとがきにかえて)
橋本徹と初めて話したのは、92年の夏の終わりだった。待ち合わせのレコード・ショップに現れた彼は、ダンガリーのシャツにチノクロス・パンツ、手には出版社の紙袋を抱えていた。友人の元マキシマム・ジョイ店主の薄田育宏くんの紹介で、僕がサバービアの最初のレコード・ガイドブックの制作に関わることになり、その打ち合わせのために彼と会うことになったのだった。
その日は、今の僕たちのように飯屋からバーへ梯子して酒を飲むようなこともなかったから、結局、僕の家に来て打ち合わせをすることになった。彼と何を話したのかは、まったく覚えていないのだが、当時僕が住んでいたワンルーム・マンションの部屋で、彼が持ってきたイタリア映画『天国か地獄か』の珍しいレコードをかけながら、「“ビア・ヴェルモット・アンド・ジン”のピエロ・ウミリアーニのオーケストラ・アレンジは素晴らしいね」と互いに頷き合っていたことだけをなぜだか妙に覚えている。
気がつけば、彼と知り合って16年にもなるが、血液型も星座も性格もまったく異なる僕たちが、これまで長く一緒に音楽に関わる仕事をしてこられたのは、彼とは“ある感覚”がとても近いからなのではないかと思っている。
それは例えば、ドナルド・フェイゲンが82年にリリースした初めてのソロ・アルバム『ナイトフライ』のライナー・ノーツに記されていた、フェイゲンが寄せた小文の世界観、“50年代の終わりから60年代の初めにかけて、アメリカ北西部の街の郊外(Suburbs)で育った若者が抱いていたであろう、ある種のファンタジー”であったり、“雨の日曜日に気持ちだけが空まわりしている”と歌ったイギリスのリヴァプール出身のペイル・ファウンテンズの音楽の感性であったり、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸の海に面したナラ・レオンのアパートの陽の射し込むリヴィングのサロンの空気であったり、そういった、言葉では言い表せないあの雰囲気が僕も彼もたまらなく好きなのだ。そして、サブカルチャー的な匂いやマニアックな色が嫌いなところも共通していると思う。
サバービアの音楽観に共感していた僕は、彼と出会ってからこれまでにたくさんの音楽紹介文を書いてきた。解説ではないライナー・ノーツやデータに頼らないレコード・レヴューなど、サバービアの世界観を文章にして伝えてきたつもりだ。以前、まだカフェ・アプレミディのカウンターに宿口豪くん(現「Bar Blen blen blen 」店主)がいた頃、ファラオ・サンダースについて僕が書いた短い文章を彼が気に入ってくれて、カウンター越しに暗誦してくれたときはうれしかった。
言葉では言い表せない感覚を文章にしていくことはとても楽しい。音楽を奏でるように、リズムとハーモニーを自由に言葉に託せたら、どんなに素晴らしいだろう。そう、文章から余情が溢れだすキャサリン・マンスフィールドの短編小説のように。
明け方近くまでカフェ・アプレミディで飲んで、店を出て夜の白んだ公園通りを歩く。この10年で通りに立ち並ぶ店も大きく様変わりしてきたが、このなだらかに下る公園通りのアングルだけはずっと変わらない。夏の始まりの朝、公園通りに吹く風を感じながら、静かに口笛を鳴らす。
吉本 宏
「公園通りに吹く風は」は5/23発売目標。その晩にはライブラリー・ラウンジ風に改装された六本木ヒルズ52Fマドラウンジで、僕と吉本くんに「CLASSICO」や「Sweet Surprise」の仲間たちもDJやライヴに迎えて、出版記念パーティーを開くことになりそう。今年のゴールデン・ウィークは編集三昧の毎日になります。